白紙に綴る夢より* 東山真実
短編集第2弾!
今回は緋絽です、よろしくどうぞ!
俺は由輝が羨ましかった。
理由は2つ。
一つ目は次男であること。
長男はいろいろと大変なのだ。
特に、一人っ子は。
2つ目は───兄ちゃんがいること。
俺と由輝が小学校6年生で秋良さんが中学2年の時。
「ちょっと聞いてくれよ真実!兄ちゃんがさー!」
朝迎えに行くと由輝は必ずこの言葉から始める。
この時からすでに秋良さんは要領がいいというか、のらりくらりとしていたようで、由輝は苦労していた。
この日の話は、生徒会長に推薦されようとしていたのを寸前で秋良さんが叩き潰したことだった。
生徒会長になれば受験の時有利なのよと由輝達のお母さんに言われて返した言葉は、『裏方の方が動きやすい』。
何故か悪どいことを企んでいるように聞こえるのは俺だけか。
秋良さんは常に成績は上位で本気を出せば一位を取ることも可能らしく、一度やってみたらと言ってみたら、一位とっても面白くないとの返事だった。
いや、面白い、面白くないの話じゃないだろうと。取れるか取れないかじゃないのかと、言いたかった。
まぁ、つまり、秋良さんは中学生の頃から変人と紙一重の天才っぷりを発揮していたということだ。
だからか、あんまり兄弟がいて羨ましいとは思ったことがなかった。この時までは。
俺の家はちょっと特殊で、寝間着は浴衣、ここぞという時の正装は着物という今にしてみればなんかおかしな式たりのある家だった。
父さんは俺が生まれて数年後に他界し、家長というか、当主は高校生になった今でも俺のばあちゃんである。
そして、さらに。かなり特殊なことに、着物での作法は身にしみるほど叩き込まれ、いろんな芸能も、ある物以外は作法ほどではないが叩き込まれた。
なんで俺が?と聞くと、お前しかいないからとばあちゃんに速攻で返された。
今となっては、まぁその理由もわかるのだが、それは今は置いておく。
とにかく、小学生にやるにしてはおかしなほどスパルタな教育だったのだ。
逃げ出したくなるほどに。
「真実、体が傾いておるぞ」
「いてっ」
ばあちゃんに腰を強く叩かれる。
とっくに寝たきりになってもおかしくない歳なのに、真っ直ぐ伸びた腰と意思の強そうな瞳を見ると、絶対死なないような気がする。
この時、俺は舞踊の練習をしていた。
ただ見てすごいと思っておるより少しかじっておいた方がこの先役に立つかもしれぬ、とのばあちゃんのお達しのせいだった。
「指先、視線、腕の高さ、足の開き具合、手先から足の先にかけての優美なる曲線」
「いっ、いて、いてっ、いたっ」
ばしばしとダメ出しと共に直すべきところを容赦なく叩かれる。
「───てんでなっておらぬ。やり直せ」
「ぐっ。……至らず、申し訳ありませんっ」
手に持っていた扇子をそっと床に置いて膝を揃えて床に手をつき礼をする。
いわゆる土下座状態だが、前にばあちゃんに言うと、「土下座を馬鹿にしてはならぬ!それは元々歴とした美しき礼儀の所作なのじゃ!目上の方に敬意を払うために使われておった物を、安易に軽々しく謝罪の為に使われるものと同じに扱うでない!」と、叩き返された。
「ほんにそうじゃな。私は忙しいのじゃ。本来ならばお前の稽古につきおうてやる時間などないというのに」
───俺がやるって言ったわけじゃないですけどね!つーか、なんで俺が舞踊の練習をしなきいけないんだ!
顔を上げてばあちゃんを軽く睨む。
完璧に家をまとめ上げている、年老いてもなお大輪の薔薇のように美しい女当主がそこで悠然と座っていた。
俺にとって、“ばあちゃん”の顔をした“女当主”は、怖くて理不尽なことを叩きつけてくる人でしかなかった。
ただの“ばあちゃん”に戻ると優しいのになー。
「申し訳ありませんでしたっ!では本日の稽古は大奥様のご多忙により終了でよろしいですね、よろしいですかそうですかっ!」
言い切って立ち上がる。
ふざけんじゃねぇ。今日は由輝達と遊びに行く予定だったのに。
「優雅に振る舞えといつも言っておるじゃろうが」
厳しい声がのしかかってきた。
「うぐっ!すみませんっ!では失礼します!」
「どこへ行くのじゃ」
「───由輝のところですっ!」
八つ当たり気味に強く扉を閉めて、稽古用の着物のまま外に飛び出した。
坂を駆け下りて由輝の家の前まで一気に走った。
そこまでしてから、ようやく気づいた。
由輝は今、他のみんなと一緒に遊びに行ってて家にいないことを。
肩で息をしながら少しの間呆然とした。
由輝がいないんじゃ外に出ても意味がない。とにかく早く誰かに会わないと、ばあちゃんの命令で誰かが迎えに来てしまう。今はまだ、帰りたくないのに。
自分の荒い息以外、何も聞こえなかった。なんとなく、惨めな気持ちになる。惨めな気持ちに、なったら。
不意に涙が出てきた。強烈になんだかよくわからない感情がこみ上げてきて、嗚咽まで出て苦しいったらない。
「ぅっ、うっ、うーーっ」
声をこらえて涙を止めようとしたのだが、余計に苦しくなる。
どうしようとパニックになりかけの頭にグルグルと同じ思いが何度も駆け巡った。
───俺が、一人っ子じゃなかったら。
兄ちゃんか姉ちゃんか弟か妹がいれば、今ほど厳しくなかったはずなのに。なんで俺には兄弟がいないんだ。
なんでこんなに苦しい思いをしてまで稽古しなきゃいけないんだろう。
由輝の家の周りの塀に背を預けてしゃがみこむ。
もう、嫌だ。
「真実?」
突然聞こえた声にびくりと体が跳ねた。
泣いてぐしょぐしょになった顔のまま声の主───秋良さんを見上げる。
俺の顔を見て一瞬目を見開いたあと、心得たように眉を顰める。
「泣かせたな、真実を」
その時、秋良さんがボソッと言ったことを泣き顔を見られたことによるパニックで俺は聞いていなかった。
「あ、秋良さ…」
「真実さん」
別の方向から聞こえた声にまた体が跳ねる。
ヤバい。由輝に接触しないうちに、家に連れ帰られる。
ザァッと血の気が引いた音を聞いた。
「あ…」
「帰りましょう。勝手に稽古を終わったことにしてはいけません」
有無を言わさぬ物言いに、体がびくりと跳ねる。
秋良さんに助けを求めようと思ったが、突然で事情もわからないだろうと諦めた。
そうして俯いてささやかな反抗をしてみるも、意にも介さずさっさと連れ帰りに来た人は俺の手を取った。
手を引かれて歩き始めた瞬間、強く後ろから引っ張られすっぽりと抱きしめられた。
「え…」
「悪いけど、真実の稽古は終わりだってそちらの御当主様に伝えてくれる?」
「秋良さん」
秋良さんが俺を後ろから抱きしめていた。
大丈夫だと言うようにお腹を軽く叩かれる。
「しかし…」
「あなたの主人は人と話してる者を連れ去ってこいというような常識知らずなのか」
突然秋良さんが冷ややかな声と目で俺を連れ帰りに来た人を一瞥した。
相手がぐっと言葉を呑む。
「……失礼致しました。では、これで」
相手が去っていく。
俺は驚いて秋良さんを見上げた。
さっきの冷ややかな様子なんて微塵も感じさせない柔らかい笑顔で秋良さんが俺を見ていた。
ちょっと胸が詰まる。
助けて、くれた。
「秋良さん、あり、ありがとう」
「いえいえ真実のためならいくらでも」
秋良さんが俺の頭を撫でる。
「真実、頑張ったな。大変だっただろ?」
また、我慢できなかった。
ボロボロと涙が零れる。
「秋良さぁ~ん」
「もう大丈夫だからなー。好きなだけ泣け泣け」
ポンポンと背中を宥めるように叩かれた。
この時、思った。
───由輝、いいなぁ。こんな兄ちゃんがいて、羨ましいなぁ。
中学校の制服が涙で汚れても嫌な顔せず俺を宥めてくれる兄ちゃんがいて羨ましいなぁ。
秋良さんの部屋に連れて行かれ、俺はひとしきり泣いて促されるままに事情を話した。
秋良さんは始終ニコニコしていた。
「落ち着いた?」
「はい…」
ずびっと鼻をすする。
「真実は、稽古を辞めたいの?」
「それは…違います。ただ、俺は、この先もずっと、約束があったりしても、家の稽古を優先させなきゃいけないのかと思って。それが、嫌なんだ」
厳しくてもいい。理不尽でもいい。
今は“御当主様”でも、“ばあちゃん”なんだからきっと少なくとも意味はあるはずだ。
───でも、こんな風に閉じこめられるように稽古をするのは、嫌だ。
甘ったれだと“御当主様”は言うだろう。
それでもいい。由輝達とドンドン離れていくような生活はしたくない。
「俺だって、みんなと一緒に遊びたい」
唇を噛んで俯く。
「───俺も長男だけど、真実みたいに大変な思いをしたことないから、真実の気持ちは分かってあげられない」
勉強机の椅子に座っていた秋良さんが立ち上がって俺の隣に座った。
秋良さんが俺を見てにかっと笑う。
「だけど、ちょっとなら助けてやれる。助けてほしいか?」
「え…いいの?」
「そらしょうがない。可愛い真実のためだもん。お兄ちゃん、一肌脱ぎましょう」
わしわしと頭を撫でられる。
「……ちょっとでいいから、お願い秋良さん」
いいなぁ。俺も兄ちゃんほしいなあ。
秋良さんの笑顔を見てまたそう思った。
「助けて」
「任せろ!」
その後、稽古は週3日に減らされた。
いいの?とばあちゃんに聞くと、「仕方なかろう。あれにはいくら年配の者を敬う態度で臨めと言っても常識の通じぬ奴じゃからな。いくら私でも奇人変人の類は相手に出来ぬ」と返ってきた。
ちなみに、秋良さんにどうやったのか聞いても笑って誤魔化されて教えてくれなかった。
ただ、一度だけこう返ってきた。
「裏方の方が得意なんだ」
俺は笑ってしまった。
俺は由輝が羨ましい。
理由は2つ。
一つ目は、次男であること。
長男は色々と大変なのだ。
特に、一人っ子は。
2つ目は────兄ちゃんが、いること。
この話にしては珍しく真実が弱っちいですね。
ばあちゃん、何者なんだ。(≧∀≦)