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13.汽水域に棲む魚

 (人間嫌い・並木ヒカエ)

 

 わたしはその日、公園で行われているフリーマーケットをベンチに座りながらメランコリックな気分で眺めていた。それは表面上はとっても平和裏に行われているように見えるけれど、本当はかなりドロドロとしていて、人間関係の嫌な、とても嫌な部分が見え隠れしている。

 注意深く観察するとよく分かるのだけど、このフリーマーケットには目に見えない境界線があって、その境界線外の人とは互いに決して交流をしようとはしない。とても排他的で頑なに自分達以外を認めようとしていないように見える。出店者達だけならまだマシだけど、なんとここでは客も固定化していてそのエリアから出ようとはしないのだ。特定のエリアには特定の客しかいない。出店者側にとっても客側にとっても垣根なんて取り払って互いに売買した方が絶対に得だと思うのだが、何故かそれをしないのだ。

 「本当に、くっだらないわねー」

 わたしはそう呟く。そして、間違っても販売員として協力しなくて良かったと、そう改めて思った。

 実はこのフリーマーケットの設営を、町内会なんかのしがらみの所為でわたしは手伝う破目になってしまったのだ。別にわたし個人だけの問題なら無視しても良かったが、親の人間関係にまで影響してくるとなると協力せざるを得なかった。「接客は絶対にやらない」と強く主張したら、会場設営とかゴミ捨ての仕事を割り当てられてしまった。今はちょうど休憩中で、何もやる事がなかいものだから、こうしてフリーマーケットの様子を眺めているのである。

 

 「――何が、くだらないのですか?」

 

 不意にそんな声が聞こえた。横を見てみると、いつの間にか見慣れないおじさんがベンチに座っている。

 “なんだ、この人は?”

 わたしは不審に思う。

 「おじさん、誰?」

 「ああ、これは失礼。私はカウンセラーをやっていまして、職業柄“人間観察”を趣味にしているのですよ。それでちょっとあなたの発言に興味を覚えたものですから」

 「人間観察? 悪趣味だね」

 こんな醜いもんを見て何が面白いんだか。

 「そうですか? ですが、この街で起きている人間関係の現象は、色々な意味で理解する価値があると思いますよ」

 それを聞いて、わたしは“なんだか、変なことを言う人だな”とそう思った。それにカウンセラーというのも気になる。確かこの街にIoTナノネットを持ち込んだのもカウンセラーだったはずだ。

 “……いや、まさか、この人ではないと思うけどさ”

 てきとーに誤魔化してどっか別の場所に逃げてしまっても良かったけど、どうせ暇だったから愚痴でも言ってやれと思ってわたしは口を開いた。知らない相手なら、いくら悪口を言っても禍根を残すような事にはならないだろう。多分。

 「なんだかおじさん、この街について知っているっぽいから詳しくは言わないけどさ、ここ最近、この辺りは険悪なムードが漂っているのよ。それで、この恒例行事のフリーマーケットもやろうかどうしようか迷っていたらしいんだけど、“友好ムードに変えたい”って意見が出て決行したのね。ところが結局、溝は埋まらないままなワケ。大の大人が集まっているのに情けない。だからわたしは、“くだらない”って言ったのよ」

 そのわたしの説明にカウンセラーのおじさんは大きく頷いた。

 「なるほど。なるほど。よく分かります」

 何が分かるんだか。

 「しかし、そう言うあなたも、どこかのグループに参加をしてはいるのでしょう?」

 それからそんな事を尋ねて来た。わたしはやや不機嫌になってこう返す。

 「わたし? グループになんか参加していないわよ。人間関係とかそーいうのは大嫌いだから。避けてるの!」

 それにカウンセラーのおじさんはまた大きく頷いた。

 「なるほど。なるほど。あなたは“汽水域に棲む魚”という訳だ」

 「きすいいき?」

 「海水と淡水が混ざり合う水域のことですよ。その場所にしか観られない独特の生態系が形成されているといいます」

 「知っているわよ、それくらい」

 実は知らなかったのだが。

 「でも、それがどうしたの?」

 「いえ、あなたは、深い人間関係を築かず、その中間領域で生きている人なのかと思いましてね」

 わたしはそれを聞くと、見えない何かを払い除けるような仕草で否定した。

 「はっ それはないわ。わたしは人間関係そのものを避けているの。そもそもほとんど誰とも付き合ってないんだから」

 人間関係の中間領域で生きている人といったら、きっと丹内穂香だろう。わたしはそう思った後で、彼女と稲盛太一を思い出した。あの二人となら、わたしも多少は人間関係を築いていると言えなくもないかもしれない。わたしのその言葉にカウンセラーのおじさんは独特の反応を見せた。

 「いやいやいやいやいや」

 なんだろう?

 「お嬢さん。人間関係に加わっていない人間なんていませんよ。誰しもがそこから逃れられはしない。少なくとも、関りを意識しているはずです。例えば、あなたは“くだらない”と言っていましたが、何故、陰湿な人間関係をそう感じるのでしょう?」

 わたしはそれに何も返さなかった。知った風な感じの説教でも聞かせられたら堪らないと思ったのだ。カウンセラーのおじさんは、それに構わず説明を始めた。

 「“仲良きことは美しきことかな”なんて言葉がありますがね、人間が仲の良い状態を好ましく感じるのは、本来、人間が協力し合って生きる動物だからですよ。あなたが陰湿な人間関係を嫌悪するのは、あなたが“仲良きこと”を美しいと感じている裏返しです。つまり、あなたも協力し合って生きる動物としての性質を存分に持っているのです」

 無視してやろうかとも思ったが、わたしはそれに思わず言い返してしまった。

 「違うよ、おじさん。わたしは仲間グループの“同じにならなきゃダメ”みたいな雰囲気が嫌いなの。険悪なのも陰湿なのも嫌だけど、それが一番嫌い」

 ところが、それを聞くとカウンセラーのおじさんは何故か大きく頷くのだった。

 「なるほど。なるほど。なるほど。“同じになる”。そして、それを嫌がる。“個性を保ったままでいたい”。それも人間関係を考える上での重要なポイントの一つでしょう」

 は? 認めた?

 この人は、わたしに説教を垂れようとしているのじゃなかったのか? 戸惑っているわたしに構わずおじさんは語り続けた。

 「仲間になると、人々はその人にある程度“同じになる”ことを求める傾向にあります。ところが、ここに一つ罠がある。実は均質化状態というのはシステムにとってそれほど好ましいとは言えないのですよ。例えば、陸上スポーツなどでアフリカ出身の黒人選手が活躍する事がよくあります。何故だと思いますか?」

 「何故って。そりゃ、アフリカの人達の方が身体能力が優れているからでしょう?」

 気付くと、わたしはそう答えてしまっていた。もっと反発してやろうと思っていたのに。何か虚を突かれたような感じだった。

 「その通りです。しかし、実はそれでは半分しか正解ではない。アフリカの人々は遺伝的多様性に富んでいるのですよ。そのお陰で一芸に秀でた人が現れ易い。つまり、極端に足の速い人がいる一方で、足の遅い人もいるのです。これは民族間が隔絶していて、あまり交わらないからこそ起こった現象だと言えますね」

 わたしはその説明に首を傾げた。

 「何が言いたいの?」

 こんな事を語る意図が分からない。おじさんはそれを無視して続けた。

 「人々の交流が盛んになって、遺伝子が混ざり合い、均質化してしまったなら、このような傾向は失われてしまいます。つまり、“同じになる”ことには、デメリットもあるのですよ。多様性のメリットも活かしたいのなら、過剰な“同化”は防がなくてはならない、という訳です」

 それからフリーマーケットの方を指さした。

 「あそこにいる人々は、そういう意味では好ましい状態を実現しているとも言えます。それぞれが分断される事で、独自のIoTナノネットを育てているではないですか」

 わたしはその説明に顔をしかめた。

 「何を言っているの? あんなので良いって言っているの?」

 カウンセラーのおじさんは、それに深くゆっくりと首を左右に振る。

 「いいえ、違いますよ、お嬢さん。あなたが嫌悪しているあの状態は、もう一工夫でとても面白いものに変わるかもしれない。私はそう申し上げているのです。多様性と、協調。この二つを手に入れられたなら、人間社会にとってどれだけ有益であることか」

 

 ……正直な話、わたしにはこの人の語る内容の意義があまり理解できていなかった。ただ、人間社会の為とかそういうのではなく、この人がただただ実験を楽しむマッドサイエンティストのように思えて、少しだけ怖くなってしまった。

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