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玄関を上がりながら、優はハタと思い出した。
うかつだった・・・家にはまだ廻が居る。
廻とツバキが出会ったとき、一体どんな化学反応が起きるのか。
口の悪い二人が喧嘩でもしようものなら。想像しただけで恐ろしい。
しかし遠路はるばる来てくれたツバキを、家に上げないわけにはいかない。
優は上着を預かると、彼女をリビングに案内した。
食卓に着いた彼女は、外での様子と打って変わって妙におとなしかった。伏し目がちで、柄にも無く緊張しているように見える。
こうやっていると、本当に和風の美人なんだけどな・・・。なんであんな風に、いつも威嚇するような目をしてるんだろう。
優が茶を置くと、彼女は礼を言って一口すすった。
それで少しばかり落ち着いたのか、彼女は口を開いた。
「おい優、ご家族はご在宅ではないのか?」
ご家族・・・。
「妹がいるよ。もうちょっとしたら塾に行く時間だから、そろそろ降りてくると思う」
「なんと、お妹御が!これはご挨拶せねばなるまい」
お前、誰だ・・・。というかお妹御ってなんだ。
優はツバキの柄にも無い言動に寒気を覚え始めていた。
「廻はツバキと同学年だよ、変に気を遣うなよ」
「そうはいくかよバカ!末永くお付き合いすんだから、今からしっかり仲良くなっておかねえとダメだろが」
なんでこんなにやる気になってんだ。というか地が出てきてるぞ。
優は渋面を作りつつガスコンロに向き直り、冷蔵庫から取り出した出来合いのコロッケを弱火のフライパンで温め始めた。こうすると余計な油が飛んで、あまり美味くない惣菜も多少はマシになる。廻の手料理を食べてもらいたかったが、残念ながら今日は自分の当番だ。
そんな優の後ろ姿をじっと見つめていたツバキが、感心した声で言った。
「料理も得意だったとはなあ」
「いや、これスーパーで買ってきたやつだから」
「奥ゆかしいなぁ、おめぇは」
その時、廊下から廻の声が響いてきた。
「誰か来てんの~?」
急速冷凍されたかのように、ツバキが硬直した。
「友達に来てもらってる」
優が返答するのと同時に、白いニットと黒のスキニーパンツという出で立ちの廻が姿を現した。
左腕には以前から大事にしている緑色のコートを抱え、同じ方の手に合皮のトートバッグを提げている。どれも安さ自慢のファッションセンターで購入したものだが、妹が身に着けると高級ブランドにしか見えない。
唐突にツバキが立ち上がり、深々と頭を下げた。
「初めまして、道志ツバキと申します! どうぞ宜しくお願い致します!」
廻はあっけに取られていたが、バッグを両手に持ち直すと頭を下げた。
「初めまして、宮ヶ瀬廻です。こちらこそ、宜しくお願い致します」
そう言って微笑む。頭を上げながらその姿を目にしたツバキは、呆けたような顔で震えていた。
*
優はコロッケを口に運びながら、異様に盛り上がっている二人を眺めていた。
「4月4日!私は12月31日ですので、やはり廻殿は姉上ということになりますね」
「だから姉上とかやめてよ」
そう言いながらも、廻はまんざらでもなさそうだ。
妹を欲しがってたもんな・・・。
「いえ、私、もし姉がいたらなぁとずっと思っていたのです。姉上では固いとおっしゃるのであれば、お姉さまと呼ばせてはいただけないでしょうか」
「お姉さまも固いって。じゃ、じゃあ、お姉ちゃん、で、どうかな」
そう言いながら、廻の顔がだんだんと赤くなっていく。
「お、おねえ、ちゃん・・・」
ツバキも、毒かなんかを食らったかのように耳まで真っ赤になりながら言う。
こいつらのイチャイチャには終わりが見えない。
「廻、塾の時間大丈夫なの?」
「あ、やべえ」
「行く前に聞いて欲しいんだけど、僕、これから一週間くらい家を空けるつもりなんだ」
廻は、どういう事?という顔をしている。
「どうしても、やり遂げたいことがあるんだ。わがまま言ってごめん。その間ご飯の用意とか出来なくなって迷惑かけるけど、必ず穴埋めするから」
「・・・一週間って、大晦日になっちゃうじゃん」
「ごめん」
廻は腕を組んでしばらく考えたあと、諦めたように言った。
「まー、あんたがそんな事言うなんて久しぶりだし、仕方ない。いいよ」
「・・・ありがとう、廻」
優はテーブルに手を突き、頭を下げた。
「あたしはいいけど、一週間とか、どこに泊まるわけ?ツバキちゃんにお世話になるの?」
「うん、僕からお願いした」
廻は眉をひそめ、ツバキに視線を向けた。
「迷惑じゃないの?」
「お姉さま、ちゃん、私自身のためでもあります。迷惑などありませんから」
「・・・わかった。ツバキちゃん、どうかよろしくね」
二人は目を合わせると、微笑み合った。
放っておいたら、いつまでもそうしていそうだった。
こいつらにお互いの本性を見せてやりたい。
「あんた、一体どこでこんな素敵な子と出会ったわけ?今度ゆっくり聞かせてもらうからね」
聞かないほうがいいと思う。
*
優は玄関を出ると、鍵をかけた。
背負ったバックパックには、七日分の着替えが押し込んであった。
念のため、例のハンマーもその奥に仕舞ってある。
「んじゃまずは靴だな。登山靴。持ってねぇだろ」
ツバキは意外な物を要求してきた。
「うん、無い」
「貸してやりてーけど、お前のサイズに合うとは限らんし、買った方がいいな」
「・・・おいくら?」
「ピンキリだな。まあ一番安いのは8000円も出しゃ買えんだろ」
しかしなぜに登山靴・・・優は眉をひそめた。
「ツバキ、もしかして修行って登山なの?」
「バーカ、靴もねぇんだからお前、山登りは素人だろ!遭難するわ!近くの山で軽く籠もるんだよ!」
軽く籠もるってなんだよ。
「・・・近くでも山は山じゃん、いきなりハードすぎる気がするんだけど」
「七日じゃ出来ることは限られてる。まずは根性鍛えねぇとな!同時にオレの流派の基礎トレーニング法をしっかり教えてやっからよ!」
ツバキが、精一杯張ったその胸に拳を叩き付けた。
あいかわらず、まな板のような胸だ。しかしその大胸筋はさぞかし強靭な事だろう。
彼女が振り下ろすエクスカリバーは、稲妻のような速さだった。
「・・・何見てんだてめぇ」
気がつくと、例の三白眼でツバキが睨んでいた。怖い。
「頼もしいなって。いや本当だって」
優はしどろもどろになって、そう答えた。




