第1話 チュートリアルの中ボス
「――よくぞ来た、勇者よ。我こそは魔王軍五魔将が一人、黒鎧のヴァルガス……」
あ、待って。
これ、俺の台詞か。
口が勝手に動いていた。いや、正確には、口のほうが覚えていた。
字幕と音声がずれていないか、声が途中で切れていないかを、仕事で三千回は確かめ続けた台詞なのだから。
目の前に、少年がいる。
年は十五で、くすんだ金髪に継ぎの当たった村人の服を着ている。両手で握った剣だけが、場違いなほど白く輝いていた。
――勇者リオ。
俺が開発に関わったゲーム、『エルディア・サーガ』の主人公だ。
そして俺の視界の端には、黒い籠手に包まれた、自分の巨大な手がある。
(……嘘やろ)
思い出した、というより、記憶が一気に流れ込んできた。
前世の俺は、ゲーム会社のデバッガーだった。三十二歳で、『エルディア・サーガ』のバグ探しに三年を捧げ、発売前夜に会社の床で目を閉じた。記憶はそこで途切れている。
そして今の俺は、ヴァルガスだ。
魔王軍の五魔将の一人にして、ゲーム開始からたった十五分で倒される、チュートリアルの中ボス。
(よりによって、ここかよ……!)
場所は、廃砦の大広間。原作の流れは、こうだ。
ヴァルガスが名乗り、勇者が震えながら斬りかかる。三合打ち合ったところで聖剣が光り、勇者の一撃がヴァルガスの兜を割って、ヴァルガスは黒い煙になって消える。
この敗北で、聖剣の第一の封印が解ける。五魔将を全員倒して封印を五つ解かなければ、最後に魔王は倒せない仕組みだ。
つまり――。
(俺が負けないと、世界が終わる)
しかも原作のヴァルガスは、この戦いのあと「消滅」する。要するに死亡だ。
開幕で破滅が確定していた。それも、自分から進んで破滅しにいかなければならないタイプの。
「ど、どうした……! かかってこないのか、魔将!」
リオが叫んだ。声は裏返り、剣先は小刻みに震えている。
いや、震えすぎじゃないか?
(待て待て。原作でも勇者は"震えながら"斬りかかってくるけど、それはテキストの話や。モーションはもっと様になってたぞ)
目の前の少年は、どう見ても剣の素人だった。
腰が引けて、重心が踵に乗っている。あれでは振り下ろしても、兜どころか肩当てにも届かない。
背後で、骨の擦れる音がした。
振り向かなくても分かる。柱の陰に立っている、監視役のスケルトン二体だ。原作にもいた、ヴァルガスの戦いぶりを魔王に報告する係である。
露骨に手を抜けば、報告される。
負けなきゃいけないのに、わざと負けたと分かる負け方をしたら、今度は魔王軍に処刑される。
(要件を整理しよう)
デバッガーの癖で、頭の中に箇条書きが並んだ。
一、勇者に兜を割らせる。
二、手加減したと、監視役に悟られない。
三、死なない。
(無理ゲーでは?)
腰の革袋に、そっと指を入れる。
硬い紙の感触が、二枚あった。
(……三だけは、なんとかなるかもしれへん)
確かめている暇は、なかった。リオが、震える足で、じりっと間合いを詰めてきている。
「――愚かなり、勇者よ!」
俺は大剣を抜いた。身の丈ほどもある黒い刃が床石を削り、火花が散る。
リオの肩が、びくりと跳ねた。
「その構えで、我に届くと思うたか! 重心が踵に乗っておるわ! 剣とは、足で振るものと知れ!」
「な、なんで魔将が、そんなこと教えるんだよ!」
「教えてなどおらぬ! 嘲っておるのだ!」
「嘲ってる人は、そんなに細かく言わないだろ!」
(……ごもっともや)
柱の陰で、スケルトンの顎が、小さく鳴った。まずい。
ごまかすように、大剣を大きく振りかぶる。
わざと遅く、わざと大振りに。監視役の目には、怒りに任せた一撃に映るはずだ。
「う、わっ!」
リオは転がるように横へ逃げた。刃が床を叩き割り、石の破片が飛び散る。
――避けた。いいぞ。
「逃げるか! だが、左が空いておるぞ! 我が左脇は、鎧の継ぎ目よ! もっとも、貴様ごときに狙えるはずもないがなァ!」
(狙ってくれ。頼むから狙ってくれ)
リオの目が、俺の左脇に動いた。
気づいたのだ。少年の顔に、迷いと、それから小さな決意が浮かぶ。
「う、うおおおおっ!」
踏み込みは浅く、剣筋は右に流れている。
俺は半歩だけ左にずれて、刃がちょうど継ぎ目に当たる位置へ体を差し出した。
ギン、と硬い音。浅いが、確かに当たった。
「ぐぬうっ! 小癪な!」
大げさによろめいてみせると、柱の陰でスケルトンがカタリと顎を鳴らした。今のは「勇者の一撃が通った」ように見えたはずだ。
(ナイスや、リオ。今の踏み込み、十点満点で四点。でも勇気は満点)
「あ、当たった!」
「図に乗るな、小僧!」
「小僧じゃない! リオだ!」
声は震えているくせに、そこだけは、はっきりと言い返してきた。
(知っとるわ。三年間、毎日その名前でバグ報告を書いとったんや)
「なぜだ……! なぜ震えておるのに、立ち向かう!」
これも原作の台詞で、ここで勇者はこう答える。
「村のみんなが、待ってるんだ!」
リオの声は、もう裏返っていなかった。
剣を握り直したとき、その重心はほんの少しだけ前に出ていた。さっき俺が怒鳴ったとおりに。
(――覚えが早い)
三合目。俺は大剣を真上から振り下ろした。原作のモーションどおりの、隙だらけの大技だ。
リオは、避けずに前へ出た。
俺の懐へ、まっすぐ飛び込んでくる。
その瞬間、聖剣が光った。
白い光が広間を塗りつぶしていく。原作で何千回も見たエフェクトなのに、本物は肌が焼けるほど眩しかった。
光の中で、リオの剣が俺の兜を下から打ち上げる。
――パキン。
乾いた音とともに、兜に亀裂が走った。
ヴァルガスの撃破判定は、体力が尽きることではない。兜が割れることだ。
――撃破判定、成立。
(よし、負けた!)
「ば、馬鹿な! この我が、人間の小僧ごときに……!」
膝をつく。台詞は一字一句原作どおりで、声の震え方まで再現してみせた。収録に立ち会って、声優さんの演技を百回は聞いたからな。
「見事だ、勇者よ……! だが覚えておけ。魔王様は、我など比べ物にならぬ! グ、ググ……ぐわあああああっ!」
腰の革袋の札を一枚、握り潰す。
ヴァルガスが倒れたあとに噴き出す黒い煙は、ただの演出だ。開発中は、その煙の裏で、ヴァルガスが転移の札を使って退場していた。テスト用に残されたまま、誰も消さなかった処理である。
――仕様どおりなら、これで、死なずに済む。
足元から黒い煙が噴き上がり、俺の体を包んでいく。
視界が暗転する直前、呆然と立ち尽くすリオの顔が見えた。
泣きそうな顔で――でも、確かに笑っていた。
***
転移した先は、廃砦の裏手の森だった。
原作のマップには存在しない、開発中に一度だけ作られて没になった座標だ。
「はー……」
木の根元に座り込んで、割れた兜を脱ぐ。
汗は冷たく、指先はまだ震えていた。さっきまで俺に剣を向けていた十五歳より、よっぽど震えている。
「生きてる……」
生き残ったし、世界もとりあえずは終わらずに済んだ。
第一の封印は解けたから、勇者は原作どおり街道を通って村へ戻り、次の目的地を目指すはずだ。
(……待てよ)
頭の中で、原作のマップを開く。
廃砦から村へ続く街道は、チュートリアルを終えた勇者が初めて一人で歩くフィールドだ。出てくる敵はスライムと大ネズミだけで、初心者が安心して操作を覚えるための、平和な道になっている。
その街道の方角から、地面を揺らす足音が聞こえた。
木々の隙間に、巨大な影が見える。
岩のような皮膚に覆われ、背丈は俺の三倍はあった。
――岩喰いのトロル。原作では、ゲームの中盤にならないと出てこない魔物だ。
「……なんで、チュートリアルの道に、中盤の敵が配置されてるんや」
バグではない。配置データなら、俺は全部覚えている。あそこにトロルを置いた人間は、開発チームのどこにもいなかった。
誰かが、勇者を殺しに来ている。




