第09話 神託の交差点 ― 再び、彼と向き合う
夜の研究棟は、昼間よりも静かで、それでいて異様なほどに明るかった。
無数の魔導灯が廊下の天井に浮かび、室内の空気をぴたりと冷やしている。
緊急魔力監視システムが作動している証だと、ノエルが簡潔に説明してくれた。
「今、研究棟全域が『神託共鳴』モードに入っています。あなたの魔力波をもとに、全装置が再調整されている状態です」
「それって……つまり……」
「帝国は、ミリア嬢を『観測基準』として扱っているということです」
「……え、ちょっと、急にすごい重要人物じゃない?私」
「すでに重要人物です。『個室』に監視魔具が三十体以上いる段階で、帝国内で五本の指に入る管理対象です」
「うわぁ……全然うれしくない」
そんな会話をしながら、二人は研究棟の最奥、神託解析室へと到着した。
扉が開いた瞬間――そこに立っていたのは、いつも通りの無表情魔導師だった。
「……ようこそ、ミリア」
ゼノ・クローネの声は、少しだけ低く、いつもより『人間味』を帯びていた。
けれど彼の眼差しは、いつも以上に鋭い。
正確には――何かを押し殺しているような、妙な硬さがあった。
(あ……この人、私の『嫌い』がまだ尾を引いてる……)
妙に距離を取った立ち位置。
ぎこちない間。感情を読み取らせない表情。
でも、ミリアにはわかる。
これまでのゼノがどれだけ感情を制御してきたかを知っているから。
「ミリア。まずは『神託』の詳細を話してくれ」
無駄な前置きはなく、仕事の顔で話すゼノ。
それが逆に、今の彼の“精一杯の距離の取り方”なのだろうと、ミリアは察した。
「……了解。じゃあ、整理して言うね」
ミリアは深呼吸し、神託の内容を言語化していく。
「昨夜、『西方』から強い魔力の脈動が届いた。地中の奥深く、かなり古い層から。それも一箇所じゃない。複数」
「『地脈』の活動か?」
「ううん。もっと違う。地に宿っていた存在が、目覚めようとしてる……そんな感じだった」
ゼノの目がわずかに細められる。
彼の手元にある水晶球が淡く輝き、空中に複数の魔力分布図が浮かび上がった。
「ここ一週間、西域山脈の地下で断続的な魔力膨張が観測されていた」
ゼノは手早く術式を走らせ、空間に映るデータを操作する。
「君の神託は、ここと一致している。……やはり、『予言』ではない。『解析』だ」
「うん、私もそう思う。神様の声っていうより、世界が『言ってる』みたいな」
「神が地脈と会話している可能性もある。君は、それを聞ける『受信器』なんだ」
ゼノは口調こそ冷静だが、魔力操作の手はわずかに荒く、魔術回路の速度も通常時より3割ほど速くなっていた。
(……興奮してるな)
ミリアは苦笑する。
研究対象を前にして、平常心でいようとして、逆に挙動が人間っぽくなってしまう――それがこの男の『誠実さ』なのだろう。
ひとしきりの解析が終わったあと、ゼノがふと口を開いた。
「……ミリア」
「ん?」
「『嫌い』と言った件だが」
「うん、言った。思いっきり」
ミリアは目を逸らさず、にっこりと微笑んで答えた。
「でも、今はちょっとだけ訂正してもいいかなって思ってる……ほんのちょっとだけ、ね」
ゼノの指が止まり、しばし沈黙が落ちる。
「……どうして?」
「あなたが、ちゃんと“下がってくれた”から」
その言葉に、ゼノはまばたきを一度だけして、こう答えた。
「……それは、君の命令だった。君が『嫌い』だと言ったから、干渉を最小限にした」
「でも、それって、我慢したんでしょ?」
「……否定はしない」
彼は、ぎこちなく正直だ。
言い訳もしないし、無理に取り繕うこともしない。
その姿が、ミリアにはどこか不器用で、真っ直ぐで――少し、愛しかった。
「……それにね。やっぱり私、嬉しかったんだ……「君の神託が必要だ」って、あなたが言ってくれたの……あれ、ちゃんと届いたよ」
ミリアの声は柔らかく、それでいてしっかりと芯があった。
今の彼女は、『聖女』ではなく、『ミリア』として立っている。
「だから……次、またなんか怖いことしたら、そのときは『もっと嫌い』って言うからね?」
「……そうか」
ゼノは頷いたあと、ほんの一瞬だけ彼女から視線を外した。
その仕草が――なぜだか、傷ついたように見えた。
「でも、『嫌い』って言える相手がいるのって、ちょっとだけ……安心かも」
ゼノはしばし沈黙したのち、わずかに口元を動かした。
それは“笑った”というにはあまりにも淡く、けれど確かに表情の変化だった。
「……なら、僕はもっと嫌われる努力をしてもいいかもしれない」
ミリアは一瞬きょとんとしたあと、すぐに目を見開いた。
「それは違う!!努力の方向が間違ってる!!」
「失礼。冗談だった」
「絶対本気だったよね!?目が笑ってなかったよ!?」
ミリアが声を荒げた瞬間――ゼノは、ほんの少しだけ目を細めた。
それは、警戒でも嫌悪でもなく。
ようやく手が届きそうになった、壊れ物を見るような、静かな安堵の気配。
「……君が、笑っているなら。それだけで、価値がある」
「……そういう言い方がいちばんズルいって言ってるの……に……」
ミリアはそう言いかけて、言葉を飲み込んだ。
胸の奥が、じんわりと熱くなったから。
目の前の男は、やっぱりズレていて、こわくて、不器用すぎて。
だけど確かに――彼女だけを、見ている。
(もう、『嫌い』じゃないかも)
自分でも気づかないうちに、そんな思いが芽を出していた。
神託の解析はひとまず終了し、部屋にはふたりきりの静寂が訪れる。
ゼノは静かに席を立ち、ミリアに向き直った。
「ミリア……今後、君の神託は帝国防衛の中核になる」
「うん、それはわかってる」
覚悟は、すでにできていた。
自分の力が誰かの役に立つのなら、それでいい――そう思えるくらいには。
「だからこそ、君には最大限の『保護』と『支援』を用意する。ただし、それは『観察”』ではなく、『共存』という形に改めたい」
ミリアは思わず瞬きをした。
「……それって、ちゃんと私の『意志』を考えてくれるってこと?」
「今後は、常に事前に同意を得る」
「……トイレとお風呂にも?」
一拍の沈黙。
「……ノエルに止められた」
「よかったあああああ!!」
ミリアは本気でホッとした顔で、胸に手を当てて深く息を吐いた。
「ほんと、止められてなかったら、私……たぶん……」
ぽつりと、呟くように。
「お風呂まで覗いてたら、完全に嫌ってたもん」
その瞬間、ゼノの指先が、ピクリと動いた。
表情は変わらない。声も出さない。
けれど、彼の魔力の揺らぎが、わずかに『軋む』。
静かで、けれど確かに――彼の内側で、何かが動揺していた。
「……そこが、君の臨界点だったか」
低く、小さく、呟くような声。
それはただの事実確認には聞こえなかった。
むしろ、もし本当にそうしていたら、君を失っていたのかという静かな後悔。
「……以後、二度と越えない」
ゼノは一歩、彼女に近づいた。
けれど、決して手を伸ばそうとはしなかった。
その距離は、近づきたいけれど、踏み越えてはならないと知っている者だけが取れる距離だった。
「君の境界を、尊重する……それが、共存ということなのだろう?」
ミリアは目を瞬かせた。
自分の一言で、ここまで反応するとは思っていなかった。
でも同時に、それだけ自分の言葉が、この人にとって重いのだと――胸の奥が、ほんのり温かくなる。
「……ああもう、だからズルいんだよ、ゼノさんは」
ミリアは目をそらし、小さく笑った。
「ちょっとずつ距離つめてくるくせに、こっちが許しそうなちょうどいいラインだけ、ちゃんと守ってくるんだもん」
「努力の成果だ」
「努力の方向は正しかった、今回は」
「記録しておく」
「ちょっとやめて!?それどこかに記録されるの!?やだよ私の許容ライン分析とか!!」
そんな軽口を交わすうちに、空気はいつのまにか、ほんの少しだけ――柔らかくなっていた。
思わず肩を落とすミリアの横で、ゼノは初めて明確に『表情』を浮かべた。
微笑――それは誰にも気づかれないほど小さな、けれど確かな一歩だった。
その翌朝。帝都に一報が届く。
──西域外縁、古代封印跡地にて、『魔族らしき存在の発現』を確認。
帝国中枢部に緊急通達が走る。
そして、彼らふたりの戦いも、静かに始まりを告げようとしていた。
だがその時、ゼノの部屋に設置された新型監視魔具のログにはこう記されていた。
――22時42分:観察対象が「少しだけ好きかも」と発言
――22時43分:ゼノ・クローネ、心拍上昇
――22時44分:監視魔具、謎の熱暴走により破損
「……お前、燃えたのか……」
ノエルは、焼け焦げたふわふわ魔具を手に、ため息をついた。
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