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11.丹内さんの人格のコピー

 (高校生・稲盛太一)

 

 ここ最近、僕は上機嫌な日が多い。そしてその上機嫌の日、大抵、僕のカバンの中には、丹内さんから借りたての漫画二冊がビニール袋に入れられた状態で入っている。そのビニール袋は、丹内さんの漫画に付着したナノネットを少しでも逃さないようにする為に予め僕が用意しておいたもので、それを持って行くと決めた際には変態だと勘違いされないように(考え過ぎかもしれないけど)「漫画が痛まないようにするカバー代わり」という言い訳まで僕は考えた。

 『変態? “中らずと雖も遠からず”じゃないか』

 家でビニール袋を準備している時にそれを言ったら、スマフォのイズのやつがそんな事を言って来た。確かに少しばかり変態ちっくではあるかもしれないけど、こいつにだけは言われたくない。

 「お前が言うな! そもそも僕はお前の提案に従っただけだぞ?」

 『でも、楽しんでいるだろう?』

 「うるさいな!」

 ナノネットによって形成されるそれが疑似的な“人格っぽいもの”でしかない事は僕にも分かっていた。ただ、それでも丹内さんの疑似人格が僕の部屋にいて会話までできるようになるわけで、そう思うとその作業も自然と楽しくなってしまう。いや、そもそも丹内さんが僕に漫画を貸してくれるというその状況が、僕にとっては非常に嬉しいのだけど(決して、丹内さんが手で触っただろう漫画に触れられることに興奮したわけじゃないのは明言しておく)。

 ただ、そうしてできた丹内さんの疑似人格はまったくの期待外れだった。

 『おかしいな。もっとちゃんと喋れるはずなのにな』

 困惑しているイズは、言い訳がましい口調でそんな事を言った。

 そう。数度、丹内さんから漫画を貸し借りし、その度に地道に少しずつナノネットを追加し培養し続けた“丹内さんの人格のコピー”は、ほとんど会話ができなかったのだ。

 ペットボトルに入れた彼女のナノネットとパソコンを接続し、会話の準備を整えたのだけど、質問をしても言葉にすらならない場合が多く、稀に返って来ても見当外れの内容だったり、答えるのを拒絶したりするのだ。

 例えば、「僕の事が好き?」みたいな質問には何かの模様のような文字化けした羅列が返って来た。それで、もしかしたらちょっと答え難い質問だったからかも、と思って、別の答え易そうな質問をしてみたら、今度は見当違いな内容が帰って来たのだ。例えば、「好きな食べ物は?」と訊いて、『国語が好き』と返って来たり、「デートは楽しかった?」と訊いて、『並木さんは意外に話し易い人で安心して不安になったの』と返って来たり。

 これじゃ、まったく役に立たない。

 “おかしいな”と繰り返すイズに対し、僕は「こんな事だろうと思ったよ」とそう言ってやった。イズは自分がナノネットの雑念を取り払って、純粋な丹内さんの精神だけを抽出すれば、後はそれを増やすだけで会話までできるようになるはずだとか言っていたのだ。でも、考えてみれば、そのイズの言葉には何ら根拠なんてなかったのだった。それを信じた僕が馬鹿だったのかもしれない。

 ところがだ。しばらく悩むと、イズはこんな事を言って来たのだ。

 『やれ、仕方ない。一度に質問をして、一度に返答をもらおう。直接、本人から』

 僕は当然“こいつは、何を言っているのだろう?”とそう思った。直接、本人に訊けないからこそこうしてナノネットで人格のコピーを作っているってのに。ところが、それはそういう意味ではなかったのだった。

 

 学校、昼休み、丹内さんのクラス。僕は丹内さんに近付いていく。ポケットの中にはスマフォがある。つまり、イズがいる。イズにはプラスチック製の醤油入れが巻き付けてあって、その中にはナノネット入りの水が入っていた。もちろん、それは中途半端に丹内さんの人格がコピーされたナノネット入りの水だ。

 『できるだけ長く、丹内さんと会話する事。それが君に与えられたミッションだ』

 なんて、イズはまるでスパイ映画かなんかのワンシーンのような口調でそう言った。どうやら丹内さんのナノネットと一緒に彼女に近付けば、彼女に付着しているナノネットとの接続が可能になるので、それで質問応答の為の情報交換をしようという算段のようだった。ナノネットに蓄積された僕の質問の情報を流し、その返答を貰おうというのだ。

 もっとも、そんなに簡単に上手くいきはしないだろうと僕は思っていたのだけれど。

 「漫画、ありがとう。とっても楽しかったよ」

 僕は丹内さんに呼びかけると、そう言ってバックの中から漫画を取り出した。そこには僕が彼女に貸す予定の漫画も重ねてあった。別に“僕と彼女の漫画が触れ合っている。ドキドキだぜ”なんて事は思っていない。本当に。

 僕が持ってきた漫画を見ると、彼女は「へぇ。実はわたし、こーいう漫画を読むのって初めてなの」とそう言った。僕の漫画は柔道漫画だけど、汗臭く泥臭い印象はあまりなく、どちらかと言えば爽やかなスポーツ漫画のような感じだから彼女でも抵抗なく読めるだろうと思って僕はお薦めしたのだ。並木さんも読みたがっていたけれど、後で良いだろう。

 「多分、想像しているような漫画じゃないと思うよ。ギャグとか楽しいし、女の子でも好きになるようなキャラクターも多いし」

 僕がそう言うと、彼女は楽しそうにしながらこう返して来た。

 「ふーん。楽しみかも。わたしの漫画はどうだった?」

 「面白かった。ただ、ちょっと男キャラが女の子の願望を反映し過ぎだとは思ったけれど」

 「それはお互い様よ。わたしも少年漫画を読んでよくそう思うもの。“こんな女、いねーよ”って」

 僕はそれを聞いて、心の中でこう思う。

 “実際に目の前にいるのになー”

 丹内さんはその実在が疑わしい理想的な女の子だ。少なくとも僕にとっては。

 しばらく会話を楽しむと、名残惜しいとは思いつつ、僕は彼女と別れて人気のない場所に行ってからイズにこう話しかけた。

 「どうだった?」

 イズは“グーサイン”をラクガキのような手でつくりながらこうそれに応えた。

 『任せてくれ。初めてだから、やや不安ではあるけど、感触は確かにあった。彼女からの返答をキャッチできたと思う』

 僕はその言葉を信じようかどうしようか迷ったけれど、一応は喜んでみる事にした。

 「そうか。家に帰ったら、パソコンに接続して確かめてみよう!」

 それでその日、家に帰ると僕らは早速パソコンを起動させて、丹内さんのナノネットからの返答を確かめてみたのだ。

 が、

 『僕と彼女の漫画が触れ合っている。ドキドキだぜ』

 まず初めにそんな文字が。

 イズが首を傾げるような感じにラクガキの顔を曲げる。

 『どーいう意味だろう?』

 僕は静かにそれに応えた。

 「うん。イズよ。もう一度、チャレンジしてみようか……」

 それから何度かチャレンジをして、ようやく返答らしきものが得られるようになるまでには一週間くらいかかった。

 

 ――ある休日の朝、玄関の方から女の人の声が聞こえて来た。恐らくは近所のおばさんだろうその声は、叔父さんに対して妙に甲高い調子で話していて、どうやら誰かの悪口を盛んに言っているようだった。叔父さんはそれに困ったような感じで「そうですねぇ あはは」などと返している。

 それが終わって居間に戻って来た叔父さんは、水の入った小さなペットボトルを持っていた。

 “IoTナノネットなのだろうな”と、僕は察する。

 「分けてもらったの?」

 僕がそう質問すると、叔父さんはやや疲れたような感じで「ああ、使ってみろと勧められた」とそう答えた。

 「人気あるねぇ、叔父さん」

 つい先日も何処かの誰かがIoTナノネットを置いて行ったばかりなのだ。叔父さんはため息を漏らすとこう応えた。

 「と、言うよりも、“信者を増やしたい宗教”みたいなもんだろう。叔父さんは、あまり深い近所付き合いをして来なかったから、色々な仲良しグループが、叔父さんを引き抜こうとしているんだ」

 それを聞いて、僕はちょっとした疑問を覚えた。

 「そう言えば、違う系統のIoTナノネットを一緒に使うと、IoTが上手く機能しなくなるって聞いたけど」

 叔父さんはそれに頷く。

 「ああ、そう聞くよなぁ。でも、なんか平気なんだ、家の場合……」

 そして、こう続ける。

 「案外、それって人の心の問題だったりしてな。ナノネットって人の精神から影響を受けるっていうし」

 多分、半分は冗談だったんだろうけど、叔父さんの性格なら有り得ると僕は思った、それからふと思い付いて口を開く。

 「叔父さんってどうして婚活しないの?」

 叔父さんの外見はそこまで悪くない。性格だってとても良い部類に入るだろう。しかも一軒家を持っている。条件は良い方なのじゃないかと思う。だから、叔父さんなら結婚をする気になりさえすれば、直ぐにでもできると僕は思うのだ。ところがそれを聞くと、叔父さんは苦虫を嚙み潰したような顔をしたのだった。

 「お前な、答え難い質問をするなよ」

 そして、そう言って来る。

 僕はそれを不思議に思った。

 「いや、だって、こんな家だって持っているのに」

 僕はその言葉の中に無自覚の内に、“結婚する気がないのなら、どうしてこんな家なんて買ったのか?”というニュアンスを含ませてしまっていた。叔父さんは敏感にそれを感じ取ったらしく、淡々とこう返して来た。

 「本当を言うとな、前は婚約者…… と言っても良いような相手が叔父さんにもいたんだよ。で、いつ結婚しても良いようにと思って叔父さんはこの家を買ったんだ」

 それで僕は自分がまずい質問をしてしまった事に気が付いた。

 「なんか、ごめん……」

 叔父さんは首を横に振る。

 「太一は悪くないよ」

 少し考えると、僕はこう口を開いた。

 「もうちょっと別の質問をしても良い? またちょっと答え難い質問なのだけど」

 「なんだ? 構わないが」

 「叔父さんは、その相手とどうして上手くいかなくなっちゃったの?」

 その時の僕は、どうしてもそれを知りたかったのだ。それを聞くと、叔父さんは軽く鼻から息を吐き出した。それから少し考えると口を開く。

 「上手くいかなくなった…… と言うか、あれは、そうだな。それ以前の問題だったんだよ。叔父さんがいると思っていた相手は実は存在していなかったんだ。相手にとってもそれは同じだったんだろう」

 「どういう意味?」

 「平たく言えば、叔父さんは相手の事を分かっているつもりになっていただけで、実は相手を何も分かっていなかったんだよ。そして、同じ様に相手も叔父さんを何も分かっていなかった。結婚しても上手くいきっこないってそれで悟ったんだな……」

 僕はその叔父さんの話に少しドキリとした。丹内さんを思い出していたのは、言うまでもない。

 それから叔父さんは軽く肩を竦めると、こう続けた。

 「まぁ、結婚相手ってのはさ、ずっと付き合っていくんだから、自分の悪い部分を全部見せても平気ってな相手が一番なんだってそれで叔父さんは思ったんだよ。ところが、そんな相手は滅多に見つかるもんじゃない。と言うか、そこまでの関係に持って行くのがまず難しいわな。――で、そんな事を思っているうちに、どんどん時間だけは流れていっちまうんだ」

 その時、叔父さんはピエロみたいな感じで笑いを取ろうとしていたようにも見えたけど、僕は笑ってあげることができなかった。

 

 それから、一人になって、僕は並木さんの事を思い出した。僕は彼女の悪い部分もたくさん見ているし、彼女も僕の悪い部分をたくさん見ている気がする。

 しかし、ま、もし結婚をしたとしたら、絶対に上手くいかなくなる自信はあるけども……

 それからまたちょっと経った。

 

 『感謝もしているし、信頼もしている。でも、あまり好きになってもらえる自信はなくて』

 

 夕方、学校帰りの自分の部屋で、僕はそんな文字を眺めていた。

 それは丹内さんのナノネットからの返答で、正直な回答であるのかも、本当に丹内さん本人の返答と言えるのかどうかも分からないものではあったのだけど、それでも僕には無視できなかった。

 それが、僕のどんな質問に対する返答かは分からなかった。実はイズが拾って来る丹内さんのナノネットからの返答には文脈がないのだ。こちらの質問を一度に流して、その質問に対する反応をデタラメに捉えるような感じだから。ただ、一番有り得そうなのは、「僕の事が好き?」という質問に対するものだろうとは思っていた。もっとも、“感謝”というのがいまいちピンと来ない。どうしてそんな言葉が出てくるのだろう?

 それから少し考えて僕は思い出した。

 “確か、ずっと前に並木さんから、丹内さんが僕を‘命の恩人’と言っていたって聞いたな”

 “感謝”という表現にしっくりくるのはその“命の恩人”というキーワードだろう。でも僕には、彼女の命を救ったなんて記憶は一切なかったのだけど。

 そんな事があって、もっと詳しく話を聞きたいと強く僕は思うようになった。どうしてか、僕には彼女が必死に僕に何かを訴えているような気がしたから。そしてその望みはしばらくしてから叶ったのだ。それは、まるで運命が僕を試しているかのような出来事だった。

 何度も直接丹内さんのナノネットから返答を受け取っていたお陰か、それから徐々に僕の部屋の丹内さんの人格のコピーとも会話らしきものができるようになっていったのだ。つまり、当初、イズが言っていたのと近い状態になったのだ。そしてそのお陰で、僕はもっと詳しい話を聞けるようになった。

 もっとも、それまでの経緯で、その会話をしている相手が、丹内さん本人とはとても言えない、幽霊の残滓のようなものなのだと僕は悟っていて、それほど嬉しくもなかったのだけど。

 ただし、その丹内さんの幽霊の残滓との会話を繰り返すうち、僕は普段彼女が隠している生の感情の、少なくともその一部分には触れられた気がしたのだ。

 

 『わたしは、あなたが思っているような綺麗な女の子なんかじゃない』

 

 彼女の幽霊の残滓の言葉の中から、僕はそんな“訴え”を見つけた。そうなのかもしれない、と僕はそれを見てそう思った。そして僕は……

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