第18話 罠
※本作には、心理的に重い描写や残酷な表現が含まれます。
苦手な方はご注意ください。
発端は、香だった。
貴妃の宮より依頼が来る。
「恵玉妃の宮で使っている香を調えよ」
断る理由はない。
雪瑶は静かに従った。
貴妃の宮は、華やかだった。
金糸の帳。 朱塗りの柱。 重く甘い香。
そして、玉座のような椅子に座る妃。
懐妊したばかりのその腹を、誇示するように撫でている。
「あなたが例の子?」
視線は柔らかく、冷たい。
「噂ほどの腕か、見せてちょうだい」
雪瑶は何も言わず、香を調える。
強すぎず、淡く澄んだ香。
主張しない香。
それが雪瑶の持ち味だった。
香炉に灰を落とす。
整える。
部屋を出る直前。
縁に、わずかな色の違い。
粉の粒子が、ひとつだけ粗い。
——混ぜられた。
一瞬で理解する。
だが証はない。
雪瑶は何も言わず、頭を下げて退いた。
翌朝。
宮中が騒いだ。
「貴妃様の御体が優れぬ!」
「昨日の香ではないか」
名前が呼ばれる。
雪瑶は中央へ引き出される。
広間。
視線は好奇でも憐憫でもない。
ただ処刑を待つ目だった。
貴妃は扇で口元を隠しながら淡く笑っていた。
「懐妊中と知りながら、刺激のある香を?」
「恐れ多いことでございます」
否定は、空気に溶ける。
証はない。
雑用係の言葉など、羽より軽い。
「軽率は罪よ」
静かな宣告。
「杖打ち三十。香への関与を禁ずる」
三十。
ただの下女には重い。
だが、終わる。
膝をついたまま、顔を上げない。
胸の奥で、何かが軋む。
——ここで終わるのか。
姉も、一族も、失ったまま。
まだ、何も返していない。
唇がわずかに震える。
恐怖ではない。
悔しさでもない。
飢え。
終われないという、鬼気。
雪瑶は静かに口を開いた。
「……私の手を離れた後、触れられております」
広間が静まる。
「証はございません。ただ——」
一拍。
「香の灰は、嘘をつきませぬ」
視線が刺さる。
身の程知らず。
そう告げる目。
「身分を弁えなさい」
冷たい声。
杖を持つ者が一歩進む。
雪瑶は、目を閉じない。
叩かれるなら、それでもいい。
終わらぬ限り、機はある。
杖の影が、雪瑶の背に落ちる。
空気が張りつめる。
雪瑶は、ただ前を見ていた。
目を閉じない。
次回更新は【金曜日22時】を予定しています。
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