第10話 独占と撤退と、ちょっと優しさと
夜、部屋に戻ったミリアは、ふかふかのベッドの上にごろんと転がった。
魔力の余韻がまだ皮膚の内側に残っているような、不思議な疲労感があった。
(……今日、すごかったな……)
嫌いって言って、向き合って、観察をやめてくれて、
神託が戻って、共存って言われて――そして。
「……『完全に嫌い』って言ったら、魔力揺らいでたよね……」
思い出すと、思わず口元がゆるんだ。
あの完璧な無表情が、微かに揺れたあの一瞬。
ゼノは、不器用だ。
感情が見えづらくて、正直すぎて、ちょっと怖い。
けれど――ああいう風に、ちゃんとミリアと『線を守ろうとしてくれる』人だった。
(……あれ? もしかして私、けっこう……)
どこまで考えるかは言葉にしない。
けれど、胸の奥がぽかぽかと熱を持っていた。
「だめだ……眠れそうにない」
ミリアはごろんごろんとベッドの上を転がりながら、枕をぎゅっと抱きしめた。
(それにしても、共存かあ……)
ふと、目に入ったのは、壁際に置かれた木製のサイドデスク。
その引き出しの上に、一冊の黒いノートが無造作に置かれていた。
「……これ、ゼノさんの……?」
試しに手に取ってみる。
無地のカバー、やたらと丁寧な文字で書かれたタグが見えた。
──観察記録 No.017:対象個体 ミリア・フェルディナンド
「対象個体って言ったー!!」
全身の力が抜けるような悲鳴がベッドに響く。
思わず頭を抱えて枕に突っ伏した。
「……ほんっとにそういうところ直してほしい!!」
でも、そのままページを開いたミリアの目に入ったのは――意外な一文だった。
【備考】
・本日、対象が『嫌い』と発言。対応として距離調整を実行。
・発言後、対象の精神波が急降下。その後の反応から『言いたくなかった』可能性。
・『完全に嫌っていた』という臨界点に至らなかったのは、幸い。
→ 本件は、記録より『対話優先の価値あり』と判断。
──ミリアが笑っているなら、それでいい。
それ以外の全ては、手段にすぎない。
「…………」
思わず、ページをそっと閉じた。
冷たい人だと思ってた。
感情のない分析屋だと、思ってた。
でも、本当は――誰よりも、自分の『言葉』を重く受け止めてくれていた。
(やばい、泣きそう……)
ミリアは毛布にくるまり、顔を枕に押しつけた。
「……私、どんどんチョロくなってない……?」
自分でも呆れながら、けれど胸の奥には、ほんの少しだけ、優しい火が灯っていた。
この国での暮らしは、たぶんまだまだ『平穏』とはいかない。
でも――いまの自分には、『笑える日々』が確かにある。
そして、たぶん、それをくれたのは、観察魔導師で、ヤンデレ寸前な不器用男。
「……共存、ね。まあ……試してみてもいいかも」
ミリアはそう呟いて、やっと瞼を閉じた。
部屋の隅では、小さな監視魔具が羽をたたみ、ひっそりと眠っていた。
▽
翌朝。
研究棟の中庭で、ミリアは珍しくぼんやり空を見上げていた。
(……なんか、寝起きがスッキリしてる……)
神託の『声』も、今日は静かだ。
やっぱり、魔力の環境が安定しているおかげかもしれない。
そんな中――遠くから、ゆっくりと歩いてくるローブ姿が見えた。
「おはよう、ゼノさん」
「おはよう、ミリア。体調に問題は?」
「うん。よく眠れた……監視魔具が大人しかったから」
「それはよかった。昨日、『夜間停止』に設定した」
「……成長してる……ゼノさんが……人として……!」
感動に震えるミリアの横で、ゼノは淡々と書類を差し出す。
「本日の予定だ。午前は魔導脈測定、午後は神託内容の検証会議。ノエルが同席する。例の件も含めて対応は済んでいる」
「例の件?」
ミリアが首をかしげると、ゼノは一瞬だけ目を伏せた。
「……ラース・レイナー、昨日正式に退所した」
朝の光のなか、ゼノは何気ない調子でそう告げた。
その一言に、ミリアの背筋がぴしりと凍る。
「……もしかして、また何か『した』?」
「直接的な圧力は加えていない」
ゼノはそう言った。けれど、すぐに続いた言葉は――
「ただ、昨日の『距離感』を、彼自身が理解したようだ。その結果、『胃痛』を訴えて、休職届を提出。今朝、正式に退所となった」
「いやいやいや!? それ、実質プレッシャー退職じゃん!!」
ミリアが目をむく。
ゼノは首をほんのわずかに傾けた。
「距離感の誤解による自律的ストレス反応と医務室の診断にも記録がある。判断は彼自身のものだ」
「それ、私は何もしてないって顔して、結果的に詰んでたってやつじゃん!?怖い!!」
「彼が悪意を持っていたわけではない。だが君に近づくという意図そのものが、僕にとっては容認できない」
「そこまでは分かってたけど……胃をやるほどとは思ってなかったよ……!」
ミリアは呆れて、そしてちょっとだけ罪悪感を抱きつつ、肩を落とした。
「……もうちょっとさ、周囲の人権にも配慮してあげて。じゃないと誰も近づけなくなるよ……」
「それが望ましい」
「望ましくないよ!?人としての距離感の話してるの!!」
ミリアは思わず空を見上げてため息を吐いた。
(ラースくん、やっぱり逃げて正解だったわ……胃、大事にして……)
「……ちなみに、今ごろ彼どこに?」
「帝国西部の温泉療養施設。休暇扱いで移送されたと報告を受けている」
「温泉……?思ったよりまともなエンディングだった……」
「リタイア者への再配属支援も帝国の制度だ。僕は無慈悲ではない。君以外には興味が薄いだけだ」
「それが一番怖いんだってば!!」
けれど、そんなツッコミの中でも、ミリアの内心には――ひとつだけ、確かなものが残っていた。
(私の言葉、ちゃんと効いてる)
距離を取ろうとすること。強すぎる干渉をやめたこと。
ゼノがミリアのために、やりすぎない努力を始めた証だった。
「……胃痛にさせたことは許さないけど、まぁ……ちょっとだけ進歩、かな?」
そう呟いて笑うと、ゼノは一言。
「では、今後は胃痛を与えない方向で調整する」
「その調整項目が存在してる時点で問題なんだよ!!」
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