↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
40/50

40_南東の格納庫

 台地を発つとき、空が広く見えた。


 岩盤の縁から草原に降りると、足元が変わった。岩混じりの硬い感触が消えて、土の柔らかさが戻ってくる。昨日まで歩いた感触と同じ——草の根が交差して層になった、踏むたびにわずかに沈む土の感じ。コウキはそれを足の裏で確かめながら、南東に向けて歩いた。

 観測網は南東に向けたままにしている。昨夜から感じ続けていた「遠い気配」が、今朝の出発時よりも少し近い感触になっていた。まだ遠い——四日路か、それ以上か。でも確かにある。

「気配は続いてるか」とアレクが後ろから聞いた。

「続いてます。南東、遠いですがあります」

「変わらずか」

「昨日より少し近くなってる気がします。歩いた分だけ縮まってる」

 アレクがうなずいた。それだけで会話は終わる。隊商の歩みは落ち着いている——台地から降りても、帰路に入っても、十一本から十二本になる前後でも、足の速さは変わらない。

 ダグが前方を歩いている。草原の中では再び足音が消えた。岩盤地帯のときの重さが消えて、風に乗るような歩き方に戻っている。百メートル先を進みながら、草の揺れ方を読んでいる。

 南東の空に標塔が一本、細く白く立っている。今いる位置からは遠く、霞がかかったような薄い柱だった。それが目指す方向の目印になる。



  * * *



 昼過ぎ、低い窪地に水が溜まっている場所に出た。

 ダグが先に確認して「問題ない」と告げる。一行は草の上に座り込んで休んだ。水筒を補充し、保存食を取り出す。セレナが全員の状態を確認してまわる——いつもの順番で、いつもの動作で。

 ルウとコウキは並んで水を汲んだ。川ではなく、岩の隙間から湧いた水が窪地に溜まる形の泉だった。透明度は高い。

「帰ったら三叉路に先に寄るか」とルウが聞いた。

「そうなると思います。ルインさんに格納庫の記録を渡したい。ナクロさんが書き写したものを、全部持っていく」

「六か所分か」

「七か所分。今日の分を含めて」

 ルウが水筒の口を閉じた。「銀崖は」

「三叉路の後、北東に向かう道中で寄れるかもしれない。アレクさんが決めることだけど」

「ナクロの親父さんに採掘記録を貰う約束があったな」

「あった。忘れてなかったか確かめたい」

 ルウが少し笑った。「あいつは忘れないよ。石工の連中は記録に厳しい」

 アレクが地図を広げた。トメとナクロが両側から覗き込む。

「南東の格納庫を取ったら、三叉路の町に入る」とアレクが言った。「一週間交易して補給してから北東へ向かう。銀崖への立ち寄りは三叉路と北東の間に組み込む」

「距離は」とセレナが確認する。

「三叉路から銀崖まで三日。銀崖から北東の標塔まで四日から五日」

「問題ない日程です」とトメが帳簿に書き込みながら言った。「三叉路で交易品を仕入れれば、銀崖でも動きやすい」

「急がなくていいんですか」とコウキは聞いた。十二本揃えた後のことが頭にある。

「急ぐ理由がない」とアレクが答えた。「隊商は道を急かない。補給と交易を怠れば、その先で止まる」

 コウキは黙ってうなずいた。揃えることだけに気持ちが向いていた——でも揃えた先のことを考えると、補給の意味がわかる。北東の標塔の地下に降りるのは、一日で終わる話ではないかもしれない。

「了解です」

 アレクが地図を閉じた。休憩は終わり、一行は再び歩き始めた。



  * * *



 午後遅く、コウキの感知が変わった。

「近い」

 遠かった気配が、走れば日が暮れる前に着けるほどの近さに入ってきた。「ここだ」という確信——距離ではなく、密度の感覚で場所がわかる。今まで繰り返してきた感触と同じだが、今回は七回目だけに、迷いがない。

「低い丘の斜面です。あの向こう」

 ダグが先行した。五分後に戻ってくる。「開けた斜面だ。見晴らしがいい。獣の気配はない」

 一行が丘の斜面に出た。草が薄く、岩が露出しはじめる地点——石の色は白みがかった灰。地表に固まった岩盤が顔を出している場所に、石造りの縁取りが半分埋まっていた。

「ここだ」とコウキは言った。

 ナクロが膝をついて記号を数えた。「十六個。南の標塔と同じ数ですね」

「石材の質は」

「加工精度は同じ。同じ手による仕事です。南から何季路も離れているのに、全部同じ技術でつくられている」

「測量隊の仕事だ」とトメが言った。

「はい。統一した工法で作られたはずです。それだけの組織だったということです」

 コウキは記号を一通り目で追った。字体の細部が格納庫ごとに少しずつ違う——書いた人間が違うのか、時期が違うのか。でも並びの規則性は同じ。

 観測網を開いた。

 周辺の標塔を経由させて、蓋の内側に向ける。今回は、接触の感触が最初から鮮明だった。七か所目——身体が覚えている動作になっている。内側の爪に意識が触れる感触、それを「押す」感覚。

 かちり、という音がして、石の蓋が内側から浮いた。

「開いた」とルウが言った。「今回一番早かったぞ」

「慣れた」

「そういうもんか」

「七回やれば慣れます」

 アレクが蓋の端をつかんで引き上げた。深さは六メートルほど——前回よりも浅い。壁の足がかりを確認して、コウキが先に降りた。



  * * *



 空間は今まで見た中で最もシンプルだった。

 直径八メートル、深さ六メートル。壁の金属板は中段のみで、文字の量は少ない。ナクロが降りてきて、素早く書き写し始める。「これは短いですね。一時間もあれば終わります」

「中身は何の記録ですか」

 ナクロが文字を辿りながら言った。「空の記録……大気の構成でしょうか。気体の種類と濃度、その変化が数字で記録されている」

 コウキは密閉容器に向かった。二個——形は前と同じ。鍵器具を一本当てると内側に沈む。蓋が浮く。中の鍵器具を取り出す。もう一個も同じ手順で開けた。

 手のひらに二本乗せる。革袋から十一本を取り出して、並べた。

 十二本。

 観測網が動いた。

 震えるという感触ではない——静かに「広がる」感触だった。今まで「集まる図の中心」として感知していた点が、十一本のときよりもさらにくっきりと像を結んでいる。輪郭が完成した、という感覚に近い。

 そして今回初めて——中心点の奥に、別の感触が加わった。

 扉の向こう側のようなもの。遠く、深い。静けさというより、何かが待っている感触。何が待っているかはわからない。でも確かに、そこに「奥」がある。

「揃いました」とコウキは静かに言った。

 ナクロが書き写しの手を止めて、コウキを見た。「十二本ですか」

「十二本です」

 ナクロがもう一度書き写しに戻った。何も言わなかった。でも帳面に書く字が少し丁寧になった気がした。

 コウキは金属柱に手のひらを当てた。今回の格納庫の記録が流れ込んでくる——大気の組成データ。数値の羅列が映像のように意識の中に入ってくる。地表の大気、疑似天体層の内側、そのさらに外側の大気層——拡散MTMの濃度が、外側に向かうほど高くなっている。

 コウキは受け取りながら、タケルの言葉を思い出した。「残りかすは蓄積し続けている」——地表だけでなく、球殻の外にまで及んでいる。世界が漏れている、という感触。

 手を離した。

「外まで広がってます」とコウキは言った。「大気層の外側の方が、MTMの濃度が高い。地表よりも外の方が汚染が進んでいる」

「どういうことですか」とナクロが聞く。

「球殻の外側——疑似天体層の外の空間——に残りかすが溜まっている。内側で発生して、外に漏れた分が蓄積している。地表は中間で、一番濃いのは外側だと思います」

「それは、ラプラスエンジンが止まったことと関係がありますか」

「あると思います。エンジンが動いていれば循環していたか、排出されていたか——止まってからは行き場がなくなって溜まり続けている」

 ナクロは黙って帳面に書き足した。



  * * *



 地上に出ると、夕暮れが近かった。

 空の色が橙から深い青に変わりかけている。標塔が二本見えた——南の空に遠く一本、東の空に近く一本。帰路の方角に、柱が道標として立っている。

 アレクが周囲を確認した。「野営はこの斜面の下でいい。風が来ない」

 ダグが水場を確認しに行った。セレナが野営の準備を始める。ルウが薪になる枯れ草を集めてくる。

 コウキは斜面の上に立って、十二本の鍵器具を改めて手に持った。一本ずつ、革袋に戻していく。かちかちと、かすかな金属音が続く。

「十二本入りましたよ」とトメが帳簿に書き込みながら言った。「全格納庫探索完了と記録します」

「はい」

「最初の一本が廃中継所でしたね。あれから数えると、七か所」

「七か所です」

「日程で言えば——」とトメが帳簿をめくった。「廃中継所から今日まで、四十六日。七か所で四十六日」

「意外と早かったですか」

「計画より五日早い。ルインさんの解読が正確だったのと、コウキさんの感知が精度よかったおかげです」

 焚き火が立ち上がった。ダグが水を持って戻ってくる。

 アレクが全員の顔を見て言った。「三叉路で補給してから北東の標塔に向かう。急がない。一本道だ」

「全部揃えたのに急がないんですか」とルウが聞く。

「急ぐ理由がない」とアレクが答えた。「揃えることが目的じゃない。使うことが目的だ。急いで地下に入って、準備が足りなければ話にならない」

「準備って何の準備ですか」

「食料と水。体力。それだけだ」

 ルウが少し笑った。「それだけかい」

「それだけだ。地下に入ってからは、コウキの感知と標塔に任せる。俺たちにできる準備は、それだけだ」

 コウキは焚き火の前に座って、アレクの言葉を聞いていた。急ぐ必要はない——腑に落ちる、という感触があった。揃えることに気持ちが向いていた半年間。でも揃えた先のことを考えると、「急ぐ」という感覚が薄れていく。

 ナクロが帳面を閉じた。今日の書き写しは終わりだ。

「七か所分、全部書き写しました」とナクロが言った。「ルインさんに持っていけば、解読してもらえると思います。文字体系は南の標塔で確認してもらったものと同じはずです」

「三叉路で会えますか」

「いると思います。あの人は三叉路を動かない」

 夜が来た。天井の疑似天体層に星が映り始める——くっきりとした点が、静かに並んでいく。それほど明るくはないが、一つ一つが確かにある。

 コウキは空を見上げた。北東の方角に、標塔が一本立っている。今いる位置からは遠く、細い柱として夜空に溶け込みかけている。

 あとは戻るだけだ。

 その確信がある。でも同時に——戻った先に何があるか、という感触もある。十二本の鍵器具。開錠できる。でも扉の向こうは、まだ見ていない。

 奥に何かが待っている、という感触は、あのとき格納庫の中で確かに感じた。何が待っているかは、降りてみるまでわからない。

 それはずっとそうだった——この旅を始めた日から。先がどうなるかわからないまま、一歩ずつ歩いてきた。今もそれは変わっていない。

 火が落ち着いてきた。ルウが毛布を引き寄せた。夜の冷気が南東の斜面を流れてくる。

「明日から帰り道だな」とルウが言った。

「帰り道で、また北東に戻る」

「往復か」

「往復だ」

「遠回りが多いな、この旅は」

 コウキは少し笑った。「格納庫が七か所に分かれてたから」

「全部集めたんだからもういいだろ。次は直線だ」

「直線で行けます。三叉路から北東の標塔まで、寄り道なしなら」

「それがいい」とルウが目を閉じた。「まっすぐ行って、降りて、何があるか見てくる。それだけだ」

 それだけだ——コウキは繰り返した。

 北東の標塔が夜空に細く立っている。あそこに戻る。最初に降りた場所に、今度は十二本を持って。最初にはなかったものを手に入れて、戻る。

 眠れそうな気がしなかったが、身体は疲れていた。

 コウキは毛布を引き寄せて、目を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。