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切ない ―後宮に消えた忠誠と復讐の記録―  作者: 雪燈
第2章 欲と愛が交差する後宮
23/23

第23話 選ばれる夜

※本作には、心理的に重い描写や残酷な表現が含まれます。


苦手な方はご注意ください。

夕暮れが落ちる頃。


恵玉の宮の空気は、目に見えないほど静かに変わり始めていた。


廊下を行き交う足音が減る。


女官たちの声も、小さくなる。


誰も命じていない。


それでも、自然とそうなっていく。


雪瑶は、その空気にまだ慣れなかった。


昼とは違う。


穏やかなままなのに、どこか張りつめている。


「それ、こっち」


明鈴が低い声で言う。


普段より少しだけ早口だった。


「灯りは先に整えて」


「はい」


雪瑶は静かに従う。


灯籠に火を移す。


揺れる灯りが、長い回廊を照らしていく。


その途中。


奥の部屋から、衣擦れの音が聞こえた。


恵玉だった。


昼間とは違う衣をまとっている。


淡い色合い。


柔らかな刺繍。


皇帝の前へ出るための装いだと、すぐに分かった。


女官たちが髪を整える。


香を焚く。


だが、不思議なほど会話がない。


静かだった。


恵玉は鏡の前に座っている。


表情は穏やか。


いつも通り、美しい。


けれど。


指先だけが、わずかに落ち着きなく動いていた。


爪が、衣の端をなぞる。


何度も。


無意識のように。


「少し香が強いわ」


ふいに、恵玉が言った。


女官がすぐに香炉を下げる。


声は優しい。


責める響きはない。


それでも、その場の空気が一瞬で張る。


「申し訳ございません」


女官が深く頭を下げる。


恵玉はすぐ微笑んだ。


「いいの。気にしないで」


柔らかい声。


だが、その微笑みが戻るまでの間。


ほんの一瞬だけ。


何か冷たいものが、顔を過った気がした。


雪瑶は黙って視線を伏せる。


見てはいけない。


そう 本能のように感じた。


その時。


外から足音が響いた。


早い。


だが乱れてはいない。


宮の女官たちの背筋が、同時に伸びる。


「……来た」


明鈴が小さく呟く。


空気が変わる。


張りつめる。


使いの者が跪いた。


「今宵、皇帝陛下は——」


一瞬。


ほんの一瞬だけ。


恵玉の指先が止まる。


呼吸も。


止まったように見えた。


「……瑞蓉妃様の宮へお渡りになります」


静寂。


長くはない。


けれど、確かにあった。


雪瑶は視線を上げない。


だが分かる。


今、この場の全員が、 恵玉を見ている。


次の瞬間。


「そう」


恵玉は微笑んだ。


穏やかに。


美しく。


「瑞蓉妃様も、お身体を大切になさらねばならないもの」


声音は乱れない。


完璧だった。


女官たちも、ほっとしたように息をつく。


明鈴まで、僅かに肩の力を抜いている。


「灯りを半分落として」


恵玉が静かに言う。


「今日はもう下がっていいわ」


「はい」


女官たちが動き出す。


誰も余計なことは言わない。


慣れている。


そう、雪瑶は思った。


この空気に。


この沈黙に。


この“何事もないように振る舞うこと”に。


雪瑶も頭を下げ、部屋を出ようとする。


その時。


視界の端で、静雲が立ち止まっていた。


恵玉を見ている。


無表情なその顔が。


ほんのわずかにだけ、痛みを滲ませた気がした。


だが次の瞬間には、もう消えている。


気のせいのように。


夜風が吹く。


灯りが揺れる。


回廊を歩きながら、雪瑶は静かに考える。


恵玉は優しい。


誰より穏やかで、 誰より取り乱さない。


けれど。


——本当に、傷ついていないのだろうか。


ふと。


そんな考えが、胸をよぎった。

次回更新は【金曜日22時】を予定しています。

よろしくお願いいたします。

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