第11話 将軍の死と、揺らぐ幕府
延徳元年(1489年)――
春の終わり、近江の空気は湿り気を帯び、
戦場の土は重く沈んでいた。
六角高頼討伐の陣中、
将軍・足利義煕(義尚から改名)が病に伏した。
その報せは、
政元殿の陣に最初に届いた。
「……殿。
将軍家、危篤にございます」
政元殿は、
しばし言葉を失った。
義煕は若く、
まだ将軍としての道半ばであった。
だが、戦場の湿気と疲労は、
その若さを容赦なく奪った。
やがて――
近江国・鈎の陣にて、
義煕は静かに息を引き取った。
享年二十五。
戦場に、
風の音だけが残った。
将軍の死は、
幕府の根を揺るがす大事件である。
政元は、
すぐに次期将軍の選定に動いた。
「元司。
義煕の後継は……清晃しかおるまい」
清晃――
堀越公方・足利政知の子で、
天龍寺香厳院の禅僧。
のちの足利義高、
さらに義澄と名乗る人物である。
政元は続けた。
「清晃は聡明で、
義煕の血筋にも近い。
何より……義視の流れを強めすぎてはならぬ」
政元の声は低く、
しかし確信に満ちていた。
元司は静かに頷いた。
(殿は……幕府の均衡を守ろうとしている)
義視の系統が将軍となれば、
畠山政長の権勢が増し、
幕府の力は偏る。
政元はそれを避けたかった。
だが――
幕府の中枢には、
政元の思惑とは別の力が働いていた。
義煕の母・日野富子。
そして畠山政長。
この二人は、
義煕の従弟である義材(のちの義尹・義稙)を推した。
義材は義視の子であり、
富子と政長にとって都合が良い。
こうして、
政元の推す清晃ではなく、
義材が十代将軍に就任した。
政元は、
その結果に深い不満を抱いた。
延徳二年(1490年)七月五日。
義材の就任儀式――判始。
政元は、
この儀式のためだけに一日だけ管領を務めた。
だが、その表情は冷たかった。
儀式が終わると、
政元は静かに幕府から距離を置き始めた。
元司は、その変化を敏感に感じ取った。
(殿は……義材を認めていない)
政元は、
義材の背後にいる畠山政長を嫌っていた。
政長は、
義視の死後、
幕府の権力をほぼ独占するようになっていた。
義材の将軍就任は、
政長の権勢をさらに強める結果となった。
延徳三年(1491年)一月。
義視が死去した。
これにより、
幕府の権力は完全に畠山政長の手に落ちた。
政元は、
その状況を静かに見つめていた。
「元司。
幕府は……偏りすぎた」
「殿……」
「義材は悪くない。
だが、政長が強すぎる。
このままでは……幕府は歪む」
政元の声は、
怒りではなく、
深い諦念に満ちていた。
「元司。
そちは……この先、
何が起きても揺らぐなよ」
元司は深く頭を下げた。
(殿……
この言葉は、
“嵐が来る”という予告なのか)
政元の目は、
遠くを見つめていた。
その先にあるのは、
幕府の崩壊か、
京兆家の台頭か、
あるいは――
もっと大きな嵐か。
義材の将軍就任。
畠山政長の権勢拡大。
政元の不満と距離。
それらはすべて、
やがて訪れる“明応の政変”の前触れであった。
だが、この時の元司はまだ知らない。
政元が、
この先どれほど大きな決断を下すのかを。
――桑潟武蔵守元司。
その名は、
政変の渦の中で、
さらに深い影を落とし始めていた。




