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クワガタ、室町末期に放たれる?  作者: 双鶴


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23/23

第23話 現代、そして静か

 ――湯気が立っていた。


 鼻をくすぐる醤油の香り。

 カウンターに置かれた丼。

 厨房で鍋を振るう音。


 桑潟武司は、ゆっくりと目を開けた。


「……え?」


 目の前のカウンターの向こうに、

 喜多方ラーメン「尽内」の店主が立っていた。


「よっぽど部活で疲れてたんだねぇ。

 食べながら寝てたよ、武司くん」


 店主は笑いながら鍋を振っている。


 武司はしばらく言葉が出なかった。

 胸の奥に、何かが渦巻いていた。


(……戻ってきた?

 あれは……夢だったのか?)


 だが、夢にしてはあまりにも鮮明だった。

 政元の声。

 元司としての人生。

 妻の温かい手。

 龍安寺の空。

 矢が胸を貫いた瞬間の、あの奇妙な安堵。


 すべてが、

 まるで昨日のことのように思い出せた。


 武司は、

 湯気の向こうに、

 あの世界の残り香を見た気がした。




 ――数年後。


 武司は大学生になっていた。


 専攻は日本史。

 しかも、人気の戦国時代でも、

 華やかな室町初期でもない。


 室町末期。


 友人にはよく言われる。


「どうしてそんな地味な時代を?」


 武司は笑って答える。


「……なんとなく、気になるんだ…」


 本当は“なんとなく”ではない。

 あの時代に生きた人々の息遣いを、

 自分は知っている気がするからだ。


 細川政元。

 畠山政長。

 足利義遐。

 そして――桑潟武蔵守元司。


 いつか、

 政元に光を当てた研究をしたい。

 あの奇妙で、冷静で、孤独な男の生涯を。


 だが、武司にはもう一つの願いがあった。




 講義帰りの夕暮れ。

 武司はふと、

 スマホの画面に映る地図を見つめた。


(……あの人は、どこに眠っているんだろう)


 元司としての妻。

 名前も、声も、顔も、

 今では霞のように薄れている。


 だが、

 あの朝の温かい手の感触だけは、

 今もはっきりと残っていた。


 武司は小さく笑った。


「亡き妻に想いを馳せる未婚独身大学生か……

 なんだそれ」


 自分で言って、自分で照れた。


 だが、

 胸の奥は不思議なほど温かかった。


(いつか……探しに行こう)


 史料の中に。

 寺の過去帳の中に。

 あるいは、

 どこかの無名の墓の前に。


 元司としての人生は終わった。

 だが、

 武司としての人生は続いていく。


 あの時代を胸に抱きながら。




 夕暮れの風が吹いた。


 武司は歩き出した。

 その背中は、

 どこか元司の面影を宿していた。


 ――桑潟武蔵守元司の旅は終わった。

 だが、

 桑潟武司の旅は、これから始まる。


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