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>コマンド?  作者: オムライス
第八話
78/120

*9*



二人が転がり出た扉の向こうは、静寂に包まれていた。


そこはまたも通路だった。扉と同じく、全てがなめらかな白い素材で出来ている。それらは自ら弱い光を放っているようで、照明も窓も無いのに周囲は明るい。

壁には等間隔に扉が並び、その大半は開いたままだ。大きな混乱があったばかりのようだ、そこかしこに物が散らばっていた。


通路の奥にある階段が視界に入るや否や、翳は走った。


「・・・おい、待て翳!!」


あたりを警戒していたツバキの静止も耳には入らない。


宙に浮いているようだ。床を蹴っている感覚が全然ない。

激しい息遣いを掻き消す鼓動が大音量で脳をゆさぶり、殴るような脈動が視界を赤く、そして狭くしていく。


彼女を一杯に満たしている焦りは、その圧力で体を破裂させかねないほどだった。

もしこれが偽りの希望だったとしたら、落下した心は地の底で粉々に砕け散ってしまうだろう。


エスカレーターと同様の仕組みを備えていたらしい階段は、一段一段が高い。翳は小さい体を何度も何度もよろめかせながら、乱れたパジャマ姿でそれらを登り終えた。

たどり着いたその場所を見渡した瞬間、彼女は悲鳴を上げる肺の存在すら忘れて呼吸を止めた。


そこはアーチ状の天井を持つ、白い光に包まれた広大な広間だった。

床に無数に並ぶ装置とケーブルの間で、一人の男が仰向けに倒れている。その周囲は、彼の体から溢れ出た大量の血で飾られていた。


夢の中を進むような不確かな足取りで近くに寄ると、翳は血だまりに膝をついた。そして、血液で滑る重たい頭を抱え上げる。

瞳に映ったその顔は、記憶の中よりずっと痩せていた。

だが、見間違えるはずもない。



優だ。



うまく呼吸ができない。

ガサガサに荒れた彼の頬に血まみれの震える手を走らせてから、出血の源である失われた足と腕を探して周囲の床をまさぐる。それが空振りに終わると、翳は再び優の頭をきつく抱きしめ、か細い声で何度もその名を呼び始めた。


隣で声が響く。


「そのまま抱いてやっててくれ」


冷えきった翳の体に、日の光のような暖かさが注ぎ始めた。

呆けた顔を上げると、そこには直視できない強さの赤い輝きがあった。


「・・・ツバキ?」


この短時間で幽鬼のようにやつれた翳が、優の頭を二度と離すまいと抱えながら呟く。


「そんなに強く胸ぇ押し付けてたら、息を吹き返してもまた窒息死だな」


そうツバキが笑ったときだった。


翳は体の下で小さな動きを感じた。彼女は自らの卵の孵化に驚く親鳥のように、腕の中を覗き込んだ。


見つめる顔の、干からびた唇が動く。


「・・・翳ちゃん」


弱々しい。

けれども、一番聞きたかった声。


こみ上げてくる強烈な熱さと共に視界が光に滲み、記憶の奥底から懐かしい記憶が奔流となって甦ってくる。


冷たい風と、草の匂い。

温かい日差しを背負って、河川敷を歩いてくる優。

グローブを二つ持って、待っている自分。


再会したとき、私はどうなってしまうんだろう。

幸せのあまり壊れるかもしれない。

そんな事を考えていた。


でも、そんな心配など不要なほど、とうの昔に私の心は幸せで壊れていたのだ。


特別ではない日、

特別ではない待ち合わせ、

特別ではない会話、

その全てが、既にこれ以上ない、最大の幸せだった。


「・・・優さん」


ボロボロと温かい水滴が落ち、優の頬にこびりつく血を滲ませていく。

その隣で、ツバキは震える声を優に向かって押し出した。


「このアホ」


長い長い迷子探しが終わった。

ようやく二人は、探していたものをみつけたのだった。






「よし、さっさとここを離れよう」


治療を終えたツバキを見上げて、優の頬から血をぬぐっていた翳がうなずく。二人は未だぐったりとしている彼の体を起こした。その失われていた手足は再生され、まるで白い手袋と靴下のように浅黒い肌と色違いになっている。


この場を一刻も早く離れるべきだという考えは二人とも同じだった。ツバキは翳の助けを借りて優の体を背中に担ぐと、元来た所を目指して走り始めた。


その動きが、あとわずかで階段という所で急に止まった。

面食らった翳は、緊迫した表情でツバキを見上げた。


「どうしたの?」

「なんか変だ・・・急に空気が変わった」


常に余裕たっぷりなはずのツバキの顔に、翳がこの百年見たことのない表情が浮かんでいる。深刻さを悟った彼女は急いで周囲を見回した。その視線が一点で止まる。


こちらに背を向けて、部屋の中央で何かが宙に浮いている。それは虎のような大型の生物だが、飛びかかった直後の不自然な姿勢のまま、空中で全く微動だにしない。

あんなものは無かったはずだ。


奇妙な発見に身を固くする翳の隣で、ツバキの狼狽は更に激しかった。


「・・・こりゃ無理だ」


ツバキは聞こえないようにそう呟くと、優を担いだまま右手を前に差し出した。

すぐに赤く輝く転送ゲートが二人の前方に生み出され、広大な室内が再び淡い赤に照らされる。見知らぬ宇宙でぶっつけの転送など自殺行為だが、それでも尚、まだこちらの方が見込みがあった。


「翳、飛び込め!」


そう叫んだ瞬間だった。

ゲートはかき消され、ツバキと翳は彫像のように固まった。



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