42_北東への道
銀崖の集落が見えてきたのは、三叉路を出て三日目の昼すぎだった。
崖面に張り付くように建ち並ぶ家々が、空の青の中に白っぽい輪郭を描いている。その背後に、標塔が一本。銀崖の目印として立つ那本の柱は、いつ見ても滑らかで、二千年の年月をまるで感じさせない。
「見えました」とナクロが言った。少しだけ足を速めた。
「待ちくたびれているかもしれない」とルウが横から言う。「お父さん、几帳面な人でしたよね」
「そうです」とナクロが答えた。「三か月分の記録を整理して待っているはずです」
アレクが「入る前に補給の確認だ」と言い、隊が集落の入り口へ向かった。コウキは意識の端で標塔の気配を確かめた。銀崖の一本と、北東に遠く二点。北東の気配は今日も揺れていない。
それがずっとそこにある。
* * *
宿の手配を済ませた夕方、ナクロの父が来た。
六十代の老石工で、背が低く、手が大きい。革表紙の帳面を脇に挟んでいた。前にここを通ったときより少し痩せたように見えた。
「待っていた」と老石工が言った。ナクロに向けてではなく、全員に向けて言うような口調だった。
「持ってきてくれてありがとうございます」とナクロが礼を言う。
「中身を確認してから礼を言いなさい」と父が帳面を差し出した。「良い記録ではない」
テーブルの上に帳面が置かれると、ナクロがゆっくりとページをめくった。コウキはその隣に立って、文字を目で追った。
三か月分の記録。採掘した区画の位置、掘り進んだ深さ、岩盤の状態、そして——
「ここです」とナクロが指を止めた。「七週間前から上部区画を停止。理由:岩が内側から割れる異常」
「どういう割れ方です」とアレクが聞いた。
老石工が言った。「石を割るとき、人は外から力を加える。割れ目は外から中へ向かって走る。だがここで起きているのは、内側から外へ向かう割れ目だ。石の中心から亀裂が始まる——押しつぶされているのではなく、膨らもうとしている」
コウキは帳面から顔を上げた。
「方角はわかりますか」
老石工がコウキを見た。「北東だ。上部区画でも下部区画でも、亀裂の向きを調べると北東に向いている。三十年石を切ってきたが、こんな走り方は見たことがない」
コウキは意識の端を地下に向けた。銀崖の下——岩盤の奥に、細い何かが走っているような感触がある。水脈ではない。岩と岩のあいだの、微細なずれ。
「球殻が変形しています」とコウキはアレクに言った。「北東の方角に向かって、岩が動いている」
「北東の標塔の根が伸びている方向と一致する」とナクロが静かに言った。
「関係があるかもしれない」とアレクが言った。「どちらにせよ、急いだほうがいい」
老石工が「若いのにずいぶん深いところを見ている」と言った。コウキに向けた言葉だった。「息子の仕事の邪魔をしないでくれよ」
「邪魔にはなりません」とコウキは答えた。「ナクロさんがいてくれたから、ここまで来られました」
老石工が短く鼻を鳴らした。「出発したら、無事で帰ってこい。記録はまだ続く。次に来た時にも渡すものがある」
「ありがとうございます」とナクロが言い、父が立ち上がった。
* * *
夜、コウキはルウと宿の外に出た。
銀崖の夜は静かだった。崖の上から見ると、集落の明かりが点在している。人工太陽は沈み、空には星が出ていた。暗い天頂に光が散っている。
「明日出たら、あとは行くだけだな」とルウが言った。
「そうです」
「何日かかる」
「三日か四日。コンディション次第で」
ルウが空を見上げた。「タケルさんは、ここまで来られなかったな」
コウキは少し黙った。「でも知っていた。どこにあるかを。三十年かけて指し示してくれた」
「だから行く、か」
「そこに降りる。それだけです」
ルウが黙って星を見ていた。しばらくして言った。「お前が見てきたものを、誰かに伝えるのが次だ。ルインさんが言ってただろ。地図に書ける言葉で教えてくれって」
「覚えています」
「俺もお前が何を見るか知りたい」とルウが言った。「一緒に降りる。俺は何の感知もできないし、何も見えないかもしれないけど」
「隣にいてくれればいい」とコウキは答えた。「一人ではない方が、多分いい」
ルウが「そりゃそうだろ」と短く笑った。
コウキは意識の端を北東に向けた。標塔の気配が二点。今夜が一番くっきりとしている。距離が縮まっているからか、自分が変わったからか——どちらかはわからなかった。
十二本の鍵器具は部屋の革袋の中にある。
* * *
翌朝の出発は夜明けと同時だった。
銀崖の空気は冷たく、崖の影が長く伸びている。ダグがすでに前を歩いていた。コウキが意識の端で北東を確かめると、「あちらだ」という感触がはっきりとある——感知というより、もはや方位感覚に近い。
「あと三日路を超えているはずです」とコウキはアレクに言った。
「二日だな」とアレクが言った。「急がない」
道はすぐに草原になった。銀崖を出ると集落はなく、獣道だけがある。ダグが五十メートル先を歩き、草の揺れを確かめながら進む。
昼前、ナクロが歩きながら採掘記録の帳面を読み上げた。
「上部区画の亀裂の向きを計測した記録があります。上部では北北東、下部では北東——深くなるほど北東に向かっています。父は「岩が動いている方向だ」と書いています」
「標塔の根が伸びている方向と一致します」とコウキは言った。「地下で根が何かを引き寄せているのか、変形が根に向かっているのか——」
「降りてみれば、何かわかるかもしれない」
「それでいい」とアレクが短く言った。
午後、ダグが草むらに立ち止まった。振り返らずに、右手を上げる——「止まれ」の合図。全員が足を止めた。
三十秒、沈黙があった。
ダグが手を下ろした。「山鳥が二羽いた」と振り返らずに言い、矢を弦に番えた。
静止。また静止。
ぱん、という短い音が二回。ルウが走って草むらに向かう。
「一羽」とルウが持ち上げた。「もう一羽は・・・いた。こっちにも当たってる」
「ああ」とダグが言った。「下処理をしてくれ。今夜のスープが豪華になる」
アレクが再び歩き始めた。隊が動く。コウキはダグの射った方向を見た——五十メートル先の草の中に、動いた影を読んだ目の仕事だ。自分には地下の岩のずれが感触としてある。ダグには草の揺れが目に映る。同じ道を歩いて、それぞれが違うものを見ている。
* * *
三日目の昼すぎ、草原の先に低い丘が見えた。
丘そのものは小さい。高さは十メートルそこそこで、草に覆われた、特別目立たない丘だった。だがコウキには分かった——あそこだ。
「見えます」とコウキは言った。「あの丘の北側に、根元があります」
意識の端の感触が、今まで感じたどの標塔よりも「深く」「重かった」。廃中継所も、南の標塔も、北北東も——すべてが今感じているものの「断片」だったと、今になって分かる。
「「集まる図の中心」がここですね」とナクロが静かに言った。帳面を出す動作を止めて、ただ丘を見ている。
「全部ここに向かっていた」とルウが言った。
「そういう設計だった」とアレクが言った。「行こう」
丘の北側に回ると、草に半ば覆われた石造りの蓋がある。コウキはそれを最初に確認したとき、自分の体が静かに落ち着いているのを感じた。焦りも、恐れも、特別な高揚もない。ただ「ここだ」という確認がある。
「野営の準備をしてください」とアレクが全員に言った。「今日は降りない。明朝、明るくなってから」
「補給品と水を確認します」とセレナがすぐに言った。「地下がどれくらいかかるか分からない。全員分、二日分は持つ」
「ロープも確認する」とルウが言った。
コウキは蓋の前に立った。手は触れなかった——明日のために、今日は確かめるだけでいい。
蓋の記号が十二個、刻まれている。廃中継所で最初の蓋を見たときから数えれば、七か所分の格納庫を経てここに戻ってきた。一本目を手に入れたあの日から、今日まで。
意識の端に「扉の向こう側」の感触があった。
「集まる図の中心」の奥に、何かがある。それが何かは、まだわからない。だが確かにある。
焚き火の準備の音が背後で始まった。山鳥の羽をむしるルウの声と、ナクロが帳面をめくる音と、セレナが補給品を確認する声が重なっている。
コウキは蓋を見ていた。
タケルが三十年かけて指し示した場所。ルインが地図に書けないと言った場所。銀の船の金属板に刻まれていた座標の、その先。
十二本が革袋の中にある。
明日、降りる。




