第十七話 三者三様2――喉が裂けても
鶯宿は後日、講座で習ったケーキをこっそり作り。
楼香のテレワークが終わるまで丁寧に仕上げていた。
その様を眺めていた蒼柘榴と市松がゲタゲタ笑っている。
「見てくださいよ、あのマジパン。怪奇ですよ!」
「チョコプレートも中々素敵な形をしてまスね」
「お腹壊すんじゃないんですかねえ」
「ワタクシたちが味見してさしあげまショウか」
「いらねえ! 黙ってろうざこんび!」
鶯宿が牙を見せ威嚇すれば、わっはっはとコメディ映画でも見たような大笑いを市松と蒼柘榴はしていた。
真剣な人を茶化すことに掛けては一流の二人だ、嫌になると鶯宿はうんざりしながら見目の悪いケーキ作りを完成させた。
ケーキは冷蔵庫にしまっておく。
市松が可笑しそうな声で作り終わってから告げる。
「そもそも楼香さんの誕生日、まだまだ先でしょう?」
「あと一ヶ月先だな」
「それなら練習台のケーキ? あんなにたくさん? 勿体ない、処分してさしあげる」
「いらねえって、あれは今夜みんなで食え」
「おや、そこに貴方はいないの?」
「……おれは、多分。九月九日、いられないから。ちょっと出かけるんだ」
鶯宿の言葉に、それまで大笑いして悪ふざけしていた蒼柘榴が目を光らせた。何か訳ありだと気づき、冥府と交信すれば鶯宿が人を食ったのが判った。
「鶯宿くん、君……」
「お前等もケーキ食ってイイから、楼香のお祝いはたんまりと、楽しく頼むぜ? 景気よく祝ってやってな」
「……はあ」
蒼柘榴は返事をどうしたものか困らせ、鶯宿はエプロンを脱いで、「ちょっと散歩してくる」と外に出たきり――ひとつきほど、姿を見せなかった。
*
一ヶ月が経ち、楼香の誕生日前の九月八日だ。
楼香は鶯宿がいつか帰ってくるんじゃないかと気長に待っていたのだが、とうとう倒れ込んだ。
鶯宿が関係するのかは判らないが、誕生日前だからかもしれない、と蒼柘榴は看病してやる。
冷えたタオルを用意し、頭の冷えシートととりかえてやると、楼香が魘されて手を掴んだ。
誰を求めているかは判らないが、自分でないのは事実だ。
蒼柘榴は丁寧に指を一本ずつはがした。
重ね陽の日付が近いからかもしれない、楼香は体に熱が籠もっている。
炎を作れば熱が発散するかと思いアドバイスしたこともあったが、かえって熱は籠もっていった。
「楼香くんが眠ってる間に、ダイレクトメールの処分くらいは、手伝いまスかね」
手伝うと言っても、自分の船に来ている兄宛のダイレクトメールの仕分けだ。
ぽいぽいと器用に楼香の側にいながら、仕分けていけば一つとんでもないものを見つける。
「悪鬼討伐の報せ……?」
指名手配書のような報せが舞い込んできている。
恐らく神域に関わる高位の者全員に発送されてるのだろうけど、よくよく読んでみれば鶯宿としか思えない手配だ。
「ああ、彼は。ワタクシの食材には手を伸ばさないのデスね」
死を待つ病人を喰らうのを、悪となってでも嫌がったのだ。
それはきっと、楼香の影響。
楼香が病人だった過去があるから、死を待つ家に行きそうな勢いの病人だったから。
楼香と同じ境遇の者より、健康な善人を喰らうのを選んだのだろう。
「臆病な優しい人。それで指名手配されてちゃ、苦労するデショ」
「……蒼柘榴?」
「――楼香くん、聞こえて、ましたか」
「……へへ」
楼香が意識を朦朧とさせながら身を起こすので、蒼柘榴は慌てて寄り添い、手伝う。
汗を拭いながら、楼香は蒼柘榴の手を握り、蒼柘榴はどきりとした。
「――楼香くん」
「連れて行って」
「――楼香くん、駄目デス」
「連れて行って」
「駄目だって、諦めて。ねえ、楼香、お願いだ」
「頼むよ、連れて行け」
楼香の断固たる瞳に蒼柘榴の泣き落としは通じない。
悔しさと涙のにじむ感情は何だろう、蒼柘榴は寂しさを感じながら了承し、頷いた。
「神域の、ぎりぎり、手前までです。神の領域に入れば、君も危ない。ワタクシの冥府とは扱いが違う。あそこは気紛れでしか成り立っていない」
「判った、つれていって、ありがとう」
「……手の掛かる御方」
蒼柘榴は観念し、楼香が着替えるのを待てば、一緒に冥府の船に瞬間移動し。船を操作し、神域の真っ白く淡い空間まで向かう。
海の色からして違った。
海の色は黄色く、空は淡く水色からピンクが掛かっていて、艶やかな色味だった。
空には天女が待っていて、船の中から楼香は外を見回した。
用意された一室の客室から眺める外は極上の色彩と、鮮烈な景色だ。
ウニユ湖の色味が違う景色にまでくれば、船は停まる。
客室に蒼柘榴がやってくる。蒼柘榴の服装は真っ黒いスーツだ。
神域にくるときはこの服装らしい。
「あそこを見て」
「――鶯宿だ」
熱で魘されながら楼香は窓によると、一番手前の湖に浮いて、人を泣きながら食べている鶯宿が見えた。
手配されているのにもかかわらず誰も近寄らないのは、まずいまずいと叫び泣きながら食べる異様さからだろう。
鶯宿が望んだ行動ではないが、本能の行動だと気付いた。
「あれが、もう。あの人の性質になっている。それでも。止める?」
「止めるよ、本心は違うんだから」
楼香はげほげほと咳き込みながら、船から下りたいと蒼柘榴に願う。
蒼柘榴は楼香を抱えて、鶯宿の目の前に一瞬でワープした。
「鶯宿、鶯宿!」
「だれだおまえ、かえれ、かえれ、いや――うまそうだなおまえ」
にやあと楼香と目が合えば自我のない鶯宿が笑みを浮かべた。
蒼柘榴が引き留めるよりも早く、鶯宿は楼香を手繰り寄せ、強い力で引っ張る。
「鶯宿、いつだったか同じようなことしたな。大丈夫、こわくないよ」
「なにがこわいっていうんだ。こわいものなんてなにもない、まずいにくだ。まずいにくがあればじゅうぶんだ、おれはおれはおれは!」
「――鶯宿」
楼香は鶯宿の両頬に手を当てる。
鶯宿は楼香の首根にがつりと牙を埋め込み齧り付き、楼香は声をかみ殺すために鶯宿の耳に齧り付いた。鶯宿の顎の力が強く。楼香のネックレスがぷつりと切れた――その感覚で鶯宿ははっとする。
このネックレスはいつだったか、鶯宿があげたスワロフスキーのネックレスだ。
「ああ――嗚呼」
「鶯宿?」
「まずい、まずいんだ――お前は、世界で一番、まずい」
「うん」
「まずいから、食いたくない、のに」
「鶯宿くん、そこまできたら。もう。神の世界を目指した方が良い」
蒼柘榴が楼香の後ろから歩み寄り、ネックレスを拾って楼香に手渡した。
ちゃぷりとぬるい湯に浸かったような濡れ方をしているネックレスだ。
ハンカチを取り出すと、楼香に次いで渡した。
「鶯宿くんには神の力が誇示された。畏れられている、畏れは神の世界で一番重視されている。君は手配されるほど、畏れられた」
「でも、神の世界は――」
「そう、だね。君が気になるところはそこだろう」
神の世界は煩悩を許さない。
過剰な恋心を許さない。
たった一言で誰かを殺めるほどの妄信的な恋心を、許されない。
吉野が許されているのはきっと吉野が可愛がられているから。
それならば何も誰からも後援されていない鶯宿はどうなるのか、とそれだけが鶯宿の寂しさだった。
「その、想いが心地良いんだろう」
「そう、だ。手放したくない。いやだ」
「決めなければいけないよ。君は、誰を守りたい? 自分自身か、他人か?」
「どちらも選びたいから、苦しいんだ」
「人間的だな」
蒼柘榴が嗤う頃に、楼香の意識が途絶えていく。
日付が九月九日に変わる頃合いに、神の世界にいるからか、重ね陽の影響が強すぎるのだろう。
意識のない楼香に、鶯宿は泣きながら楼香を抱きしめる。
「えらぶ、選ぶよ。選ばなきゃ行けない。俺は、こいつを選ぶ。楼香を生かす道を選ぶ。神になる――だから、だから起きてくれ、お前はお前は――俺の大事な、」
鶯宿の涙と涎が楼香にかかれば、楼香の熱が消えていく。
楼香は鶯宿の涙が頬に当たり、一つ遠い遠い記憶を思い出した。
「鶯宿――、鶯宿、あんた……あんた、が、器だったんだ」
「楼香?」
「見つけた、あたしのランプと恩人」
楼香は遠い記憶に浸りながら、もう一度意識を飛ばした。




