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>コマンド?  作者: オムライス
第九話
96/120

*11*



朝霧の狭間から、木々が頭を覗かせている。

陽はまだ昇りきっておらず、辺りは何もかもが青く染まっていた。


夜露がしたたり落ちるドアをくぐってから、優は身を翻す。

その視線の先では、ガウンに身を包んだ翳がこちらを見上げていた。

胸元を押さえながら微笑みを浮かべる彼女は、静かに口を開く。


「いってらっしゃい」


彼女の頭に手を置いて、優がそれに応える。


「いってきます」


今夜また戻ってくる、そんな気安い挨拶だった。


心地よい温かさが頭頂部から失われ、翳の表情がわずかに曇った。そんな彼女に笑顔のまま背を向けると、優は振り返らずに階段を駆け降りていく。彼を追ってバルコニーに走り出た翳は、再び心を覆い始めた影を何とか消し去ろうと顔を歪める。


彼の背中が見えなくなっていく。


ついて行きたかった。

でも分かっている。自分は元の世界には戻れない。


手すりに身を預けて俯く翳の背後から、不意に朝日が差し込みはじめた。

眩しい光のなかで消えていく霧と同じように、彼女の心に差した影も薄まっていく。


翳は顔を上げ、森へと視線を走らせた。

幾ら目を凝らしても、ここからでは優の姿など見えようはずもない。


それでも、優は確かにこの森のどこかを歩いている。自分と同じ空気を吸い、同じ時間を共有して。

その事実だけで、全てが輝きに包まれて見える。

光だけではなく、音や匂いまでも。


今になってようやく、彼女は自分を揺り動かしている感情の正体を知った。

枝が幾重にも波打ち、色とりどりの葉が無数に風の中に流れていく。大気の振動が森全体を包み、彼女の小さな体にまで静かに押し寄せてくる。



うれしい。



翳は空に視線を移し、光に溶けていきそうな笑顔を浮かべる。


うれしい。生きていることが。

空を見上げることが。

風を感じることが。

森のざわめき、木のすこし湿っぽい匂い、降り注ぐ陽光が肌を温める感覚。

全てがうれしく、愛おしく感じる。


生を受けてから絶えることなく、心には影が落ち続けている。

そんな私でもわかる。命は、こんなにも色鮮やかだったんだ。


胸が痛くなるほど感謝の気持ちがあふれだしてくる。


「・・・ありがとう」


空の彼方へと祈りを捧げた彼女は、足元に柔らかさと温もりを感じた。

いつの間にか、トラが体をぴったりと寄せて座っていた。

微笑んだ彼女は、その額を撫でながら草原へと視線を戻す。


彼女は、この視界のどこかにいるはずの彼を想う。

日が地平線の向こうに沈み、星々が瞬き始めても。





きっかり一日後に、優はルダの街へと舞い戻っていた。


着いたその足で、ルダの塔の近くにある公園へと向かう。そこには翔とアゴ、そしてルダとルカリが眠る墓がある。正確には二人分の遺体しか横たわっていないのだが、優にとっては四人と会える大切な場所だった。


墓は公園を一望できる小高い丘に建っている。行き交う人々、走り回る子供たち。年々賑やかになっていく光景を、彼らはここでずっと見守り続けてきた。


到着するや否や、優は備え付けの掃除道具を手に墓石を磨き始めた。週ごとに欠かさず手入れしているので全く汚れていないのだが、これから何十年、下手をしたら一世紀以上ここに来ることができないのだ。どうしてもやっておきたかった。


草原で摘んだ素朴だが可愛らしい草花を飾ると、優はそれぞれの墓前で長い間手を合わせた。

やがて顔を上げた彼は、決意に満ちた表情で踵を返すと丘を下りはじめる。



次に彼が向かった先は、別の区画に作られた学校だった。

優のロボットによる建築のため、日本の高校に似た造りになっている。まだ授業が始まっていないらしい。生徒の姿は見当たらなかった。


校舎に入ると、通り過ぎる人々が驚きと共に挨拶を送ってくる。優はそれに応えつつ、職員室を目指す。


引き戸を開けると、机から立ち上がりかけたククナがいた。彼女は優の姿に気づくと目を丸くした。腕に抱えた書類が崩れそうになる。


「優さん?!」


お堅い姿をした彼女は、洞窟でボロを着ていた過去があるとは思えない。着ている服は基本的にスーツなのだが、ルルンと同じく少しばかり風変わりなアレンジが加えらえている。彼女も若々しいままで、ペルシャ猫のような優美さと気品に変わりはない。


「おはよう、ククナ。どうしてた?」

「おはようございます!相変わらず楽しくやってます。それで、今日はなぜこちらに?」


うれしそうに尋ねる彼女を見て、優はこれから言う事が申し訳なくなってくる。


「ククナに頼みたいことがあってさ。ルルンに、僕のかわりにしばらく市長をやってくれと伝えてほしいんだ。なんなら、代わりじゃなくてずっとでも構わないんだけど」


後半は半笑いで言った。

一方で、それを聞いたククナの表情は混乱を絵に描いたようだった。彼女はしどろもどろになりながら答える。


「ええぇ・・・?でも、どうして?というか、そんな重大な事は本人に直接お伝えいただいたほうが・・・」


優は少しばかり苦い顔する。


「僕はこれから、故郷に戻ってやり残した事を片づけてこようと思ってるんだ。でも、あっちの一日はこっちの十年以上になるからさ、そんなに長い間、市長不在だとマズいだろ?」


聞いているククナの表情が、だんだんと曇っていく。

その様子に内心焦りながらも、優は言葉を続ける。


「そんなわけで代理が必要なんだけど、あいつに市長やってくれなんて言ったら滅茶苦茶怒るに決まってる。ククナから頼んでほしいんだよ」


ククナは、不安げな声で彼に問う。


「・・・危険はありませんよね。必ず戻ってきてくださいますか?」

「そんな事心配してたの?あっちの時間で数日過ごして帰ってくるだけさ、何てことないよ」


それを聞いた彼女はしばらく黙考していたが、やがてため息をついて諦め顔になった。


「優さんは言い出すと絶対に考えを変えませんからね。・・・わかりました、伝えておきます。あの子は真面目ですから、仕事はきちんとこなすと思います」


優は眉根を寄せる。


「僕はそんなに頑固じゃないだろ。あと、なにげに僕が不真面目だって言ってないか」


ククナは口をへの字に曲げて、何も答えずにこちらをじっと見る。

優はたじろいだ。


「・・・とにかく、頼んだよ!埋め合わせは絶対にするから!」


そう言い捨てて、彼は一目散に逃げだした。後には、不満げな表情のククナが残される。


「何十年も会えないというのに、この別れ方はどうかと思いますよ」


彼女はそう呟き、書類を抱えなおして歩き始めた。





ルダの塔は、立ち入りが禁止されていた。

ここに入れるのは、今のところ優ただ一人だ。


中は何も手をつけられていない。昔のままだ。ここを歩いていると、これまでの年月が全て夢だったのではないかと疑いはじめてしまう。背後にルダの気配を感じる。常に何かを警戒しつつ歩き、腰の剣に手を置いてしまう。敵などいるはずも無いのに。


どうやら緊張しているらしい。


ククナには何の心配もないと言ったが、実際の所、あちらに戻るのは大きな危険が伴う。

なにせ、優の名前は故郷の世界の電話帳からは削除されたままなのだ。扉を開けて向こうに出たとたん、目の前にガベージコレクタが口を開けていないとも限らない。

彼はズボンのポケットに手を差し入れ、そこに入っている紙片の存在を確かめる。


大丈夫だ、あちらへの扉はツバキの実家につながっていると聞く。きっとすぐに、カエデさんが自分の名前を電話帳に書き込んでくれる。


やがて塔を抜けて無限の回廊を歩いた優は、バルルクタイルの宇宙の大広間へと続く扉を開けた。


星の光が、室内を青く照らしている。

ここも昔のままだ。ちゃんぽんカクテルを作った酒瓶までがテーブルに残っている。

転がっているものは全てガラクタだが、どれも優にとってはかけがえのない物ばかりだ。落ち込んだ時は、ここに来てテントやソファで眠っている。そうすると不思議と元気が出た。


床の物を避けながら歩き、故郷へと続くはずの扉の前に立つ。

優はノブに手をかけ、一瞬ためらったあとでそれを引いた。


暗い穴が口を開けていない事だけを願っていた優は、扉の向こうが灰色に塗りつぶされているのを見てうんざりした。元々期待などしていなかったが、やはり故郷では住所不定の身らしい。


そこはどこかの通路だったが、壁も床も、何の質感もない灰色一色に塗られている。宇宙を動かしているシステムが、優の存在に気づかずに手を抜いているのだ。


恐る恐る足を踏み出す。床を踏む感触はあるが、固いのか柔らかいのか分からない。相変わらず不気味な感じだ。そこで初めて、優は通路の奥へと視線を向けた。その瞳に異物が映り込んでくる。


灰色の世界に、くすんだオレンジ色が横たわっていた。

優は目を凝らす。


人だ。


息を飲んだ彼は、慌てて走り出した。


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