婚約者
「それで、メリッサの事だが」
手が離れたと同時に彼女の事を切り出したのは、ルチアが先だった。
その表情は「ずっとそれが聞きたかったんだろう」と、悪戯な笑みを浮かべているが、彼女の行方を知りたいルカは口を挟まない。
「その為に君を招いた。勿論、彼女にも同じものを送ったのだが、残念だが欠席の連絡があった」
「そうですか」
「ああ」
元々エトーレでなく、メリッサが王太子妃になる筈だったのだから、公の場に顔を出すのは気まずかったのかもしれない。
しかし、正当な理由があったのならば堂々としていればいい。
もし、周りの目が気になるのなら、自分が守ってあげるのに。と、心の中で堂々と彼女を守れるナイトに変身する自分を想像してしまう。
「それで彼女は」
思わずにやけてしまいそうな表情筋を硬く引き締め、ルカは続く言葉を急かす。
「メリッサは自分の領地に居ると思う」
「?自分の領地?」
想像だにしない言葉にルカは思わず聞き返してしまう。
「ああ。アルム領だな」
「それは……」
何処に?と聞こうとして彼は思案する。
アルム領は、確かアッシャムス国との境にあったと記憶している。
メリッサの父親、ロバート・アルムは、自らの武力を持ってして、その危険な地を統治している筈だが、何故その地をメリッサの領地だとルチアは表現したのだろう。
「アルム公爵は2年程前に散華してな」
「え?」
思いもよらない言葉がルチアの口から語られる。
「かの国が攻め入ってきて、アルム公爵が先陣をきってくれたお陰で、我が国はこうして平和を続けていられる」
敢えて国名を出さないのは、誰が自分達に注視しているか知れないから。
「相手はまだ我が国を従属させたいみたいでな。時折、小さな小競り合いは起きていたが、その度に制圧してきた。だが、その時はそうもいかず」
最後の方は言葉を濁し、メリッサの父親の最期に口を噤む。
「なら、現在アルム公爵は……」
呟きながらルカは頭をフル回転させる。
「というか、そんな危険な地をメリッサが護っているんですか?」
「まぁ……。そう面と向かって言われると私も耳が痛いな」
「だってそうでしょう」
あんな。
細い身体で一体どうやって戦うというのか。
「あそこは、私の見込んだ騎士隊を常駐させている」
「だからといってッッ」
まるで喧嘩を売るみたいなその声の大きさに、招待客たちの視線が集まり始める。
「メリッサの意志だよ」
それに気付いていたルチアが「何も反論するな」という意志を込め語気を強める。
「父の力がないと伯爵の地位は保てない」
ルチアは国王と共に居た場でメリッサが述べた言葉を思い出す。
「爵位はどうなってもいいから、父が護りぬいたこの地は自ら護りたい。と」
長い年月、成長を共にしてきたかつての婚約者。
自分を慕い、その気持ちを素直に伝え続けてくれていた婚約者。
いつからか、面と向かってきてはくれなくなってしまったが、彼女の気持ちがまだ自分にあることはずっと感じてはいた。
それは嬉しくもあると同時に歯痒く、次第に痛みを伴う事が多くなってきていた。
あの幼かった日。
自らの不注意でメリッサに一生残る傷を付けてしまった。
彼女は自分のせいだから気にしないで下さい、と、泣きじゃくって謝っていたけれど、あの場の事態を予測できていなかった自分のせいだ。
だから、あの時下した判断に後悔はしていない。
メリッサは厳しい教育にも不平不満を漏らす事なく受けてくれたし、何より真っ直ぐな想いを向けてきてくれる彼女の姿は可愛かった。
ずっとこのまま共に生きていく事は、誰の目から見ても明らかだったし、ルチア自身もそうなると思っていた。
エトーレと再会するまでは。
ジャルダン学園で再会し、初めは見たことある顔だと声を掛けた。
久しぶりに顔を合わせる事で話に華がさき、共にいる時間が長くなった。
一緒にいると楽しくて、チャイムで互いに分かれても早く話がしたくなり、その顔を見ただけで、気持ちが満たされる。
常に行動を共にする訳ではなかったが、彼女が自分に気付かなくてもその姿を見つけてしまうだけで、鼓動がひとつ、大きく跳ねた。
その気持ちに名前をつけてはならないものだという事は、翌年、婚約者が一年後輩として入学してきてから知る。
エトーレとメリッサ。
それぞれに対して抱く感情の違い。
時期国王となる上で自身の感情は関係なく婚姻が結ばれる事は当然だという認識はある。だが、メリッサを生涯の伴侶として想像する事がプレッシャーとなってしまった。
だから、ルチアはメリッサと対面する事を避け続けてしまった。
自分の気持ちに素直なメリッサから向けられる感情と同じものを返すのが難しいと、気付いてしまったから。
何故応えてあげられないんだろう、と、自身を責める事さえあった。
メリッサが学園を卒業したら、婚約関係は一歩進んだものとして扱われていく。
つまり婚姻準備が始まる。
そう、誰もが思っていたし、学園を卒業しエトーレと会う機会もほとんどなくなったルチアも当然そうなっていくものと思っていた。
あれは一過性の感情だった。と。
過ぎてしまえば、エトーレと過ごした時間はいい思い出となっていく。そうして、メリッサと共に過ごす時間を増やし、愛を育みこの国を共に統治していくのだと、ルチアは思っていた。
だがしかしその未来はロバート・アルム公爵が散華し、叶うことはなくなってしまった。
爵位の降格、または剥奪がされれば、もうメリッサとの婚約関係も終わる。
ルチアが望めば関係は継続できたが、何故か知らせを受けた時、言葉を継ぐ事が出来なかった。
アルム公爵を追悼した後。
謁見の間に呼んだメリッサと対面したルチアは婚約者を見つめていたが、決して視線が合うことはなかった。
そして気付いてしまった。
ずっと幼なじみとして、そして婚約者として隣に立ってくれていたあの日の少女は、もうそこにはいないことを。
自分たちの下で背筋を伸ばし、凛と立つメリッサは、既にその覚悟を決めていた事を知るのは、それから数日後のことである。
「恐れながら」
それは、何度も婚約者とお茶の時間を共有してきたルチアの母親である王妃から直接聞いた。
普段なら促されるまで口を開かないメリッサが珍しく発言したという。
「もし、ルチア様の次の婚約者について献言する事を許して頂けるのならば王太子殿下の婚約者にエトーレ・リーゼ公爵令嬢を推奨致します」
こうして会う機会も少なくなると、王妃がエトーレに招待状を出したお茶会の場で。
王妃はメリッサのことをとても気に入っていたので、彼女とこうして会えなくなる事に寂しさを覚えていた。
「遠く離れても時々はこうして会いましょう」
「何かあれば遠慮なく頼ってね」
「貴女が望むならルチアと婚約関係を続けても」
王妃がどんなに優しく言葉を掛けても反応の薄かったメリッサだったが、エトーレ公爵嬢の旨を国王に伝えると話した途端、彼女は肩の荷を下ろしたような表情をしたという。
それから、ルチアは怒涛の日々を過ごした。
メリッサと正式に婚約解消の手続きを行い、学園卒業後は、本格的に国政に携わる様になった。
その間、テスタ公爵家にエトーレ・リーゼとの婚約の申し入れを行い、彼女とは週に一度逢瀬を重ね、アルム領へ旅立つメリッサを見送った。
時折辺境の地から届く幼なじみの便りから、彼女が元気に過ごしている事が伝わってくるのは、何よりの知らせだった。
こんな時、彼女に想いを寄せていたルカがいてくれたら、何か変わっていたのだろうか。
メリッサは母親と二人で辺境へ向かってしまった。
ごく限られた人間にだけ別れを告げて去ってしまったダーファン国の第三王子は、恐らく今の状況を知らない。
それは、メリッサが知らせていないからに他ならないが、周りの人間にも伝える必要はないと話し、笑顔で去って行ってしまった。
本当にそれでいいのだろうか。
もし、好きな人間が自分を頼らずに苦しい思いをしていたら。
何故助けを求めてくれなかったのだろう、と、知らずに生活してきた自分を恨むだろう。
なら、今度は自分が彼らに手を貸すべきではないか。
ルチアが嫌われているだろうルカに婚姻式の招待状を出したのは、そういう経緯があったこそである。




