01 使い魔を召喚するより、試験勉強をすべきだった
「まあ、今回もシノン殿下が一番ですわ」
「全教科で一位だなんて、さすがですわね」
ルルシア王国王立魔術学院の玄関ホールには、七日間にわたる学年末試験の結果が大きく掲示されていた。掲示板の前には、黒いローブを羽織った学院生たちが群がり、自分の名前を探しては歓声を上げたり、肩を落としたりしている。
「これで気持ちよく休暇を迎えられる」
「俺はまずい。しばらく屋敷から出してもらえないかも」
「わたくし、新しいドレスを仕立てていただけそうですわ」
「羨ましいわ。私はこの成績だと無理かも。せっかく社交シーズンが始まるのに」
希望と失意に揺れる集団の後方で、ナナリー・ドラクロワは真っ青になっていた。うぐいす色の髪の隙間からのぞく額に冷や汗がにじみ、金色の瞳は掲示板の下の方に釘付けになっている。
上から順に探すつもりだった。けれど、長年の習慣というものは恐ろしい。無意識に下から探し、あっという間に自分の名前を見つけてしまったのである。
「うそ。二十位以内に入ってない」
「え、二十位以内に入ってるじゃない」
「違う、上からのほうの二十位」
「やだ、ナナリー」
一歩前にいた親友のジェニーが、ミルクティー色の髪を揺らして振り返った。
「まさか今回の試験で、上から二十位以内に入ろうとしてたの?」
驚いた顔をしている。ただし、ナナリーが二十位以内に入れなかったことにではなく、上から二十位以内を目指していたことに驚いているらしかった。
「うん。入ろうとしてたわ!」
「その割には、試験前に変な悪魔召喚の儀式を調べてたじゃない」
「ちょっとジェニー。誤解を招く言い方はやめて。私が調べていたのは使い魔を召喚する儀式であって、決して、女神様に誓って悪魔召喚なんかじゃないわ」
ナナリーは胸を張って訂正した。試験の結果はともかく、そこは譲れない。魔術師を志す者として、誤った知識を広めるわけにはいかない。
「使い魔ねえ」
「何よ。その呆れた眼差し。地味に傷つくんだけど」
「どうして今更、使い魔なんて欲しいの? 召喚に手間がかかるし、契約してからも毎日魔力を分け与えなきゃいけないんでしょう?」
「それは、可愛い黒猫とか、鋭いくちばしのカラスとか何となく格好いいからよ」
「何となく?」
「そもそも魔術師の隣には、絶対なる主従関係を結んだ使い魔が必要だと思うの。むしろ使い魔を得てこそ、なんか一流の魔術師って雰囲気がするでしょ?」
「一流になりたいの? それとも、一流の雰囲気になりたいの?」
「両方。できれば雰囲気から先に」
使い魔を肩に乗せ、古い魔術書を片手に歩けば、きっと周囲も一目置いてくれる。少なくとも試験結果の掲示板からは、少し遠い場所に立っていられそうだと思った。
しかしジェニーは、その素晴らしい展望にまるで心を動かされていないらしい。
「自分の意思を持っている分、思い通りに働いてくれないこともあるのよ。だから使い魔は廃れて、魔道具が普及したんじゃない。魔道具なら魔力が続く限り、文句も言わず働いてくれるもの」
「でも、魔道具にはない温かみが使い魔にはあると思うの。職人の技的な」
「魔道具の方こそ職人が作ってるけど」
「そこじゃないのよ、私が伝えたいのは」
「そもそも温かみが欲しいなら、普通に猫を飼えばよくない?」
「ジョルジュお兄様が動物アレルギーだから、うちでは飼えないの」
「使い魔だって多分、毛が飛ぶわよ?」
それについては、ナナリーも薄々気づいていた。だからこそ猫だけでなくカラスも候補に入れていたのだが、今ここで説明を始めると、羽ならいいのかという話になりそうだ。肝心の試験結果の話題からますます遠ざかる気しかしないので、そこは賢明に黙っておく。
「大体、召喚は失敗したの。何も出てこなかったわ。夜中に部屋の床を片づけて、魔術陣まで描いたのに、部屋が無駄に綺麗になっただけ」
「試験前に部屋の掃除をしたくなる、あの不思議な感覚のことね」
「掃除じゃない。儀式の準備」
「でも、結果的に試験勉強から逃げてたじゃない。違う?」
ジェニーは腰に手を当て、真正面からナナリーを見た。
まったく親友とはありがたい存在だ。こうして容赦なく、自分でも触れたくない急所を正確に突いてくる。できれば今日は少し狙いを外して欲しい気分ではあるけれど。
「今は使い魔の話をしている場合じゃなかったわ。私が全力で向き合うべき問題は、今回の成績が、残念ながら下から数えた方が早いということよ」
「今回も、でしょう?」
「今の的確な指摘は聞かなかったことにする。とにかく二十位以内に入れなかったのは、私にとって緊急事態なの。これも全て、あの人のせいよ」
ナナリーは人だかりの中心にいる人物を、不敬にならない程度に睨みつけた。睨む時点で不敬なのかもしれないが、気配はできるだけ殺しているし、普段から目立つほうでもないため、誰にも気づかれる心配はない。
「どうしてそこでシノン殿下を睨むの?」
ジェニーの問いに答える前に、取り巻きたちの声が聞こえてきた。
「殿下、全教科一位とは、お見事です」
「今回は山をかけたところが、たまたま出ただけだよ。運がよかったんだ」
シノンは柔らかな笑みを浮かべていた。
運で全教科一位を取れるなら、女神様は少々えこひいきが過ぎる。ナナリーも試験前には祈ったし、途中でも祈ったし、解答用紙を提出する時には、ほとんどお願いしかしていなかった。
それなのにこの扱いの差は、いかがなものだろうか。
「シノン殿下、今年の王城の夜会では、どなたをエスコートなさいますの?」
「残念ながら、今年も妹になりそうだよ」
少し困ったようにはにかむと、周囲の令嬢たちから黄色い声が上がった。妹を連れていくと言っただけで、この反応である。ナナリーが兄と出席すると言っても、悲鳴が上がるのは兄の登場を待ち望む人たちからであって、ナナリー本人には関係がない。
ルルシア王国の王子シノンは、まるで世の中の美しいものに共通する黄金比を、そのまま人の形にしたような少年だった。輝く金髪に透き通る青い瞳。母親譲りの線の細い顔立ちは、まだ少年らしさを残しているせいか、どこか儚げにも見える。
学院の内外で、誰よりも美しいと大絶賛されるのも分かる。ゆりかごから墓場まで、老若男女を問わず魅了すると評判なのだから、美貌に関してはもはや国の天然記念物みたいな位置づけだ。その上、魔術まで優秀ときているのだからタチが悪い。
女神様は彼を作る時、きっと配分を間違えたのだと、ナナリーは密かに思っている。
「あの方さえいなければ、私の順位が一つ上がったのに」
「一位が抜けても、あなたは二十位以内には入れないけど」
「恨む理由はそれだけじゃないの。殿下がいつまでも婚約者を決めないせいで、お茶会やら夜会やらが増えて、私まで巻き込まれるのよ。まるで悪魔みたいな人だわ」
「そうだ! 殿下に使い魔になっていただけば、一流の雰囲気が出るんじゃない?」
「やめてよ。毎日どれだけの魔力をお渡しすればいいのか考えるだけで目眩がするし、何より私が使われる側になりそうで恐怖しか感じないわ」
肩に黒猫を乗せるのと、王子を従えるのとでは、責任の重さが違いすぎる。ナナリーに必要なのは格好のつく使い魔であって、王家からのお叱りではなかった。
「そもそも、ナナリーは社交にほとんど出てないじゃない」
「だから困ってるのよ。今まで出てなかった分まで、まとめて出ろって言われそうなの」
十七歳のナナリーは、来年にはこの学院を卒業する。貴族令嬢としては、そろそろ将来の相手を考えてもおかしくない年頃だった。
もっとも、つい先月までは、父が「学生は学業が大事だ。ナナリーはまだ子どもだし、可愛いし、誰かの嫁になるなんて早い」と言って、社交への出席を免除してくれていた。学業に励んでいるかどうかはさておき、ナナリーには大変ありがたい方針だったのである。
ところが、その父が突然、母の側へ寝返った。




