エピローグ 光に包まれた世界で
あれから、一年の月日が流れた。
あの日の城門での誓いの言葉どおり、ロージーとレイスはささやかな結婚式を挙げ、夫婦となった。
ノクタヴェラ公爵領は、真の聖女であるロージーがもたらす清らかな魔力によって、かつてないほどの豊穣と平和に包まれていた。
一方、王都のその後の惨状については、ロージーの耳には一切届いていない。レイスが「妻の美しい耳に入れる価値もない」と、すべての情報を徹底的に遮断しているからだ。
そして、ロージーを命懸けで守り抜いた老執事のハンスもまた、ノクタヴェラ公爵家の執事長として迎えられ、今は穏やかで満ち足りた日々を送っている。
ある、よく晴れた春の午後。
公爵邸に広がる広大な庭園のガゼボで、ロージーは古い一冊の日記帳を胸に抱きしめ、静かに涙を流していた。
それは、あの断罪の日にレイスが調査を命じていた、継母の隠し金庫から発見されたもの――亡き実母の手記だった。
そこには、ロージーの顔を覆っていた『醜い黒結晶』の真実が記されていたのだ。
「規格外の聖魔力と、この容姿……。それを継母の異常な嫉妬や、王家の搾取から守るためだったのね。お母様は、ご自身の命と引き換えに、わたしにあんなにも強固な封印を……」
ロージーは手記をぎゅっと胸に抱きしめた。
あの日、レイスが語った推測は、やはり正しかったのだ。
傍らに控えるハンスが、目頭を押さえながら深く頷く。
「はい。あの結晶は呪いなどではなく、お嬢様の命を守るための『盾』だったのです。いつか心から安らげる場所を見つけ、愛し愛される方に巡り会えた時……その愛を鍵として、自然に解けるようにと」
ロージーの目から、とめどなく温かい涙がこぼれ落ちる。
わたしは、忌み子なんかじゃなかった。
お父様とお母様は、死の淵にあってもなお、ずっとわたしを愛し、守り抜いてくれていたのだ。
「……ハンス。私の大切な妻を泣かせた罰として、本日のティータイムの茶葉は一番良いものを淹れるように」
ふいに背後から、低く甘い声が降ってきた。
振り返る間もなく、ロージーの華奢な体は、背後からふわりと温かい上着ごと抱きすくめられた。
「レイス様……っ! 今日は、夜まで執務がお忙しいのでは……?」
「……妻の顔が見たくなって、強引に終わらせてきました。それに、あなたが泣いている気がしたので」
レイスはこともなげに言い放つと、ロージーのプラチナブロンドの髪に顔を埋め、深く息を吸い込む。
「ああ……やはり、あなたを抱きしめている時が一番心が落ち着く。私の魔力も、理性も、すべてあなたに溶かされてしまいそうだ」
世界中から恐れられる冷徹な公爵の、妻にだけ見せる甘えきった姿。
ハンスは「では、至高の紅茶を淹れてまいります」と深く一礼し、気の利く執事らしくそっとその場を立ち去っていった。
二人きりになった庭園で、レイスはロージーの目元に残る涙を長い指ですくい取り、そのアメジストの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「それで? 私の愛しい妻は、過去の手記に夢中で、私との約束を忘れてしまったのでしょうか」
「え……? お約束、ですか……?」
小首を傾げるロージーに、レイスは意地悪く目を細め、彼女の耳元に唇を寄せて囁いた。
「一年前に、教えていただけると約束したはずですが? ……『夫への、特別な呼び方』を」
「あ……っ!」
ロージーの顔は、耳まで真っ赤に染まった。
あれから一年、ロージーはどうしても気恥ずかしくて、二人きりの時でさえずっと「レイス様」と呼び続けてしまっていたのだ。
「ずっと待っていたのですよ。あなたが、私だけの名前を呼んでくれる日を」
逃げ場を塞ぐように腰を抱き寄せられ、熱を帯びた青い瞳に見つめられる。
ロージーは胸の鼓動が早鐘のように鳴るのを感じながら、ぎゅっと自分のドレスの裾を握りしめた。
暗闇の地下牢で、ただ死を待つだけだった自分を救い出してくれた人。
呪いを解き、名前を与え、温かな愛でこの世界を光で満たしてくれた、たった一人の大切な人。
(……恥ずかしいけれど。でも、わたしも彼をもっと喜ばせたい)
ロージーはゆっくりと顔を上げ、震える唇をそっと開いた。
「……あ、あなた」
「――っ」
レイスが息を呑む気配が伝わってくる。
ロージーは熱くなる頬を必死に誤魔化すように、ぎゅっと目を閉じ、そして、もう一度だけ深く息を吸い込んだ。
今までずっと胸の奥にしまっていた、彼へのありったけの愛と、確かな信頼を言葉に乗せて。
ゆっくりと目を開き、その真っ直ぐな瞳を見つめ返す。
「……わたしの、愛しい……レイス」
照れ隠しにふにゃりと微笑みながら、初めて敬称を外して紡がれた名前。
その瞬間、レイスの動きが完全に停止した。
数秒の静寂の後。彼は片手で顔を覆い、天を仰ぐようにして深々と息を吐き出した。耳の端が、隠しきれないほど真っ赤に染まっている。
「……レイス、さま……? あの、間違ってましたか……?」
「…………いえ。ただ、あなたの破壊力を、私が一年経っても未だに学習できていないだけです」
ひどく掠れた声で呟くと、レイスは限界だと言わんばかりにロージーをきつく、痛いほどに抱きしめた。
「レ、レイス……っ、苦しいです……っ」
「仕方ないでしょう。あなたが可愛すぎるのがいけないんです。……今日は、離してあげられそうにありませんね」
大人気なく拗ねたように囁く彼に、ロージーはたまらなくなってくすくすと笑い声をこぼした。
レイスもまた、呆れたように小さく笑い、愛おしい妻の唇にそっと、誓いの口づけを落とす。
春の陽だまりの中、寄り添う二人の影がひとつに重なる。
かつて『化け物』と呼ばれ、暗闇で泣いていた少女はもういない。
両親の深い愛に守られていた彼女は今、世界で一番愛され、世界で一番幸せな聖女として、最愛の人と共に温かな光の中を生きていく。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
お気付きの方もいらっしゃると思いますがこちらは昔話の『鉢かづき姫』をモチーフにしています。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです。




