12.利己的な遺伝子
(憑人・星はじめ)
「いやぁ、助かったよ。紺野先生が既にこの件を調査していてくれて。まぁ、そうじゃないかとは思っていたんだが」
もう直ぐ、目的地の“IoTナノネットの街”に着こうかという辺りで、車を運転してる藤井さんがそう言いました。この人は紺野さんと懇意にしている(紺野さん自身は否定しそうですが)探偵さんで、そのコネクションを利用してナノネットが関わる事件の依頼を受ける事が多い、というちょっと特異な立場にいる人です。
今回は、藤井さんの所に“IoTナノネットの街”の調査依頼が来て、それで紺野さんに相談、そして僕にまで調査依頼が来て、再び僕はこの町を訪れる事になった、というつまりはそんな経緯によって至った状況だったりします。
紺野さんはナノマシン・ネットワークの研究者で、だから依頼がなくても当然、ナノネットの調査をする訳で、更にその過程で何かしら問題が発生しそう、或いは既にしていると分かったのなら、善良な人でもあるので解決だってするのです。要するに、藤井さんが依頼しなくてもただ伝えるだけでも放っておけば紺野さんは何かしら動くのでしょうが、どうも藤井さんはそう思ってはいないようでした。
“金を払っているから、紺野先生は自分の仕事を受けてくれている”
と、多分、藤井さんはそんな風に思っているような気もします。もっとも、紺野ナノマシンネットワーク研究所は、それほど資金面で恵まれてはいないので、藤井さんからの依頼は貴重な収入源になっているはずなので、それがモチベーションに影響しているだろう事もまた確かだとは思いますし、藤井さんだって紺野さんに依頼しなければ、自分がそれを解決した体にはできないのでしょうが。
因みに、藤井さんは紺野さんはから嫌われていると思っているようですが、僕は実はそうでもないのじゃないかと踏んでいます。貶したり文句を言ったりは多いですが、紺野さんはそれなりに藤井さんを気に入っているように思うのですよね。まぁ、どうでもいい話ですが。
「依頼をして来たのはこの街の住人達で、どうも皆の様子がおかしいとそう言うんだ。で、代表の人と話したんだが、その人は最近になって皆が使い始めた“IoTナノネット”が原因じゃないかと考えた。それでネットで調べてみた結果、ナノネット関連の事件をよく扱っている私に辿り着き、相談してみたらしい」
藤井さんは僕にそう説明してくれました。依頼主が誰なのかは守秘義務があるから言えないそうです。守秘義務を課しているのは、その住人の方達がそんな依頼をした事を皆に知られたくはないと思っているからでしょう。ならば、当然、それだけ今“IoTナノネットの街”には険悪なムードが漂っていると予想できます。前回、僕が山中さんと一緒に街を調査した時にはそこまで険悪な雰囲気はなかったので、それから状況が悪化したって事なのかもしれません。
「どうかな? ナノネットは悪影響を与えていそうかい?」
街に着いて車から降りるなり藤井さんがそう訊いてきました。きっと早々に調査を済ませて帰りたいのでしょう。
「いえ、流石にまだ分からないですよ。ナノネットの波紋の様子も前と変わらな……」
と言いかけて、僕は凝固しました。お互いがお互いに干渉し合い、それでも決して交わらずに反発し合って増幅されているようなそんな波紋が直ぐ近くから飛んで来ているのが見えたからです。しかも、僕のイメージが投影されているだけではありますが、それは朱色を帯びていました。
僕の表情を見て取って察したのか、藤井さんは「何かあったのかな?」とそう尋ねてきました。
「はい。なんか凄い波紋が出ています」
僕はそう答えると、その波紋が出ている方に向って歩き始めました。傍らのゴミ捨て場に捨てられてある冷蔵庫やテレビをチラリと見てみると、赤色の波紋に反応してビクビクと蠢いています。錯覚かもしれませんが、ゴニョゴニョと何かを繰り返し言っているようにも感じます。恨み言を言っているのかも。とにかく、普通じゃありません。藤井さんが怪訝そうな表情を浮かべて僕にこう訊いてきます。
「波紋が凄いって?」
「どう表現すれば良いのか分かりませんが、波紋が乱反射しているって感じです。フィーリングでの判断でしかありませんが、多分、あれは喧嘩して……」
そう言いかけて妙な気配に気付き、僕は口を止めました。藤井さんも僕と同時に気付いたらしく眉をしかめます。少し遠くから、何やら誰かが言い合いをしているような声が響いて来ているのです。
僕は藤井さんと顔を見合わせると、小走りでそこへ向かいました。すると、そこには二人の主婦らしき人達がいて、それぞれが小型の扇風機を持って口喧嘩をしていたのです。
「私の家のIoTの方が凄いわよ! ちゃんと何処に風を回せば部屋全体の温度が下がるのか調べてくれるのよ!」
「何よ! 私の家のIoTなんて人がいる方に自動的に風を送ってくれるのよ!」
僕と藤井さんは再び顔を見合わせます。こんなくだらない内容で、大の大人が喧嘩している光景は滅多に見られるものじゃありません。よっく目を凝らすと、二人が持っている小型の扇風機からはラクガキのような手足が伸び、薄っすらと目のようなものまであるようでした。間違いありません。IoTナノネットによって生じた付喪神です。
「星君。これはやっぱりナノネットの影響かな?」
藤井さんが小声でそう尋ねてきました。
「はい。十中八九、その影響かと。あの人達の持っている扇風機から手足みたいなのが伸びているのが見えますよ、僕には。ナノネットに憑かれています」
「よし。なら、これが効くはずだな」
藤井さんはそう言うと、何かペン状の機械を取り出しました。それから、それに付いているボタンを押します。
「それは?」と、僕が小声で訊くと「ナノネットの電磁波を乱して無効化する装置だ。紺野先生から借りて来た」とそう藤井さんは答えました。その言葉通り、ナノネットから出る波紋も消えていましたし、扇風機から伸びていたラクガキのような手足も引っ込んでいました。
それから僕らは二人の主婦の様子を、固唾を飲んで見守りました。すると、目の前で喧嘩していた二人の主婦の顔色が明らかに変わったのです。まだ口を動かしてはいますが、力がこもっていないというか。どうやら藤井さんは喧嘩を止めるならこのタイミングだと判断したらしく、口を開きました。
「あの……、失礼ですが、何を喧嘩しているのですか?」
それに反応して二人は同時に言います。
「この人が、自分のIoTを自慢して来るものだから!」
口を開いた瞬間はまるで爆発物に触れたかのような勢いでした。が、言い終えた途端に二人とも空気が抜けたような表情になったのです。自分達で言って気が付いたのでしょう。とてもくだらない内容で言い争いをしていたって。それから直ぐに顔を赤くして言います。
「……いえ、何でもないんです。ちょっと、苛立っていたようで。何をしていたのかしら、私達は?」
「ええ、本当にそう。何を…。そうだわ。こんなことをしている場合じゃないわ……。夕飯の支度をしないと」
二人とも我に返ってさっきまでの自分達の言い合いを恥じたらしく、それからそそくさとその場を去っていきました。
「なるほどな。こりゃ、思っていたよりも事態は深刻なのかもしれないな。紺野先生にさっさと動いてもらわないと」
去っていくその二人を見送りながら、藤井さんがまるで他人事のようにそう言いました。まぁ、この人にとっては本当に他人事なのかもしれませんが。
それから僕らはしばらく街を回りました。それで時折、不穏な波紋を見かけました。前回はまったく見られなかったものです。そして、それよりももっと気になった事が。
「波紋の感じが数種類あるみたいなんですよ、藤井さん」
「数種類? それって、どういう…」
「多分、ナノネットが数種類あるって事なのだと思いますが。でも、おかしいな。前回は違いになんか気付かなかったのに。短期間で突然変異でもしたのですかね?」
それに藤井さんは肩を竦めました。
「さぁ? まぁ、我々には分からんよ。後は紺野先生に任せよう」
完全に紺野さんに丸投げしていますが、確かに正しい判断だとは思います。僕らがあれこれ考えるより、紺野さんに任せてしまった方が確実で速いでしょう。僕らはある程度街を回ると紺野ナノマシンネットワーク研究所へ直に戻り、紺野さんに今日体験した現象を報告しました。
「ハードは恐らく同じだと思います。ソフトが変わったのでしょう」
すると、紺野さんはそう言いました。
「ソフトが変わった?」
「はい。まだ分析前なので推測になりますが、ナノネットがコピーを繰り返して様々な家々に広がっていく過程で、元は一つだったナノネットが数種類に分化したのではないかと考えられます。ナノマシン自体は同じ種類でも、その結びつき方が異なってしまった事で、お互いに相容れなくなったといったところではないでしょうか?」
僕はその説明にいまいち納得できませんでした。それでこう尋ねたのです。
「でも、だからってどうして喧嘩し合うのですか?」
その質問を受けると、少し考えるような仕草をした後で、紺野さんはこう訊いてきました。
「“利己的な遺伝子”って知っていますか? 星君」
「知っていますよ。遺伝子は自分達が生き残る為に、生物体を作るとかなんとかってやつでしょう?」
もっとも、“利己的”というのは比喩的な表現で、実際にはそう見えるというだけの話らしいですが。
「はい。その通りです。それと同じ原理はナノネットにも当て嵌められます。きっと“他のナノネットを貶して、自分達は褒める”といった方略が、彼らが繁殖する上で優秀だったのだと思いますよ」
僕はそれを聞いて、「はぁ、それは何となく分かりますが」とそう応えました。人間同士だって似たようなものですから。しかし、それから紺野さんはこんな事を言うのです。
「……もっとも、いつまでもその方略が優秀だとは限らないのですがね」
そして、こう続けます。
「今回の問題を根本から解決するのには、それが重要になって来るはずです。IoTナノネット達のメジャーな“生き残り方略”を変えてやるのです」
僕には紺野さんの説明が何の事なのかさっぱり分かりませんでした。しかし、それ以上を紺野さんは説明してくれません。
藤井さんは興味があるのかないのかよく分からない感じでそれを聞いていて、「まぁ、私としては、依頼さえこなせれば何でも構わないのですがね」なんて無責任かつやる気のなさそうなセリフを吐きました。
紺野さんはそれを受けて呆れた顔になりましたが、特に何も言いはしませんでした。




