第1話:同級生という名の十字架
人生の路線図において、私たちはいつの間にか「分岐点」という名の停留所に立っている。
二十代前半の頃は、どこへでも行ける気がしていた。
選ぼうと思えばいくらでも選択肢があり、間違えてもすぐに引き返せるという余裕があった。けれど、二十九歳という数字の足音を聞いた途端、景色は急激に色を失う。
華やかなサクセスストーリーでもなければ、目を背けたくなるようなノワールでもない。
これは、誰も悪くない、しかし誰もが静かに追い詰められていく、等身大の現代を生きる女たちの物語。
停留所で足を止めたままの私たちは、果たしてどこへ向かうのだろうか。
スマホの画面を流れていくのは、見たくもない他人の幸福の切り抜きだ。
結婚式、生まれたばかりの赤ん坊、新居のリビング、あるいはどこかの高級ディナー。指を一本スワイプするだけで、世界がいかに順調にアップデートされているかが嫌でも視界に飛び込んでくる。
ベッドに転がったまま、菜穂はふと、懐かしいアイコンで指を止めた。
葵。――あの頃、同じローカルの私立高校で、親の金を隠れ蓑にブランド物のバッグを自慢していた女。
ストーリーに上がっていたのは、六本木の会員制ラウンジのバックヤードと思われる場所で、グラスを持って気だるそうに微笑む葵の姿だった。
『相変わらず派手なことやってんな』
心の中で冷めた笑いを漏らしながら、菜穂は画面を軽くタップする。
「――ひさしぶり。今度さ、ご飯行こうよ?」
指先が勝手に動いていた。理由は特にない。大病院の聴覚室で一日中患者の相手をし、定時に実家へ戻って母親の手料理を無言で胃に流し込むだけの毎日に、ほんの少しの毒が欲しかっただけだ。
返信は秒で返ってきた。
『え、菜穂じゃん!えっ行きたい。てかさ、あのメンヘラ野郎の咲良も最近連絡取れてる? 3人で集まろっか』
咲良、という名前が出た瞬間、菜穂の脳裏に、成人式の日に安物の振袖を纏い、地元のパチンコ屋の前でタバコをふかしていた彼女の姿がよぎる。
「……まあ、あいつが今どうなってんのかも、ちょっと気になるか」
こうして、インスタのタイムラインという名の腐れ縁をきっかけに、私たちは都内のこぎれいなイタリアンバルで顔を合わせることになった。
――待ち合わせの店。
席に着いた瞬間から、それぞれの「現在地」が衣服の布地やメークの質感を通して、残酷なほどハッキリと浮き彫りになっていた。
白を基調としたジャケットをスマートに羽織り、ブランドを主張しないミニマルな腕時計をつけた菜穂。
ハイブランドの新作バッグを無造作に椅子に置き、耳元でダイヤのピアスを揺らしながら、スマホを裏返しにしてテーブルに置く葵。
そして――
少し遅れてやってきた咲良は、どことなくファンデーションの浮いた肌を隠すようにマスクを外し、トレンドから二周ほど遅れたキャミソールワンピースの裾を気まずそうに引いていた。
「うわ、マジで変わんないじゃん、二人とも!」
最初に声を上げたのは葵だった。けれど、その目は笑っていなかった。菜穂の指先をチラリと見て、自分よりも「格下」か「安全圏」かを見極めるような、夜の女特有の品定めをする冷徹な光が宿っている。
「変わったって、もうアラサーだし」
菜穂はグラスの水を一口飲んで、サバサバとした口調でふっと笑ってみせた。
「ほんとそれ……。私なんか、もう人生いろいろ詰んでるし」
咲良はメニューをろくに見もせず、真っ先に一番安いカクテルの名前を指差した。その指先には、剥げかけたジェルネイルが生々しく残っている。
かつて、同じ町で制服を着て、同じ成人式に出てた頃、未来なんていくらでも選べると信じていた。
価値観も、世界の見え方も、何もかもが同じだったはずの3人。
――しかし、29歳という停留所に引きずり出された私たちは、それぞれ全く違う「闇」を抱え込み、同じテーブルに座っていた。




