63 温厚な人ほど怒ると怖い ―沙羅―
朝、目が覚めたら全てが夢でした、なんて事は残念ながらなくて。
見慣れない部屋に、触り心地の違う生地のベッド。立ち上がろうとしてベッドから足を下ろせば、床がギシギシと軋んだ。
ようやく辿り着いた教会で、休ませてもらうことは聞いていた。けれど、こんな感じになるなんて、私は聞いていなかった。
「聖女様、けっかいしゅうふくのためにおいでいただいて、ありがとうございます」
幼稚園のお遊戯会みたい、と微笑ましくなるほど可愛らしいお出迎えに、顔が綻ぶことを止められなかった。
だって、初めて見る聖女ってことで、皆が楽しみにしてくれてたって、その表情で伝わっってきたから。
ガタガタ揺られながら、遠くまで来た甲斐があった、と思いました。
その後、修道女の方々と孤児院の方々とで、「心ばかりですが、是非」と招いてくれた夕食の席で、
「聖女様にこのような物をお出しするとは。しかも食前酒が無いではないか。さっさと用意しろ」
と、突然怒り出したのは、先触れを出すために先行していた小隊の中の司祭様でした。
私達がここに着いた時には、すでに大きな態度で寛いでいて。なんだ?この人、と思った相手でした。
その上、
「薄汚い子供達を連れ出せ」
と、せっかくキラキラした瞳で私の喜ぶ様子を見ていた子供達は、一瞬で悲しい顔になりました。
「止めてください。私はこのように暖かく迎えてくれて、とても嬉しいです。皆さん、ありがとうございます」
そう言って、子供達のそばに行って目線を合わせるためにしゃがんだ。目の前の子の手を取って、笑う。
何が聖ヘレナ教よ。こんな人が司祭のこの宗教が何を救うのよ。子供達を悲しませる様な無神経な人が、なんであんなに偉そうに。
あなたが結界を治すわけじゃないでしょう?歓迎されているのは、あなたじゃないでしょう?体が熱くなる気がした。
「司祭様、少しお言葉が過ぎますね」
ゆらりと立ち上がり、司祭様の前に出たのはまさかのマットさんでした。
「こちらで歓迎されているのは、結界修復のために旅をされている沙羅様です。あなたではない」
普段のゆったりとした話し方が嘘みたいに、低い声で話すマットさんに、司祭様の顔がひきつった。
「若造が何を言うか」
「この旅には書記官として同行していますがね、聖魔導師を辞めた訳ではないのですよ。分かりますか?司祭様」
部屋の温度が下がった様に感じるほどの、冷たい話し方だった。さっきまで、ふてぶてしい態度だった司祭様も顔色を悪くして。
「お食事を頂いたら、出発されてはどうですか?待遇にご不満の様ですし、こちらの皆様の迷惑になっても困ります。もちろん、上には報告させていただきますよ」
「な、」
「小隊長、司祭様を連れていきなさい」
部屋の隅で見ているだけだった兵士がサッと椅子を引き、司祭様を支え歩かせ、部屋から出ていく。
最後に小隊長と呼ばれた人が、マットさんに敬礼をしてから部屋を出ていった。
「皆さん、本当に申し訳ありません。ですが、あなた達の真心は聖女である沙羅様には、ちゃんと伝わっていますよ。さぁさぁ、皆さんも頂きましょう」
さっきとはガラリと雰囲気を替えたマットさんが、にっこり笑って子供達に声を掛けた。
子供達は戸惑いながらも、ニコニコしているマットさんと私を見て、少しだけホッとしたようで。時間と共に、徐々に笑顔が戻っていきました。
夕食後、子供達に読み聞かせをしているマットさんは、表情も声も態度も暖かくて、子供達も安心しているのが伝わってきます。
普段、穏やかな人ほど、怒らせたら怖いって本当なんだなぁ、と思い、マットさんは怒らせないようにしよう、と心に決めた瞬間でした。




