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記憶を封じられた新米冒険者、森で誰にも見えないはずのS級冒険者を拾いました  作者:


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静かな決意と、森がくれたささやかな収穫

 朝の空気は、少しだけ冷たかった。  とはいえ、頭の奥を締めつけるような痛みはなく、目覚めも悪くない。


 今日も……動ける。


 そう自分に言い聞かせるようにして、私は静かにベッドを降りる。


 身支度を整え、転移指輪を確認してから部屋を出た。


 向かうのは、食堂。朝のうちに少しでも体力を整えておきたい。でも、できるだけ人には会いたくなかった。


 そのため早めに出ることにしたのだった。


 赤みがかった照明に包まれた廊下は、今朝も静かだった。足音だけが控えめに響く中、やがて自動扉の前に辿り着く。


 センサーに反応した扉が音もなく開き、やさしい香りがふわりと鼻をくすぐった。


 パンとスープ。香ばしさと、どこか懐かしいような温もりのある匂い。


 ……今日も、誰もいない。


 まだ時間が早いのか、食堂内には誰の姿もなかった。


 それが、今の私にはちょうど良かった。


 私は自動配膳機の前に立ち、そっとメニューに目を通す。


 選択肢はいくつかあったけれど、その中の「無料提供・朝食セット」の項目を迷わず選ぶ。


 お金は……節約しないと。


 昨日までの素材換金で得たリルは3620。


 そこから、今朝の時点で家賃500リルが自動で引き落とされていた。


 《現在の所持金:3620リル → 3120リル》


 治癒院の診察料まで、あと1880リル。無駄遣いはできない。


 カチリ、と音を立ててトレイが出てくる。柔らかそうな白パンと、少し塩気の強い野菜スープ。付け合わせに簡素な茹で豆と、温かいお茶。


 質素だけれど、あたたかい。こうして整えられた食事があるだけで、心が少し落ち着く。


 「いただきます」


 テーブルの一番端に腰を下ろして、手を合わせる。


 一口ずつ、丁寧に味わいながら食べるその朝食は、まるで誰かが「今日も大丈夫」と背中を押してくれるような、やさしさを感じさせた。


 食堂には、誰も来なかった。今日もまた、静けさの中で始まるそんな朝。


 今日で……終わらせる。


 スープの最後の一滴を飲み干して、私は静かに席を立った。


 部屋へ戻り、装備を確認する。弓を背に、短剣を腰に差し、最後に指輪を手に取る。


 「あと1880リル。……今日、いける」


 私はそっと指輪に集中する。


 転移先:ドーム東


 光が満ちる。視界が白く染まり、空間が歪んでいく。


 目標を超えるための一歩を、今、踏み出した。


 ───


 目の前に広がる草原には、冒険者たちが散開し、各所で戦っていた。


 叫び声や武器のぶつかる音、そして小さな黒灰色の影……スモッグラットの群れが、まるで波のように草をかき分けて飛び出してくる。


 巨大な盾でモンスターの突進を受け止め、鈍器を振り下ろして応戦している人物がいる。


 その戦い方に、私はすぐ気づいた。


 「……ボルドさん」


 重たい武器をものともしない安定感。にこにこと笑う普段の姿からは想像できないほど、彼の戦いぶりは頼もしい。


 さらに視線を草むらの奥へと向けた先、一本の細い杖を構えた青年の姿が見えた。


 短杖の先端に淡く輝く赤い石。そこから、シュンッと風を切る音とともに、鋭い刃のような風が放たれる。


 「……エルマー、か」


 灰色のスモッグラットに向かって放たれたその風は、迷いなく首筋を正確に捉え、仕留める。


 続けて別方向から飛びかかってきた個体にも、彼は一歩も動かず、わずかに杖を傾けただけで次の風刃を撃ち出した。


 風。それだけ。極力消費を抑えた戦い方。


 最小限で、確実に……


 スモッグラットの急所だけを、無駄なく、静かに狙い続けている。


 ……相変わらず、無駄がないなぁ。


 それでいて、彼はまるで自分の周囲に結界でも張っているかのように、一定の距離を保ち続けていた。


 誰にも邪魔されず、干渉せず、ただ淡々と討伐する姿。


 皮肉屋で、人付き合いもあまり得意じゃない。けれど、その知識と技術は、誰よりも確かだった。


 私も……集中しよう。


 私は深く息を吸い、弓を握り直した。  すぐに草むらが揺れ、今度は自分のもとへと、スモッグラットが現れる!


 ───


 スモッグラットの最後の1体が、短剣の一閃で動きを止めた。


 その場にしゃがみ込み、息を整えながら地面に残された赤い輝石と毛皮に目を落とす。


 「……3体分。輝石3つ、毛皮3枚。うん」


 私は右手の指輪に意識を向け、そっと素材に手を伸ばした。


 すると、淡く光った宝石が反応し、それぞれの素材が静かに、吸い込まれるようにして消えていく。


 余計な力はいらない。ただ触れようとするだけで、素材は指輪の中に収められていく。


 訓練で教わったとおりのやり方。それでも、こうして実戦で使うたび、少しだけ達成感を覚える。


 ───


 風が、草を揺らしていた。


 さっきまで騒がしかった草原も、今はすっかり落ち着いている。


 遠くでまだ誰かが戦っている気配はあるけれど、それももう、ひと山越えたあとの静けさのように感じられた。


 私は立ち上がり、弓を背負い直すと、森の方角へと足を向けた。


 昨日はそこまで踏み込まなかった場所。けれど今日は、もう少しだけ先へと進む。


 転移登録ができれば、次からはここまで直接来られる。


 それだけで、朝の負担はぐっと減る。  だからこそ、今のうちに済ませておきたい。


 草を踏みしめる足音が、やけに大きく響く。それほどに、森の前は静かだった。


 やがて、木々の影が視界に入り始める。草原の明るさとは対照的な、ひんやりとした空気がそこにはあった。


 森の入口……その境目に近づいた瞬間、足元に何かがふっと光るのを感じた。


 「……ここ、だよね」


 そっと一歩、踏み出す。


 すると、転移指輪が微かに振動し、宝石が淡く光を帯びた。


 目を落とせば、足元の地面に、草に埋もれていた幾何学模様がぼんやりと浮かび上がっていく。


 空気中に漂っていた粒子のような光が、指輪の宝石に吸い込まれていくのが見えた。



 登録……完了。


 確かな感覚とともに、指輪が「ここ」を記憶したのが分かる。


 「……これで、次からは……」


 ここまで転移で来られる。それだけで、心がすっと軽くなった。


 だけど、森の中はまだ、薄暗く沈黙している。


 風も止み、鳥の声さえ聞こえない。まるで、何かをじっと待っているような……そんな、静けさ。


 今日は……ここまで。


 ……そう思ったのに、ふと足元に目をやった私は、小さく首をかしげた。


 「……これ、見たことない」


 草原にはなかった、小ぶりな花の群生。白と薄紫が交じる花弁に、ほんのりと薬草のような香りが漂っていた。


 試しに触れてみると、茎はしっかりしているが、葉の部分にはわずかなぬめりがある。


 光を当てると、花弁の縁がうっすらと光を反射していた。


 「……採っておこう。ギルドで確認してもらえるかも」


 私はそっとその花を2本ほど摘み取り、続けて周囲を見渡す。


 木の根元には、くすんだ青緑色の草も生えていた。丸い葉と、ごく短い毛のようなものが葉脈に沿って並んでいる。


 匂いは薄いけれど、ほんのり土と薬の中間のような香り。


 「これも、何かの素材になるかも……」


 しゃがみ込んで、草も2束ほど採取し、指輪に意識を向けて吸収させる。赤い輝石がふわりと光り、素材が吸い込まれていく。


 《新素材入手:不明な薬草×2、不明な花×2》


 森の入口周辺で得られた成果としては、十分だった。


 これ以上進むのは、やめておこう。


 私は立ち上がり、最後にもう一度、森の奥へと目を向ける。


 重たい空気の中、わずかに揺れる枝葉が、不穏な予感を呼び起こした。


 「……また、明日」


 そう小さく告げると、私は踵を返して草原へと戻った。




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