61
大樹海の中層は、危険である事にさえ目を瞑れば、特別な素材の宝庫のような場所だ。
僕は環境の魔力を調べながらではあるけれど、とある場所を目指して、息を潜めながら慎重に歩く。
これが森なら、木に登って枝から枝へと飛び移ったり、木々の間を駆け抜けたりもするけれど、大樹海の中層でそれをするのは、幾ら隠者の外套を身に纏っていても、少しばかりリスクが高い。
ただ目指す場所はそんなに遠くないから、この速度でソロソロと歩いてはいても、数十分で辿り着く。
そこは、木々が高く、太く、力強くて、空気が濃い、力強い中層の環境の中で……、死んだ場所。
生える木々は、高くて太い事には変わりないが、命を感じさせない石くれだ。
いや、木々だけじゃなく、土の地面すらも、石になってる。
剣呑な気配が漂う。
幾ら大樹海の中層が、人の常識では計れない場所とはいっても、石の地面から石の樹木が普通に生えて来る筈はない。
ここは、ある存在が、その力を以て全てを殺した場所だ。
土も、木々も、全てが石となって、死んでいる。
もちろん、ここも大樹海の中層だから、その存在とは当然ながら、魔物だった。
僕はポシェットの中から一本のポーションを取り出し、一気に飲み干す。
何かを石にしてしまう能力というのは、魔物が持つ力としては、割とよく知られた部類である。
人里離れた廃城を訪れると、その中には非常に精巧な人の彫像が並んでいて、そのどれもが恐怖に顔を歪めていた……、なんて怪談は、どの地域の生まれでも、多分聞いた事がある筈。
ただ実際に、石化能力を持つ魔物を見たって人は、恐らく凄く少ない。
何故なら、石化能力を持つ魔物と出くわしたなら、怪談に出てくる通りに、物言わぬ石の彫像にされてしまうから。
その方法は、噛んで石化の毒を流し込むとか、視線が合えば石になるとか、見たものを石にするとか、目から石化の光線を放つとか、口から石化ガスを吐くとか、色々だ。
まぁ、イルミーラ以外の国だと、そもそも魔物自体を見た事がないって町暮らしの人も、結構多いかもしれないけれども。
しかし出会うケースが少なくとも、石化能力が有名であるならば、当然その対抗策を、錬金術師は考える。
ごく稀に討伐される石化能力を持つ魔物の骸を調べたり、石化された人の身体を調べたり。
何でもそれらを調べた結果、先に作られたのは石化の魔術だったらしい。
その石化魔術を動物に行使して、石になる様を観察し、石化の仕組みが解明されたと、僕はイ・サルーテで教えられた。
今飲んだポーションは、そうした研究の末に開発された、石化防止ポーションだ。
最も防止とは名ばかりで、人の身体が石化するのを極端に遅くするだけの効果しかない。
石化の根本を解決するのではなく、人の身体が石化する仕組みを、遅らせるポーションだから。
ただこの石化防止ポーションを飲んでおけば、一瞬で石化されてしまう事はなく、もう一つ別の、石化解除ポーションを口にしたり、石化部位にかける猶予ができる。
もし石化防止ポーションを飲まず、一瞬で石化されてしまったら、幾ら石化解除ポーションを持っていても、何の意味もありはしない。
或いは石化解除ポーションがなくとも、石にされたのが身体の末端なら、切除してから再生のポーションを飲む事で、肉の身体を取り戻せるだろう。
もちろん、物凄く痛みを伴う方法なのだが。
いずれにしても、石化防止ポーションを飲んだ以上は、不測の事態が起こっても、対応する暇はある。
僕は隠者の外套の力で周囲の風景に溶け込みながら……、石の樹木が立ち並ぶその場所に踏み込む。
この場所が、こうなっている事は予め知っていた。
僕がわざわざここを訪れた理由は、一つはこんな風になってしまった環境が、どのくらいの魔力を宿すのか興味があったから。
それからもう一つ、中層を訪れたついでに、どうしても欲しい素材が一つあったが為に。
しかし魔力を調べて素材を採るにしても、まずはここを縄張りとしてるヌシの様子を見なきゃいけない。
もしも調査や採取に夢中になってる最中に、ここのヌシに襲われでもしたら、僕も下手をすれば命を落とす。
ここのヌシはそれくらいに危険な魔物だ。
まぁ、石化の能力を持ってる魔物が、危険でない筈がないのだけれども。
歩いていると、幾つもの、精巧な魔物の彫像に出くわす。
ここのヌシと戦おうとして、石にされた魔物達の姿だ。
縄張りを奪おうと攻めてきて、石にされた中層の魔物達。
当然だけれど、魔物は錬金術なんて使えないから、対抗策のない彼らにとって、石化の能力は無類の強さを誇る。
そして縄張りの中心で、地に伏せて眠っているのは、一頭の牛。
大きな身体は長い体毛に覆われ、首はやや長く、閉じた瞳は単眼で、顔は醜い。
魔物の名は、カトブレパス。
あの閉じた単眼の瞳には、睨んだ全てを石にする邪視の力が宿ってる。
僕はカトブレパスの様子を確認して、僅かに安堵の息を吐く。
のんびり寝こけててくれるなら、動き易くてありがたい。
実はカトブレパスの気性は、見た目とは裏腹に魔物にしては穏やかで、積極的に襲って来る魔物じゃなかった。
ただそれでも縄張りへの執着はあるので、これから僕が行う採取は、縄張りを荒らす行為として、カトブレパスの怒りを買う可能性もある。
故に眠っててくれる今の間に、静かに速やかに、済ませてしまおう。
僕が欲するのは、石化した木々であり、石化した魔物でもある……、樹木の魔物、トレントの枝。
トレント自体は、大樹海の中層ではたまに見かける魔物だが、石化したトレントは、僕が知る限りここにしかいない。
魔術の使用法の一つ、魔術杖式で用いられる杖の素材として、トレントの枝は最高級の物の一つだ。
だが石化したトレントから採取した枝を、石化解除ポーション等で元に戻すと、死から蘇った枝という、術式を刻む杖の素材としては、更に特別な物になった。
なんでも杖に流した魔力の通りが、とてもスムーズになるらしい。
正直、己の手足に術式を描いて魔力を通す装填術式を愛用する僕からしたら、素材が何であれ、杖に魔力を通す時点でロスに思える。
しかし装填術式にも欠点はあって、使い方を誤れば容易く手足が吹き飛ぶから、再生のポーションの使用が前提だ。
僕の場合は錬金術師で、再生のポーションを大量に用意しておく事もそんなに難しくないから、装填術式の欠点を無視して使えるけれど、……実はヴィールはそうもいかない。
何故なら彼には、四肢にもそれぞれ霊核が埋め込んであるから。
四肢が吹き飛んでも、再生のポーションはそれを元通りにしてくれるだろう。
けれど流石に、失った霊核までは、再生の範囲外だ。
ヴィールに埋め込んだ霊核は八つあるから、一つや二つ失ったところで、彼の存在は揺らがないし、新たな霊核を再生のポーションを使った後に埋め込む事だって可能である。
でも流石に、魔術を誤って手足が吹き飛ぶ度に霊核を埋め込むとなると、手間もかかるし、何より幾ら素材があっても足りやしない。
ただでさえ、霊核を構成する魔法合金の一つである妃銀は、森の巨人の素材を使用している為、限られた貴重品なのだ。
なのでヴィールには、現実的に考えて、魔術杖式を使って貰った方が無難である。
それに僕も、自分の手足が吹き飛ぶのは、治せるとわかってるから痛いだけで、割と平気だったけれど……、ヴィールの手足が吹き飛ぶところは見たくない。
だから僕、カトブレパスの眠る間に、トレントの枝を根こそぎ戴く。
一切の遠慮はしない。
何しろもう、このトレントには、新しく枝が生えたりはしないのだし。
この枝が尽きる頃には、新しいトレントが、カトブレパスの縄張りに踏み入ってる事を祈るとしよう。
あぁ、いや、或いは僕が直接、トレントを誘導してもいいけれど。
まぁそれは、まだまだ随分と先の話だ。





