二人の王子
テシウス視点です。
―――――僕の妻はとても愛らしい。
綿飴のようにふわふわとした長い銀色の髪。とろけるように甘い蜂蜜色の瞳。艶やかな林檎色の唇。白い肌はマシュマロのように柔らかく、抱きしめるとうっとりするほど心地よい。そう言うと、彼は長椅子の肘掛けに頬杖を突き、うんざりした顔でこちらを見た。
「………聞き飽きたぞ」
「だって、事実なのですよ。兄上」
「テシウス………お前の目は腐っているのか?」
信じられないとばかりに両手を挙げ、大げさに首を振る彼の名は、ルシウス=ヒルト=イージス。五歳年上の異腹の兄である。父上譲りの漆黒の髪と瞳を持ち、どちらかといえば女性的であると評される僕の容姿とは対照的に、男らしく秀麗な顔立ちをしている。
幼い頃から神童と崇められるほど明晰な頭脳を持ち、戦ともなれば最前線で指揮を執り、勇壮に剣を振るう英雄として国民からも広く慕われている。僕にとって自慢の兄上であり、誰よりも尊敬する存在だ。しかしながら、この件についてはどうしても兄上とは理解し合えずにいる。
―――――フィリエル=リゼラード
それが僕の妻の名だ。ああ。名前まで愛らしいとは何て罪な人だろう!
そう言えば、兄上は苦虫を噛みつぶしたような顔をするから、僕はいつも困ってしまう。僕がいくら丁寧に説明しても、兄上にはフィリエルの魅力が伝わらない。確かに、僕と兄上では女性の好みが全くと言っていいほど違う。兄上の数多いる妃たちは皆すらりと背が高く、凛とした顔立ちの美しい女性ばかり。一方、僕が好ましいと思うのは可愛らしい女性で、優しく温かみがあり、側にいて安心できるような人だ。
「世の中にはもっといい女が沢山いるじゃないか。何もあんな女に引っかからなくても良いだろうに」
「『あんな女』とは失礼な。彼女を侮辱することは例え兄上でも許せません」
あまりの言いぐさに耐えきれず、僕は兄上をきっと睨みつけた。思えば、フィリエルと初めて引き合わせたときも兄上の態度は最悪だった。彼女を一目見るなり眉を顰めて、「何だこの風船女は」などと暴言を吐き、その場の空気を凍りつかせた。
繊細なフィリエルは大層傷つき、今にも泣き出しそうな顔をしていたが、気丈なことにその場では決して涙を見せなかった。僕はその件について、今でも兄上を許していない。
しかし、憤る僕とは反対に、目を瞠った兄上は不意に優しげな笑みを零した。
「昔からいつも死にかけていた弱くて小さなお前が、女のためにそんな目をして俺を見るようになるとはなぁ………」
兄上はまるで独り言のように、どこか遠い目をしてしみじみと呟いた。長く辛い闘病生活の中で、生きることを諦めそうになる度に、兄上は何度も僕を励ましてくれた。自由に動けない僕にとって、活躍する兄上は憧れであり、希望の光だった。それは病が癒えた今も変わらない。だからこそ、尊敬する兄上に僕の気持ちに共感してもらいたいのに、話はいつも平行線で終わる。
「俺はそろそろ行くぞ」
立ち上がった兄上を、僕は名残惜しげに見上げる。このあと会議があるらしい。こちらを振り返らないまま、「また来る」と言い残し、兄上が扉を開けた瞬間。
「きゃっ」
扉の向こうでか細い悲鳴が上がり、僕はパッと目を輝かせた。
「フィリエル!」
そこに立っていたのは、僕の愛しい彼女だった。薄紅色のドレスを身に纏い、まるで春の妖精のように可愛らしい。フィリエルは僕に向かってはにかんだような笑みを浮かべてくれたのも束の間、目の前に立つ兄上の姿を見つけた途端、さっと顔を強ばらせた。
「ルシウス様………いらっしゃったとは存じませんでした」
失礼します、とそのまま踵を返そうとするフィリエルの背を、兄上が不意に引き止めた。
「………待て」
何事かと振り返ったフィリエルの腹部に、兄上の手が無遠慮に当てられる。フィリエルは戸惑い、恐る恐る兄上を見上げた。
「ここに本当に子供がいるのか? ただの脂肪じゃないのか?」
「兄上!」
僕は思わず非難の声を上げた。けれど、投げかけた暴言とは裏腹に、フィリエルの腹を撫でる兄上の手つきはひどく優しいものだった。
「お前は気に入らないが、生まれる子供は楽しみにしている」
言い捨てて、部屋を出て行く兄上。ぽっと頬を染めたフィリエルを抱き寄せ、僕は甘い幸福を噛みしめた。