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『大樹の下の魔女』3

 それから僕たちは、日が傾くまで木の下で過ごした。

 おしゃべりをして。昼寝をして。近くの川まで走っていって、水面に石を投げて、何回跳ねたかで揉めて。

 帰り道では、道端に赤い木の実を見つけて、どちらがたくさん採れるか競争した。夢中になっているうちに、気づけば二人とも、服は泥と木の実の汁だらけだった。

 当然、家に帰ると母さんに叱られた。


「また二人で泥だらけになったの?」

「ちょっとだけ」

「ちょっとじゃないでしょう」


 母さんが呆れた顔で眉を寄せる。


「ごめんなさい」

「リディアは謝らなくていいのよ。どうせイルヴァが調子に乗ったんでしょう?」

「なんで僕だけ?」


 父さんが吹き出した。それにつられて、僕もリディアも笑った。


「二人共お風呂に入って来なさい」

「はーい」


 お風呂から上がると今日はリディアも一緒に夕食を食べた。僕がリディアの家で食べることもあるけど、どっちの夕食も美味しい。

 湯気の立つ野菜スープと、焼きたてのパンの匂いと、みんなの笑い声――そんな一日だった。特別なことなんて、何もない。剣の稽古をして、魔法の練習をして、遊んで、一緒にご飯を食べて。明日もまた会う。

 それだけ。それだけの、一日だった。

 その夜、僕は布団に入るとすぐに眠った。すごく良い一日に満たされながらぐっすりと。


 *


 翌朝。


「今日は父さんとの稽古があるから」


 家に行くとリディアが言った。


「そっか」

「イルヴァは?」

「僕は魔法の練習」

「また木のところ?」

「うん」

「じゃあ、また後でね」

「うん。また後で」


 だから僕は一人で、反対の道を歩き出す。向かう先は、昨日と同じ大きな木。

 今日は、僕ひとりだ。足音がひとつぶんしかしなくて、道が少しだけ広く、静かに感じた。

 木の下に着いて、昨日と同じ場所に座る。風が吹いている。枝がさわさわと鳴った。

 手を前へ出して、魔力を集める。

 ぽっ、っと小さな炎が灯った。昨日より、ほんの少しだけ大きい気がする。


「……よし」


 誰も見ていないのに、頬が緩んだ。もう一度やろうとして、ふと顔を上げる。

 何かがいる。木の反対側。昨日までは、何もなかったはずの場所。

 草の上に、一人の女性が横になっていた。見たことのない人だった。

 長い髪が草の上に川みたいに広がっている。両腕を枕にして、脚を無造作に投げ出して、まるでここが自分の寝床だとでもいうように。

 僕は炎を消した。息を潜めて、そっと近づく。草を踏む音がやけに大きく聞こえた。

 眠っているのだろうか。しゃがみ込んで、顔を覗き込む。木漏れ日を浴びる静かな寝顔が見えた。

 どんな人なんだろう。そんなことを考えながら、もう少しだけ顔を近づけた。


「寝込みでも襲おうとしてるのかな?」

「――っ!」


 飛び退いた。尻餅をつきかけて、慌てて手をつく。心臓が喉の奥まで跳ね上がっていた。

 女性を見る。まだ、目は閉じたままだ。


「……え?」


 今、喋った? 聞き間違いかと思いつつ顔を覗き込む。

 すると女性の瞼が、ゆっくりと持ち上がった。まっすぐ僕を見る。目が合い、息が止まった。

 彼女は暫く僕を見つめていたけれど、やがて口元に小さな笑みを浮かべた。


「夜這いでもするつもりかい? ませた坊やだね」

「よば……? なにそれ?」


 知らない言葉に僕は首を傾げた。

 女性は、心底おかしそうに笑った。


「まぁいいよ」


 そう言って彼女は身体を起こす。長い髪が草の上をさらさらと流れた。

 近くで見ると、村の誰にも似ていない人だった。服も、髪も、雰囲気も。何よりただそこにいるだけで、肌の上がひりつくような妙な圧がある。

 でも、怖いだけじゃなかった。なんだか絵本から抜け出してきたみたいだ。

 僕は少し距離を取ったまま聞いた。


「……お姉さん、誰?」

「お姉さん?」


 彼女はわずかに目を細めた。


「ふふ。いい呼び方だね」

「違うの?」

「いや。そう呼んでくれていいよ」


 お姉さんは笑った。


「君は?」

「イルヴァ」

「イルヴァか」


 名前を舌の上で確かめるように呟いてから、お姉さんは僕を見た。


「一人で何をしてたの?」

「魔法の練習」

「へぇ」


 お姉さんの視線が、僕の手へ落ちる。さっきまで炎を灯していた右手。


「見せて」

「え?」

「魔法」

「……いいけど」


 少し迷った。でも、魔法のことなら聞いてみたいことがたくさんあった。遠くから来た人みたいだし、もしかしたらすごい魔法を使える人なのかもしれない。

 もう一度、手を前へ出す。魔力を集める。さっきより、少し時間をかけて。

 ぽっ、と小さな炎が灯った。

 お姉さんは、それをじっと見ていた。


「……なるほど」

「どう?」

「小さいね」

「やっぱり?」

「うん」


 あまりにも素直に言われて胸がちくりとした。


「でも」


 お姉さんが炎へ指を近づける。


「悪くないよ」

「本当?」

「うん。ちゃんと魔力を動かせてる」


 指先が炎に触れそうになる。その瞬間、炎がふるりと揺れた。まるでお姉さんの魔力に応えたみたいに。


「じゃあ、見せてあげようか」

「何を?」

「本当の魔法ってやつを、だよ」


 お姉さんが片手を前へ出した。

 その瞬間、空気が変わった。

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