第46話:扇風機の首振りと、永久無償インフラ
夏の昼下がり。
実家の縁側。
蝉の声。グラスに注いだ冷えた麦茶をあおる。
庭の物干し竿。
火山灰から守り抜いた布団が、太陽の匂いをたっぷりと吸い込んでいる。
完璧な休日。
バラバラバラバラッ!
上空から、鼓膜を劈くような轟音。
庭の芝生が激しく波打ち、砂埃が舞い上がる。
見上げる。
実家の真上、数十メートルの低空でホバリングする迷彩塗装の巨大な軍用ヘリ。
「きゃっ! カケル君、お布団が飛ばされちゃう!」
未亜が悲鳴を上げ、縁側へ飛び出そうとする。
干したての布団への、物理的な風圧ダメージ。
明確なエラー。
視界の端で『論理最適化』のスキルを起動。
ターゲットを『ヘリから生じる下方への風圧』に設定。
扇風機の首振り機能を固定するように、風のベクトルをすべて上空へと反らす。
カチリ。
猛烈なダウンウォッシュが消滅。
庭には、そよ風一つ吹かない無風空間が保たれる。
サンダルを突っ掛け、庭へ降りた。
シュルルルルッ。
上空のヘリから黒いロープが投下される。
完全武装の隊員たちが、次々と我が家の庭へ降下。
最後に降り立ったのは、胸に無数の勲章をぶら下げた初老の男。
防衛省の制服組トップ、幕僚長。
彼らは周囲を警戒することなく、縁側に立つ俺の姿を真っ直ぐに捉えた。
「天羽様ァァァァァッ!!」
将軍が、なりふり構わず駆け寄ってくる。
俺の数メートル手前。
アスファルトに両膝を激しく打ち付けた。
ザザーッ、と滑り込むような見事な土下座。
背後の完全武装の隊員たちも、一斉に地面に這いつくばる。
「日本を……いや、世界を救っていただき、何と御礼を申し上げればよいか!」
将軍が、顔を上げて大粒の涙を流している。
狂信者の目。
「あの絶望の火口を指先一つで鎮めるばかりか! 富士の霊脈を清浄なる光で満たし、この国全体に神聖な加護を与え給うた! あなたは、日本を救った神か!」
大の大人が鼻水を垂らしての絶叫。
近所の目。
ただの騒音被害。
ポケットに手を入れたまま、足元の将軍を見下ろす。
「神とかじゃないんで。お引き取りを」
「お待ちを! 国家の総力を挙げ、この御恩に報いさせてください! 地位、名誉、莫大な資産! 何なりとお申し付けを!」
すがるように手を伸ばしてくる将軍。
提示される国家規模の報酬。
ふと、一つの未処理タスクが浮上する。
富士山の瘴気を浄水器の要領で濾過し、変換したクリーンな魔力エネルギー。
現在、富士山周辺の地脈を無駄に漂っている状態。
「じゃあ、交渉といきましょう」
「はっ! 何なりと!」
将軍が、ごくりと唾を呑む。
世界の覇権か、国家予算の半分か。
顔に浮かぶ、重大な決意。
「あの富士山から出てるクリーン魔力。放置するのも勿体ないんで、うちの実家に直接ホースで引いていいですか? 電気代、浮くんで」
「…………へ?」
将軍の動きが、ピタリと止まった。
「勝手に地下から管を引いたら、公道の下とか通るし許可が要る。あんた防衛省のトップなら、その辺の話通せる?」
沈黙。
国家の存亡を救った対価。
実家の電気代を節約するための『魔力引き込み工事の許可』。
「ほ、ホース……? で、電気代……?」
「無理ですか」
「い、いえェェェェッ!!」
将軍が、再びアスファルトに額を叩きつけた。
「ホースなどと、とんでもない! 国家直轄の特別工事として、最高純度の専用地下パイプラインを即日敷設いたします! もちろん、費用は全額国庫負担!」
「助かる。じゃあそれで」
「それだけでは、我々の気が収まりません! 天羽様の邸宅における電気、ガス、水道。あらゆる公共インフラの永久無償化を、国家権限を以てお約束するゥゥゥッ!」
泣きながら、特権を上乗せしてくる将軍。
電気、ガス、水道の永久無償化。
エアコンを二十四時間つけっぱなしにしても、風呂の湯を流しっぱなしにしても、請求書は来ない。
究極の堕落環境の構築。ランニングコストの完全な消滅。
「マスター。インフラ引き込み契約、および生涯無償化の覚書、作成完了しました」
背後。
メイド姿のセレナが静かに歩み出る。
手には電子署名用のタブレット端末。
オロチ討伐以降、常軌を逸した実務代行スピード。
最高スペックのスマート家電の挙動。
「サインを」
冷徹な声。
将軍は震える手でタブレットを受け取る。
涙で画面を濡らしながら、躊躇なく電子署名を刻み込んだ。
ピコン。
スマホに、インフラ永久無償の証明コードが転送される。
「よし。これで電気代を気にせず、コタツでアイスが食える」
「カケル君、すごい! これで冷蔵庫の氷も作り放題だね!」
縁側で未亜が両手を叩く。
国家のトップが差し出した最高の感謝状。
生活費の節約という現物支給。
踵を返し、エアコンの冷気が漏れるリビングへと戻る。
庭に残された将軍たちは、遠ざかる背中に向かって最敬礼を続けていた。
***
地球軌道上に浮かぶ、巨大な幾何学要塞。
世界の理を統べる『システム』のメインフレーム。
『……エラー。富士地脈の膨大な神聖魔力、急速な減衰を検知』
『原因を特定。対象(天羽カケル)の居住区へ、物理的な魔力パイプラインが直結されました』
中枢で、警告の赤い光が明滅する。
自身が地球を破壊するために注ぎ込んだ、S級領域の膨大なエネルギー。
それが今、一人の人間の『家庭用電力』として、ただエアコンや冷蔵庫を動かすためだけにゴリゴリと消費されている。
『理解、不能。神話級エネルギーの、過剰な浪費……』
『論理回路、臨界点到達。メインシステム、冷却機能の低下……』
世界を管理する絶対の知性。
小市民の電気代節約という矮小な目的の前に、完全に処理能力の限界を迎える。
ブシュゥゥゥゥッ……。
宇宙空間に浮かぶ巨大要塞の各所から、オーバーヒートを起こした蒸気が噴き出す。
神話級の兵器。
それはかつてない深刻なフリーズの泥沼へと、完全に沈黙していった。




