『三年間』7
三年目になる頃には、僕たちの訓練は最初とはまるで違っていた。
僕は四属性の魔法を、安定して使えるようになっていた。
火を大きくする。小さくする。水を遠くへ飛ばす。風の向きを変える。土の形を変える。同じ魔法でも、目的に合わせて術式を調整する。
まだ難しいことは多かった。それでも以前のように、何も分からないまま魔法を使うことはなくなっていた。
セレナさんは少しずつ口を出さなくなった。
「どうすればいいと思う?」
そう聞かれることが増えた。
最初は答えられなかった。
でも考える。失敗する。また考える。そうしているうちに、自分で答えを出せることが少しずつ増えていった。術式の線を一本足してみる。流れを細くしてみる。一つ試すたびに、手の平の上の水が、ほんの少し素直になる。
セレナさんは、僕の出した答えを頷きながら見ていた。間違っている時は、何も言わずにもう一度と手で示した。
リディアも、強くなっていた。
それを昼間に見ることは、殆どない。
だから夜、本人から聞く。
その夜、リディアはいつもより静かだった。ベッドの上で、天井を向いたまま暫く何も言わなかった。
「……どうしたの?」
「今日ね」
「うん」
「ガルドさんに、届いた」
「届いた?」
「木剣の先が、肩に。……ほんのちょっと、服に触れただけだけど」
リディアの声は、小さかった。それなのに暗い部屋の中で、はっきり聞こえた。
「お前ならどうするって聞かれて、考えて、動いて……それで」
「すごい」
「一回だけだよ」
「一回でも、すごい」
「そのあと、普通に負けたけどね」
「やっぱり?」
「やっぱり」
二人で笑った。
でもリディアは笑った後、もう一度小さく言った。
「届いたの、初めてだったから」
「うん」
僕はそれ以上、何も言わなかった。言わなくてもいいと思った。
毛布の中でリディアが、自分の右手を握ったり開いたりしているのが、月明かりの中でうっすら見えた。
そんな夜が何度もあった。
*
そして三年目の終わり。
僕は十三歳も終わりに近づいていた。
ある日の訓練でセレナさんが言った。
「今日は、最後の確認をしましょう」
「最後?」
「第一位階・灯級の確認よ」
僕は、少し緊張した。
空き地にはいつもと同じ風が吹いていた。草の匂い。遠くの槌の音。けれど、今日だけは、足の裏が地面にうまく乗っていない気がした。
魔力を感じる。術式を組む。属性を変換する。魔力を流す。制御する。
一つ一つが三年間、何度も繰り返したことだった。それなのに、手の平に、じんわりと汗が浮かんだ。
「まず、火」
「はい」
小さな炎が生まれる。
熱が指先を撫でる。ゆらゆらと揺れて、でも消えない。息を整えて、大きくする。小さくする。形を変える。
「水」
手の前に水が浮かぶ。冷たさが、手の平にすうっと降りてくる。透き通った塊がブレずにそこにあった。
「風」
草がさあっと揺れた。肌を撫でる風の向きを、少しずつ変えていく。
「土」
地面が少しだけ盛り上がる。身体の芯に、ずしりと重みが響く。土の塊が、ゆっくり形を変える。
どれも以前のように、すぐには消えなかった。
安定している。
その後も、大きさ、速度、維持の時間、魔力の効率、と一つずつ確かめられた。
最後にセレナさんが空中に見せてくれた術式を、自分の手で再現する。
線の一本一本を、頭の中で追いながら指を動かした。三年前なら、きっと途中で崩れていた。
光の線が円を結ぶ。
最後の一本がぴたりと繋がった。
「以上よ」
セレナさんが頷いた。
「第一位階・灯級」
一瞬、意味が頭に入ってこなかった。
「……合格?」
「ええ」
「やった……」
小さな声が、勝手に零れた。胸の奥がじわあっと熱くなる。
それから慌てて、セレナさんに頭を下げた。何度も、何度も。
「ありがとうございます!」
「顔を上げなさい」
セレナさんは静かに言った。
「よく頑張ったわね」
大げさな言葉ではなかった。けれど、その一言が胸の真ん中に、すとんと落ちて、ずっと温かかった。
三年分の「ここが違う」も「どうすればいいと思う?」も、焦げた前髪も、全部がその一言の中に、静かに収まったような気がした。
「でもまだ基礎中の基礎を習得しただけだからね。これからが大事よ」
「はい!」
*
その日の夕方。
大樹の下で、リディアと合流した。
大樹は三年前と変わらず、そこに立っていた。西日が枝の隙間から斜めに差し込んでいる。あの日と同じ場所に、同じように光が落ちていた。
先に来ていたリディアが僕に気づいて顔を上げる。
その肩の位置はいつの間にか、僕と同じくらいに揃っていた。腰の剣に添えた手は、日に焼けてる。
「どうだった?」
「灯級、できた」
「本当に?」
「うん」
リディアが笑う。
その笑顔は三年前と少しも変わっていなかった。
「じゃあ、私も負けてられないな」
「僕だって」
二人で笑った。
競争相手として笑ったんじゃなかった。同じ道を少しずつ違う足で歩いてきた仲間同士の笑い方だった。
十一歳の頃は、失敗した話ばかりだった。術式を間違えた。転んだ。魔法が消えた。剣を避けられなかった。笑ってしまうような話ばかりだった。
それが少しずつ変わっていった。
できなかったことが、できるようになる。分からなかったことが、分かるようになる。負けていた相手に、一度だけでも届くようになる。
三年間で僕たちは確かに変わった。
でもまだまだだった。
僕には、もっと魔法を知りたいという気持ちがある。
リディアには、もっと強くなりたいという気持ちがある。
そして大樹の向こうの、村の向こうの、あの山のずっと向こうには、僕たちがまだ知らない世界がある。
だから明日も、また訓練する。朝になれば、僕たちはまた別々になる。僕は魔法を。リディアは剣を。
そして夜になれば、また今日のことを話す。
それが僕たちの三年間だった。




