24話 すべてを明かしても、ここにいていいと言われた
「将軍、おはようございます」
広間には、すでにヴァルガスが座していた。
「来たな、ユイカ」
その後に――
少し遅れて、足音が二つ。
「失礼します」
振り向く。
入ってきたユーリスと、目が合う。
――さっきの言葉が、まだ耳に残っている。
わずかに息を詰め、視線を落とした。
「改めて礼を言う。昨日の外門防衛、見事だった」
「……いいえ」
一度、息を吸う。
「礼を言われるようなこと、してません。それに――」
膝の上で、手を握り締める。
「本当は、逃げようと思っていました」
わずかに空気が張り詰める。
視線を上げる。
「ずっと隠していたことがあります。
……桜のことです」
「桜?」
ヴァルガスが目を細める。
結花は静かに頷いた。
次の瞬間――
淡い光が走る。
左手の腕輪が輝き、そこから一振りの刀が姿を現した。
「……な」
三人の息が止まる。
結花は、迷いなく右手で柄を掴んだ。
左手に視線を落とす。
「この腕輪は、祖母が亡くなる前に創ってくれたものです」
一拍。
「念じれば刀を呼び出せます。――鞘の代わりです。
昨日使っていたのが、この『妖刀・桜』」
「妖刀、とは穏やかではないな」
ヴァルガスが低く唸る。
結花は小さく息をついた。
「初代武藤家当主が鍛えたと伝わる刀です。……少し、持って頂けますか?」
差し出す。
ヴァルガスが受け取った、その瞬間――
刃が、鈍く濁る。
みるみるうちに赤錆が広がった。
「……っ」
「なんじゃこれは」
三人の視線が結花に集まる。
「桜は、自ら主を選びます」
「まるで意思があるように。認めた者以外が触れれば、ただの錆びた刀になります」
ヴァルガスから受け取る。
結花の手に戻った刃は、ゆっくりと本来の輝きを取り戻していった。
息を呑む気配。
その静寂の中で、結花は続けた。
「武藤の家でも、桜を扱える者はごく僅かです。私は……三百年ぶりの使い手だと聞いています」
「当時は、かなり騒がれました」
視線を落とす。
「武藤では、力のある者に相応の役目が与えられます。戦や諜報、そして……影の仕事も」
サイガの眉がわずかに動く。
ヴァルガスとユーリスも、表情を引き締めた。
「桜も……そういう役目に使え、と言われました。
……でも、私は嫌だった」
「兄と刃を合わせるときも、桜はいつも静かでした。
――人を斬るための刀じゃない、って言うみたいに」
手の中の桜を見つめる。
「だから兄が、親族を説き伏せてくれたんです。桜は人殺しの道具ではない、と」
静かに顔を上げる。
「その時、誓いました。私は、この刀で人を殺さないと」
そして。
「もう一つ、約束もしました。
桜の力は、むやみに他人に見せないこと」
三人をまっすぐに見る。
「桜に選ばれたとき、その扱いが自然と分かりました」
「持ち方も、振り方も、構えも。
最初から知っていたみたいに、身体に馴染んでいました」
刃を見つめる。
「兄は、そんな私を見て言いました」
――普段と、刀を持つときの感覚を切り替えろ。
「桜と出会ってから、気配に敏感になりました。殺気や視線にも」
ゆっくりとサイガを見る。
「……一ヶ月くらい前まで、私に人を付けていましたよね?」
サイガが苦笑する。
「気づいてたの?」
「はい。でも、知らないふりをしていました」
視線を戻す。
「そう育てられてきたんです。
普段は普通に暮らして、力は隠す。
……それが、当たり前でした」
「家では毎朝、兄と桜で稽古をしていました。
……こっちでは出来ないので、空手で代わりに」
「へえ」
サイガが肩をすくめる。
「やられたな。あの時の手合わせも?」
「“普段の私”としては全力でした。でも……桜は使えませんでした」
静かに、三人を見る。
「今まで黙っていて、すみませんでした。
……嘘をついていたことも」
精一杯の思いを込めて、頭を下げる。
親切に、優しく接してくれていたのに。
皆を欺いていた。
責められても仕方ない。
覚悟して唇を引き結ぶ。
だが――返ってきたのは、ひどく穏やかな声だった。
「なぜ、謝る」
ユーリスが、まっすぐにユイカを見る。
「ユイカは悪くない」
胸が、強く鳴る。
「兄との約束を違えてまで、紅のために戦った。
謝る必要はない」
「……ユーリスさん」
「まあ……そういうことだよね」
サイガが肩をすくめる。
「隠してたっていっても、裏があったわけじゃない。ユイカに非はないでしょ」
「……うむ」
ヴァルガスが静かに頷く。
「自ら戦場に立つ覚悟――並のものではない。
礼こそ言うべきだ。咎めるつもりはない」
視界が、滲む。
桜のことを知るのは、これまで武藤の家の者だけだった。
兄は、守ってくれた。
でも――
私を“妖刀使い”としか見ない人もいた。
桜を恐れ、避ける人も。
家族以外に、
私を“私”として見てくれる人は、ほとんどいなかった。
それなのに。
この世界で。
桜ごと――
私を受け入れてくれる人たちがいる。
どうして、こんなにも温かいのだろう。
ヴァルガスが、娘を見るような眼差しを向ける。
「ユイカ。望みはあるか」
穏やかな声。
「紅を救ってくれた礼だ。何でも言ってみよ」
「……望み……」
ある。
ずっと、胸の奥にあったもの。
それでも、言えなかった。
「ひとつだけあります。
その前に、将軍……もう一つ、謝らないといけないことがあって……」
ヴァルガスが目を細める。
「……申せ」
「実は……半月以上前に、自分の世界へ帰る方法が分かっていました」
静まり返る。
「それでも私は、ここにいたくて……黙っていました。すみません」
頭を下げる。
一瞬の沈黙。
そして――
「ははっ」
豪快な笑いが響いた。
「その程度か」
顔を上げる。
「儂は“帰れ”とは一言も言っておらん。……好きなだけおればよい」
言い切る。
「え……ほ、本当に? まだ……いてもいいんですか?」
思わず声が裏返る。
「まさかそれが“望み”だったとか?」
サイガが肩を揺らす。
「う……」
図星。
どっと笑いが起こる。
「そんなに笑わなくても……!」
横を見ると、ユーリスまで口元を押さえている。
「……すまない」
全然すまなそうに見えない。
しばらくして笑いが落ち着くと、ヴァルガスが改めて問う。
「それで、本当にそれだけか」
「それだけ……です」
少し考える。
「……あ、ひとつだけ。
外出の許可、いただけますか。
家族に……ちゃんと伝えておきたくて」
いつ帰ることになるか分からない。
本当は、親族にも話さなければならない。
桜の力は、それほど重い。
三百年ぶりの使い手が異世界にいる――
それだけでも、問題になる。
ましてや、そこに長く留まるとなれば。
……反対する者が出ないはずがない。
「しばらく時間がかかるかもしれませんけど……待っていてもらえませんか?」
そのとき。
「その必要はない」
低い声が、割り込んだ。
――この場の誰の声でもない。
空気が、変わる。
「何奴じゃ!」
ヴァルガスの一喝。
襖の陰から、ゆっくりと一人の男が姿を現した。
黒髪。黒い瞳。
すらりとした体躯に、無駄のない筋肉。
纏う気配で分かる。
ただ者ではない。
けれど。
結花にとって重要なのは、そこではなかった。
な、なんで……?
いるはずがない。
ここにいるはずがない人。
喉が震える。
声が出ない。
男は、まっすぐ結花を見ると――
にやりと笑った。
「よぉ、結花。元気そうじゃないか」
その瞬間。
体を縛っていた何かが、ほどけた。
息を吸い込み、叫ぶ。
「どうしてここにいるの!? 深兄!!」




