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70 戦いは始まっていた ―バルト―

 


「バルト、少し良いか?」


 軽く声を掛け部屋に入ってきたのは、王位継承権第一位のアーダルフェルム・ダ・エインデンブルグ。王太子である俺の兄だ。


「人払いを」


 その一言で側近は引き、俺達は奥にある私室に移動した。ソファーに腰掛けるよう進めると、兄は座らずに俺の腕を掴んだ。

 顔色がとても悪い。


「リーフェに毒が盛られた」


「義姉上が?それで様態は?」


「少しだけだ。異変を感じて、な」


 兄が表情を少し緩めたため、事なきを得たことを知り安堵する。しかし今この時期に毒とは。


 リーフェ義姉上は、兄にとって幼馴染であり、相棒であり、たった一人、心から愛する人だ。

 俺にとっても、幼馴染であり、本当の姉のような、大事な家族で。

 ようやく、ようやく子を授かった、この大切な時期の姉上に。とにかく無事で良かったとホッとする。


「叔父上から、聖女をグレイシーの嫁にと話があった直後のことだった」


「まさか」


「あぁ。父上は断ったのだ。聖女は俺かバルトに嫁がせるとな」


 父が、本当にそう思っていたとは思えない。義姉上のご懐妊を父がどれだけ喜んでいたかを、俺達は知っているから。


 けれど。王弟である叔父上が昔から、王位を望み、問題を起こし続けている事に対して、王家としてはこれ以上無視出来ない状況なのだ。

 最近は急激に聖ヘレナ教会と距離を詰めているし、この度の召喚にしても、本来ならば叔父上が関わることではなかったのに。本当に忌々しい。


「グレイシーに嫁げば、聖女に対する酷い仕打ちが目に見えているからな。父上もなんとか回避したかったのであろう」


「そう、だな」


 従兄弟にあたるグレイシーは、子供の頃からとにかく残忍で、暴力で相手を痛め付ける事に喜びを得るタイプだった。

 物にあたる事から始まり、動物、そして側仕えへとエスカレートした。

 伯父上が、どれだけ裏で手を回そうとも、グレイシーに対する、ほの暗い噂は絶えず付きまとい続けた。


「人を害する事を、勇気があるとか気概があるなどと誉められ続ければ、幼き心は歪みもするだろう」


「確かに。環境も悪かった、だがしかし。あいつももう子供ではない。学ばなければ」


 王族として、どう振る舞うべきか。学べる機会はいくらでもあった。

 出来の悪いやつだとしても、従兄弟なのだ。気に掛けないわけはない。周囲も何度も諌めはしたが、誰の言葉も届かなかった。


「グレイシーに関しては、すでに手を回してある。あいつは僻地の前線に送ることにしたよ」


 特に女性や、弱いものに対しての暴行が酷かったのだ。女性の居ない所で、自分より弱いものの居ない所で、死に物狂いでもがけばいい。


「それで聖女のことだが。リーフェを側室にとの声が上がっている」


「は?」


 それは、リーフェ義姉上を側室にして、聖女を正妃に娶れということか。ふざけるな。

 普段、兄上がこの様に感情を滲ませることは無い。王族としての教育で、感情を露にしないからだ。

 肉親である自分には、少しだけ見せてはくれているのだが。

 この妊娠初期の大事な時に、最愛の者を苦しめる状況には、さすがの兄上でも苛立ちを隠しきれない、か。


「兄上、聖女のことは任せてくれないか」


「すまない。頼む」


 王太子と、その兄のたった一つの弱点であり、心の支えであるリーフェ王太子妃に仇なした相手を、許してはおけない。


 必ず、後悔させてやろう。我らに牙剥いたことを。

 




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