帰郷3
花ちゃんって誰だ。
首を傾げている私に梅木が近づいて、耳打ちする。
「和泉のいい人です」
「そうなの?!」
抱きしめていた肩をグッと離して、天使のような笑みを向ける和泉を見る。
目をパチクリさせている私を見て和泉は更に表情を緩めた。
いい人って、いい人だよね。
そういう意味の相手だよね。
鼻で軽く深呼吸する。フンフン。
御年二十七歳、だいぶ年下の男の子に先を越されてしまったようだ。
遠くにいたはずの阿倉兄さまが和泉や梅木との会話を聞いてか、いっちょ前になぁ生意気だろう? ハハハ! と私の頭を思い切り撫でまわし、煎餅持ってきたると言い着物の裾を振り乱して去っていった。
目まぐるしいとはまさにこのことである。
「花ちゃんは花ちゃんです、野菊兄さまは野菊兄さまです。だからどちらも好きなんです」
和泉がグイと顔を寄せる。
それはどういう……。
「兄さんお久しぶりですね、佐久穂です。この女好きどっか連れていきますね」
「ええっ?! 久しぶり、大きくなって…」
「俺も男ですから」
梅木に呼ばれたのか、小走りで駆け付けて和泉の首根っこを掴んだ佐久穂がニッコリ笑顔で腰をかがめる。亜麻色の変わらぬサラサラな髪を靡かせながらも、血管が浮き出た逞しい腕の手慣れたその動作に、いつもこんな感じなのかと問えば二人はコクリと首をそろえて頷いた。
なるほど。
◆◇◆◇梅木◆◇◆◇
清水兄さん達が帰ってきた。
それだけでここはもうお祭り騒ぎだった。手紙のやりとりをして一喜一憂していたのが懐かしく感じるくらいだった。
秋水兄さんは、当たり前だろうが昔より格段に大人の男というものになっていた。キリッとした目元は変わらないが、それが少し柔らかくなっている。背中も倍ほど大きくなっており、同年代の遊男で仲の良かった人達は我先にと秋水兄さんに抱き着き泣いていた。
「秋水お前、お前~!」
「手紙の返事はそっけないしっ」
「俺お前に借りてた金、返さなくちゃじゃんかよ!」
いい年した男達の情けない姿に、呆れながらも笑いが出る。
そんな僕はその人達よりも先に兄さんに頭を撫でてもらっていたので生意気なことは一切言えやしない。
一方、凪風兄さんは元飯炊きの兄衆に囲まれていた。
「おうおう! そのしけた面、相変わらずじゃねぇか」
「また何か企んでるんだろ」
取り囲んでいるくせにじりじりと後ずさりをしていく男達を見て、凪風兄さんはフッと鼻で笑っていた。
美しい銀髪は健在で、妓楼にいた頃より短くなった髪にどことなく男らしさがうかがえる。長いから女性的だったというわけではないが、うまくは言えないけれど今まで抑えられていた気質が表に出てきたような感じだ。
「会って早々何言ってるんですか? 僕そんな事したことありませんよ」
過去凪風兄さんにあれやこれやと騙されたり(もちろん悪徳なものではなく冗談みたいな)されていたせいか、その懐疑心は十年経っても消えていなかったようだ。仲が良いのか悪いのか。いい加減素直になったらいいのに。
どっちが、とわざわざ言うのは野暮ってやつである。
蘭菊兄さんはというと。
「宇治野兄さん!」
「はいはい蘭菊、そう慌てずとも何処へも行きませんよ。……ああでも、どこかへ行ったのは蘭菊のほうでしたね」
瞳を輝かせて宇治野兄さんの前で正座をする蘭菊兄さんは、そんな宇治野兄さんのかえしに口をへの字にして顎にシワを寄せ、プルプルと震えていた。
捨てられた子犬のようだった。
「宇治野そこまでにしてやれ、泣きそうだぞコイツ」
「ほれ泣くな泣くな」
年上の元遊男達に慰められている。
蘭菊兄さんは見た目もさることながら、中身もあまり変わっていないようだ。
もちろんとてもいい意味で、だ。
蘭菊兄さんを見ていると、ホッと息がしやすくなると言うか安心感が凄い。
そして和泉から解放された野菊兄さんの周りには、
「俺、俺、生きてて良かった……!」
珠房が四つん這いになって泣いていた。そんな彼の背中を優しくさすって大丈夫かと兄さんが声を掛けるが、さらに崩れていった。ひくほどに顔をぐちゃぐちゃにして泣いている。男泣きというよりもう赤子の泣きじゃくりかというくらい酷いものだった。
僕の横にいる佐久穂も亜麻色の髪と身体を震わせて口を真一文字に結び涙を流していた。ちなみに和泉の首元は掴んだままである。
へらへらしていた和泉は涙を流している年上の兄貴分をしばらくじっと眺めると、その態度を一変し何を思ってなのか、すみません、と眉を垂れて彼に憐れみの視線を向けていた。
たぶん平常時にそんな視線を向けていたらぶっ飛ばされていたにちがいない。
けれど佐久穂はそんな視線に気づいていない。
他の元新造だった者達も一様にそんな感じだった。弥生もだ。
野菊兄さんは年下の面倒見が他の人達より倍よかった。それは秋水兄さんや清水兄さん達の面倒見が悪かったとかそういう理由ではない。どの兄さんも皆一様に可愛がってくれていたのは確かだ。だが野菊兄さんのそれは他者とは比較にならないほどだった。
女性だからなのだろうが、抱き締めて頬を寄せては自分の子どもを可愛がるような、まるで母親のような動作を新造や禿たちにとっていた。本当に愛しいのだと顔を綻ばせては猫可愛がりをする。母性に溢れていたのかもしれない。それなので余計に年下からはすこぶる親しまれていた。
だからか兄さんを取り囲んでいるのは若い奴らばかりだった。
十年経っても衰えぬばかりか、さらに磨きがかり女性的な美しさが備わっている野菊兄さん。
短く切り揃えられた髪に男物の着物を纏っているが、兄さんと呼ぶのは失礼なのではないかと思うほど優しい光を放っていた。
こんなに震えるほど帰りを喜ばれたことはなかったからくすぐったくて、とても嬉しいことだと、ありがとうと皆にお礼を言って回る兄さんに僕は言いたい。
「兄さん、崩れている奴らはそっとしておいてあげてください」
「え、でも」
「大丈夫です。ほらあっちに行きましょう」
「わ、わかった」
兄さんは本当に良いのかと後ろ髪をひかれているようだが、僕はお構いなしに禿だった子達の所へと兄さんを連れていく。
和泉や睦月のような年下世代の男の子にいい女の子が出来て、僕ら世代が出来ていないのは何故なのか。
社交性や人間性に問題があるのかもしれないがそれよりも。
物心がついた時から側にいた、母のようで兄のようで、でも兄ではけしてない、とっても綺麗な女の子。
「こじらせてるのが多いんです」
「?」
十中八九、野菊兄さんのせいだもの。
兄さんは背中越しに佐久穂たちを振り返るも、首を傾げて笑顔を向けていた。
たぶん一生わからないのかもと、僕は思う。
 




