2-5 妖精の怒り
宰相の発した『人間に刻印を描く』という言葉が静かに王城の大部屋に響いた。
「?!」
一瞬の静けさの後に、一拍置いてその言葉の意味を理解した刻印屋達は驚愕の表情を浮かべた。
生物に、ましてや人間に刻印を刻むとは前代未聞の行為であり、出来る限り避けられてきたことなのだ。
「きっと抵抗がある方が多いと思いますが、どうか協力して頂きたい。人間とは言っても妖精に蛮行を働いた者達です」
いわば人間たちへの報復なのです、と声高らかに悪意なく言い放った。
「我々は昔こそは人間と共に生き助け合い、恵みをもたらしてきた」
しかし、と宰相は険しい憤りを感じさせるかのように拳を握りしめる。
「現在は妖精の存在すら忘れられ、人間は我々を見つけたら捕まえ、あまつさえ愛玩動物のように扱ったり殺したりする。いったい、どうしたらこの所業を許せるというのでしょうか」
そう言って宰相の青年は息切れ気味に語る。
部屋にいた妖精たちの雰囲気は大きく変わっていった。
妖精たちの周りにねっとりとした黒い霧のような、そんな重苦しい悪い気が大部屋を満たしているようにアルロフには感じた。
先程までは、部屋に置かれた家具や照明に感銘を受けるほど洗練された空気が宰相の雄弁な語りによって一変した。
「そうだ、あいつらは俺らがいなくてもいいんだ」
「見返りのミルクを置いてくれる人たちも居なくなったって知り合いの子が言ってたわ」
「人間に報復するべきだ!」
空気が悪い。人間にやり返したい、そんな声があちこちから上がる。
何が狙いなのだろう、妖精王の指示なのだろうか。何が目的なのだろうか。
どれだけ頭を回転させても、アルロフには全然思い付かない。
もし妖精王の指示だとしたら、彼女は一体タブーを犯してまで何がしたいのだろうか。
大部屋の空気はどんどん悪くなっていく。
妖精には“同調”という特性があるというが、いわゆるこれがそれに当たるのだろうか。
もう、妖精達は仕事をする気満々である。
「ではそれぞれ作業机の方に移動をお願いします」
自由席なので順番関係なくお好きな所をお使いください、そう言った宰相はどこか仕事をやりきった風である。そして、一瞬酷く思い悩んだような暗い表情を見せた。
「お疲れのようですね」
他の刻印屋がぞろぞろと机に移動している一方、アルロフはそんな宰相の様子を見逃さず、すかさず彼に声を掛けた。
「あなたは……」
呟きながら観察する青年宰相は自らの記憶を掘り返すかのように、アルロフを足のつま先から頭に掛けて視線を動かしていく。
「あ、アルロフ=エイシン殿ですね」
妖精王陛下からお噂はかねがね、とエルフ特有の長い耳で視線を止め微笑んだ。
「妖精王陛下は今日はいらっしゃいますか?」
「えぇ、ですが最近体調が優れないようで」
自室で休まれています、と声のトーンを落として宰相は答えた。
「なるほど、あ、すいません。宰相殿のお名前をお伺いしても?」
政治には疎いもので、とアルロフは青年宰相に聞いた。正直、どこかで聞いた事があるような気がするが思い出せないので聞く事にする。
「名乗り遅れて申し訳ない、私はルートル=ウィンディーネと申します」
「ウィンディーネ……というと冬の家の出ですか?」
「はい。と言っても私は中央の城下育ちですが」
家、というのはそれぞれの郷を治める貴族妖精の家系を指す。それぞれ春、夏、秋、冬に対応するように春の家、夏の家、秋の家、冬の家とあるのだ。特にウィンディーネ家は冬の郷を統治しており、冬の家と呼ばれる。
「……そろそろ、よろしいでしょうか?」
ルートルと世間話をしていると、彼の後ろに控えていた年重の人物が話を遮ってきた。きっと彼の補佐官なのだろう。
「あぁ、すいません。アルロフ殿。執務に戻らねばならないので」
これで失礼します、とルートルは声を掛けていた補佐官と共に大部屋を出ていった。
部屋の外には妖精ではなく、多数の人間の気配がした。
「流石に黙ってはいられないよなぁ――」
誰にも気付かれない声でアルロフは息をつく。誰も何も言わない、おかしいとすら思わない。
あまりにも危険だった。
まずは一旦状況が整理したい。この異常な状況を。
「すいません、仕事前にお手洗いに行っても?」
ならば、ここから離れなくては。取り敢えず、大部屋に待機していた王城勤めの妖精に声を掛ける。
「えぇ、構いませんよ」
ご案内します、というその妖精にアルロフは、分かるので1人で大丈夫です、と伝え1人大部屋を出た。
【第 2 章 召集 • 終】




