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45_起動の条件

 梯子を登りながら、コウキは足元だけを見ていた。

 一段、また一段。金属の冷たさが手のひらに伝わってくる。体は動いた。ただ、頭の中がまだどこか遠いところにある感じがした——下の空間に、まだいる。白い輝きの残像が、目を閉じると浮かぶ。

「足は大丈夫か」とルウが上から言った。

「大丈夫です」

 声は自分の耳に届いた。ちゃんと出ていた。それを確かめながら登り続けた。

 通路に出ると、空気が変わった。金属の匂いから、石と土の匂いへ。二千年前の領域から、測量隊が作った部分へ。コウキは壁に手を触れながら歩いた。観測網の余韻がまだ残っていて、手が触れるたびに微かに反応する。壁はただの石だった。でも下には、まだある。

 円形の空間に戻った。根の柱がある場所。アレクが待っていた。

「全員か」

「全員です」とダグが答えた。

 北側の壁の出口から外へ出ると、そこは地面と同じ高さの傾斜した草地だった。蓋の開口から出てきた。陽が高く、昼前の明るさ。地下の暗闇に慣れていた目に、白い空が広く見えた。

 セレナが少し離れた場所から駆け寄ってきた。全員の顔を一人ずつ確認して、「異常なし」と言った。

 蓋を閉めるのは手作業ではなかった。コウキが十二本の鍵器具を一本ずつ引き抜くと、蓋はひとりでに動いた——重い金属が滑らかに元の位置へ戻り、記号が光を失い、普通の石に戻った。二千年分の静けさが、元通りに閉じた。

 コウキは閉じた蓋を見た。もう表面には何もない。草に覆われた石の蓋。ここを知らない人間が歩いても、何も分からない。

「行くぞ」とアレクが言った。



  * * *



 野営地に戻ると、ルウが火を起こし始めた。セレナが水を汲んで湯を沸かし、トメが保存食の袋を出した。コウキは荷物を下ろして草の上に座った。体に力が入らないわけではない。でも、何かが使われた後の空虚さが、手と足の末端にある。

 銀の船に触れたときも、こうだった。あれより規模が大きかった——と思う。そのぶん、時間が必要な気がした。

「何か食えるか」とルウが隣に来た。

「食べます」

 乾した果実と硬いパンが渡された。口に入れると、味がちゃんとした。それが少し安心だった。

 アレクが自分の湯を飲みながら「落ち着いたら話せ」と言った。怒っているわけでも急かすわけでもない。ただそれだけを言って、遠くを見た。

 コウキは食べながら言葉を探した。見たことを、人に伝える言葉を。



  * * *



 昼食が終わったあと、コウキはアレク、ルウ、ナクロ、ダグに向けて話した。

「ヤヒロ全体の地図が見えました」

 誰も遮らなかった。コウキは続けた。

「球殻の形——標塔が千六百九十二本、均等に並んでいる配置が分かりました。その下を、水脈が網のように走っていた。青い流れでした。それから——」言葉を選んだ。「薄茶色の霧が、あちこちに漂っていた。拡散MTMです」

「南東で濃かったか」とアレクが言った。

「はい。南東の一帯が最も濃い。そして球殻の歪みが——南東側に集まっています。エンジンが止まった後の二千年間で、球殻がゆっくりそちらに変形してきた結果だと」

 ナクロが帳面を取り出した。何かを書き始めた。

「エンジンは」

「眠っています。壊れていない。確かに、そこにある」

 アレクが「起こせるか」と言った。今朝も同じことを聞いた。地下で、白い光の前で。

「起動の条件が流れ込みました」コウキは続けた。「全部ではない。途中でこぼれた。でも——最初の部分は受け取りました」

「どんな条件だった」

 コウキは少し時間をかけた。言葉にすると薄まる気がして、でも言葉にするしかない。

「標塔を通じた何かの注入。エネルギーの注入だと思います——電力、というのが近い。標塔を経由して結晶体に送り込む」

「どこから送る」

「そこが分かりませんでした。次の接触で確認できると思います」

「もう一つは」

「観測網を通じた認証です」コウキは自分の胸のあたりを見た。「私のような——観測網にアクセスできる者が、存在することを証明する確認。本人が触れて、応答があれば通過できる、そういう仕組みだと思います」

「二つか」

「もう一つあります」コウキは少し言いよどんだ。「三番目の条件が、情報が多すぎてこぼれました。方向性は掴めた。でも——内容を言葉にできるだけの量が届かなかった。もう一度触れば、分かると思います」

 アレクが「次は今日か」と言った。

「体を一度整えてからの方がいいと思います。今日の午後か、明朝に」

「無理だと思ったら手を離せ」

「分かっています」

 アレクが頷いた。それ以上は聞かなかった。



  * * *



 昼下がり、ナクロが帳面を広げて地下の記録を整理していた。コウキの隣に座って作業しながら、時折コウキに確認の声をかけた。

「結晶体の大きさ——人の胸ほど、で合っていますか」

「合っています。楕円形で」

「台の高さは」

「床から膝くらい。台の縁に手をかけずに触れる高さ」

 ナクロが丁寧に書き写した。台の形、空間の直径、壁面の様子。それからしばらく考えてから言った。

「壁の文字が気になっています」

「読めましたか」

「読めません」ナクロが首を振った。「ただ——タケルさんの記録にも、同じ文字体系があったと思います。当時の測量隊も読めなかった、と書いてありました」

「二千年前の文字ですね」

「はい。でも」ナクロが帳面の一点を見た。「いつか読める人が来るかもしれません。あるいは——」

 コウキは続きを待った。

「中が起動したら、何か手がかりが出てくるかもしれない。壁の文字の意味を教える仕組みが、エンジンの中にあるかもしれない」

 コウキはその可能性を少し考えた。「そうかもしれません。あそこには、誰かが残したかったものがあった。伝えたかった量だけの文字が、壁一面にあった」

「誰かが来ることを期待して」

「きっと」

 ナクロが帳面に何かを書き加えた。記録の端に、小さな文字で。コウキは覗かなかった。ナクロが書いていることは、ナクロの言葉だ。



  * * *



 夕暮れ近く、コウキとルウは野営地の端の草の上に座った。

 標塔が夕日を受けている。昼間の金属光沢とは違う——橙色に染まった金属は、少し温かく見えた。滑らかな表面に光が流れて、二千年前のまま傷一つない側面に夕日が落ちている。

 遠くにも標塔が見えた。視界の端に二本、薄い空気の中で輪郭が霞んでいる。いつもここにある日常のもの。天を支える柱。コウキには今、それが何のために作られたかが分かっていた。

「もう一度触るのはいつだ」とルウが聞いた。

「明日の朝、体が整っていれば」

「今日より時間がかかるか」

「かかると思います。でも——今日は方向は分かった。次はその先を読む」

 ルウが草を一本手に取った。無意識に手が動く癖だ。「分かったことを教えてくれ」

「球殻が——南東の方向に少し歪んでいると話しましたね。あれは、エンジンが止まった後の二千年分の変形です。タケルさんが三十年かけて測っていたものの、全体像が一度に見えた」

「タケルさんが言っていたことと合ってたか」

「全部ではないけれど——大筋は、合っていた。タケルさんは正しかった」

 ルウが「そうか」と言った。それだけだったが、何かが伝わっている気がした。

「エンジンが動けば、変形の進行は止まるかもしれません。止まっているものが動けば」

「止められるか、じゃなくて止まるかもしれない、か」

「今の自分には、それしか言えません」

 ルウが草を手放した。「まあいいか。嘘をつかれるより正直な方がいい」

 コウキは少し笑った。

 空が少しずつ暗くなった。標塔の輪郭が、夕日から夜の色に変わっていく。橙から灰色へ、灰色から黒へ。でも消えない。夜になっても、あの柱はそこにある。意識の端でかすかに感じられる——標塔の根から、地下の白い輝きへと続く感触が。



  * * *



 夜、焚き火を囲んだあと、アレクがコウキを呼んだ。二人で火から少し離れた場所に立った。

「明日、何が起きてもおかしくない」とアレクが言った。「ただ——無理だと思ったら手を離せ。お前が全部を読む必要はない。何かが分かれば前進だ」

「分かりました」

「もう一つある」アレクが続けた。静かな声だった。「見えたことは全部、俺たちに教えろ。お前一人が持つ情報じゃない」

 コウキは少し間を置いた。何かが胸の中で動いた。

「……はい」

 アレクは「じゃあ休め」と言って焚き火に戻った。コウキはその背中を見た。

 教えるのは当然だと思っていた。でも——「全部」と言われると、改めて確かめた感じがした。自分が見たことは、自分だけのものではない。伝えるために、言葉を探さなければならない。言葉にできなかった部分も、なんとかして。

 コウキは空を見上げた。星が出ている。球殻の天井に映し出された光——今は、それが何であるかを知っている。でも美しいのは変わらない。白い点が無数に散らばって、静かに輝いている。

 明日、また降りる。



  * * *



 夜明け前に目が覚めた。

 東の空がまだ暗いが、最初の薄明かりが地平に触れ始めている。焚き火は消えている。コウキは毛布の中で少し動いて、革袋を引き寄せた。鍵器具が十二本、入っている。触れると観測網が微かに反応した——「揃っている」という確認のみ。

 意識の端に、地下の白い輝きが在る。

 昨日と変わらない。「また来い」という強い声ではない。ただ、そこにある——二千年前からそこにあって、二千年後もそこにあるつもりで待っている何か。コウキが来ても来なくても、変わらずそこにある。でも——コウキが行けば、応えてくれる。

 革袋の紐を確かめた。十二本は在る。蓋はすでに解錠が続いている。降りる梯子の場所も知っている。通路の先に何があるかも知っている。

 必要なのは、降りることだけだ。

 背後でルウが起き上がる音がした。

「行くか」

「行きます」

 東の空が、ゆっくりと白くなり始めた。

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