呪縛⑴
『オンステージ 2nd』
夢に見た憧れの舞台は、本当にただの夢だったらしい。
2次審査で不合格となった俺は、誰の記憶に残ることもなく、番組から早々に脱落した。
それなのに、なぜ俺は、またここにいるのだろう。
「霧矢さん入られまーす!」
「お、おはようございます。お願いします」
夏休みまで1週間を切った7月半ば。
東京都港区のシンボルともいえるテレビ局へ、あの顔合わせぶりに足を踏み入れた。
暑さの和らいだ夕方でも冷房がガンガンに効いたスタジオで、撮影準備を進める大勢のスタッフが、俺の挨拶を聞くと一旦作業をやめ、拍手をして迎え入れた。
一介の大学生に堕ちた俺を、まるでデビューした勝ち組のように丁重に扱う意味がわからず、遠回しに喧嘩を売られているのかと思った。
居心地が悪い。
そもそもテレビ局に良い記憶はあまりなかった。
来なければよかっただろうか。
「あっ、来てくれたんだね」
きらいな男の声がした。
「タイヨウ……」
「ひさしぶり。元気してた?」
「どうでもいいだろ」
「元気そうだな」
「そっちもな」
俺がオーディションに落ちた2か月前と変わらず、彼はいけ好かなかった。
嫌味なのかどうかわからない、そのニコニコした面に、劣等感を甚振られる。
しばらくこいつの顔を見ずに生活できたことに関しては、唯一、脱落してよかったと思う。
4月から始まった『オンステージ 2nd』の放送には一切手を付けなかった。高視聴率をマークし続けているとは耳にしていたが、俺を落としやがった番組に一役買うのはごめんだった。
ただ、生放送の最終回だけは見届けた。そうせざるを得なかった。
都さんが脱落者全員を招待したせいだ。
そこに俺ひとりだけいなかったら何か言われるかもしれない。ミノリさんにまた会えることだけを楽しみに、渋々撮影現場となるコスモシアターへ赴き、客席からぼんやりと舞台を眺めた。
最後まで生き残った15名の少年たちの紹介。なつかしのオープニングステージ。最終審査として披露された1時間ほどのミュージカル。その間に投じられた視聴者投票。
そのすべてを踏まえ、監督たちによって、CDデビューの確約された受賞者が決められた。
賞は全部で5つ。
総合的観点から最も高く評されたMVP、高いスキルとカリスマ性を発揮したVIP、ステージの華となり観客の心を奪ったVISU、表現者の素質が光るIDOL――そして今回新しく設けられた、世界を掌握する圧倒的主人公、HERO。
オーディション参加中はことごとく感覚を狂わされたが、そのときは発表を待たずとも結末を読めてしまった。おそらく俺以外のみんな、視聴者も、わかりきっていただろう。
「デビューおめでとう、HEROさん」
俺が心にもないことを言えば、タイヨウはうすく目を見開き、口元をゆるめた。
「ありがとう。でも、まだ実感ないんだ。最終回があったのもたった2週間前のことだし」
「んなの関係ねえだろ」
『オンステージ 2nd』の主人公なんか、最初から決まっていたようなものだ。
こいつを中心に回り、陰と陽を分けていた。俺は陰だった。自己紹介のときからずっと。
「おまえのための賞じゃねえか」
「応援してくれてたんだ?」
「は? なんでそうなんだよ」
「応援ありがとう」
「やめろクソポジティブ」
猫をかぶる必要がなくなった俺は、躊躇なく毒を盛っていく。けれども彼は、他人事のようにケラケラ笑い飛ばした。
「あぁ、よかった。君を選んで正解だった」
「俺を、選んだ?」
「うん、そうだよ。僕が指名したんだ。――この、ドラマの現場に」
5つの賞には、CDデビュー以外に、それぞれ別の副賞が付いてくる。
MVPには来月頭にある音楽特番の司会とスペシャルステージ、VIPには動画配信サイトでドームからライブ生配信、VISUにはハイブランドのアンバサダー、IDOLには地上波冠番組。
HEROとなった彼に贈られたのは、来月末に放送を予定しているスペシャルドラマの主演だった。
『エレジーの怪』
とある学校で1名の訃報が広まるところから、このドラマは始まる。
そこの生徒であるテンドウが、最愛の恋人との別れを惜しんでいたある日、呪いの曲と呼ばれる楽譜を見つける。それをきっかけに不可解な復讐の惨劇が巻き起こっていく、というオカルト要素強めの学園ドラマだ。
そこにクラスメイト役で出演してほしい。
と、テレビ局から連絡がきたのは、生放送が終わり帰路についたころだった。
心底驚いた。どうして俺にオファーしてきたのか、見る目のある誰かが声を上げてくれたのか、よほど人が集まらなかったのか、予算がないのか。あらゆることが頭に浮かんだ。
とはいえ、これはまたとない再起のチャンス。主演の名前が頭の片隅にちらついたが、結局俺はここに来ることに決めた。
主演直々の指名と知っていたら、無視一択だったのに。
「最悪。なんで俺を。いやがらせか? それとも同情?」
「まさか。はじめてのドラマで肩ひじ張らずにいられると思ってさ」
「ああ、バカにしてんのか」
「ちがうって。僕、けっこう気に入ってるんだよ、霧矢くんのこと。僕のこと変に見てないし、何を考えてるかわかりやすいし。だから脱落しちゃったときは悲しかったな」
「やっぱバカにしてんじゃねえか」
信じてよお、と甘えた口を叩く彼に、ほんの少し違和感があった。
眉も目も頬も口も声もだらしなく垂らし、庇護欲を掻き立てるような儚さがにじんでいる。
こんなふうに笑う奴だっただろうか。いつも、もっと、きれいに作っている感じがあったけれど。
主役として役作りに徹底しているのか。髪を黒くし、水色のシャツに白のベストをまとい、男子高校生の風貌を完成させた彼は、内側をも憑依させてしまったのだろう。
俺もまったく同じ制服を着て、ヘアメイクも整えてもらったものの、こうして比べてみると、彼のほうが何倍もあどけなく、その分闇も深そうに見える。テンドウという愛の重い少年の解釈は完璧なようだ。
「タイヨウくん、始めるよ!」
「はい! じゃあちょっと行ってくる」
監督に呼ばれた彼は、スタジオ内に造られた教室のセットへ立ち入った。台本片手に監督と話し合う。
セットの中心には、グランドピアノが置かれていた。あまりの大きさに、面積の大半を占領している。アングルによっては、絵面があれだけで埋まってしまう。逆に言えば、ピアノが引き立たなければいけないシーンにはもってこいということだ。
ぽーん、と試し弾きした音が、スタジオを駆けめぐった。ざわめきが消えていく。
監督やスタッフは視線を合わせると、最終確認をざっと済ませ、カメラを回した。
「本番! よーい、はいっ!」
――カチン。
周りの顔つきが、変わった。真剣にセットを見据える鋭利な目が、俺のトラウマを呼び起こし、体感温度をみるみる下げていく。
カメラの向こうにいるタイヨウも、顔を青白くさせ、俺より寒そうにしていた。単に冷房の問題か。そう疑った次の瞬間、今度は自分の目を疑った。
彼の色をなくした頬に、ほろほろと涙が流れたのだ。
薄暗闇のセットの中、涙の影だけが光って見え、ひと粒ひと粒しかと認識できた。
静かだった。
息遣いもほとんど聞こえず、このまま闇に取りこまれてもおかしくなかった。
それほどの、絶望感。
生きる意味を、失ったのだ。
大好きだったカノジョ・ナナが、クラスメイトにいじめられ、自殺してしまったから。
もう二度と会えない。想いの行き場がわからない。ナナを守れなかった自分に、存在意義はない。ただそこにいるだけの人形となった。
セリフがなくとも伝わってくる鉛のような感情に、俺は震えが止まらなかった。
さっきの違和感は、間違っていなかった。そりゃそうだ。あいつは今、タイヨウじゃない。テンドウという別人が宿っているんだから。
「……っ」
テンドウが、ようやっと息を漏らした。
足元に紙くずが落ちていた。風に吹かれて散らばってしまったのであろう。紙くずを拾い集め、よく見てみると、何か書かれてある。どうやら元は1枚の用紙だったようだ。
彼の瞳がかすかに揺れ動く。
おそるおそる紙くずをつなぎ合わせた。完成したのは、とある楽譜だった。
「ナナ……」
ぽつりと名を呼ぶ彼の表情は、カメラに映していいのか戸惑うほどひどく歪んでいた。
その楽譜には、ふたりの思い出があったのだろう。
彼は1枚にくっつけたその楽譜をピアノの譜面台に並べ、椅子に腰かけた。
白と黒のステージに、長い指が降る。
ぽん。試し弾きと同じ、ちょうど真ん中の音が、短く鳴いた。
あふれ続ける涙が、指先にすべる。それを拭うように白鍵を叩いた。
ゆっくり、ゆっくり、メロディーが紡がれていく。隣り合う両手が、単純なリズムを繰り返す。それはまるでつつましくもおだやかな、ふたりの日常のよう。
徐々に右手だけが激しくなっていく。左右が離れていく。転調、転調、転調。めまぐるしく変則するメロディーに、頭がおかしくなる。
なんであれを弾けるんだ。ふつうどっかで音を見失うだろ。
……あれ? ていうか、あいつ、まじで弾いてんじゃん。
危うくスルーしかけていたけど、そうじゃん。ガチじゃん。録音でもプロの差し替えでもなく、あいつの手で演奏してやがる。
ピアノまで弾けるとか、神童かよ。隠し玉多すぎ。天は二物を与えずって誰が言い出したんだ。大噓つきめ。
ミスれ! ミスれ! そう心の中で念を飛ばせど、音の嵐は止むことを知らない。
涙で前が見にくいうえに、役柄的にメンタルも不安定な状態での、この演奏。難易度は桁違いだろうに、華麗にこなしているように見える。
だから好きになれないのだ。
荒ぶる激情を馳せた和音が、ひしめき合う。
一定の速さに達したとき、鍵盤の両端まで来ていた両手がついに止まった。
彼は瞼を閉ざした。左右の指がまるでひとりでに踊っているかのように、冒頭の単純なリズムをもう一度奏で出す。だんだんと左右の距離は縮まっていく。それに比例してリズムは遅くなる。
真ん中で再会すると、左手は満足したように停止した。右手は名残惜しそうに指を一本ずつ放していく。最後に、ぽーん、と始まりの音を撫でた。
音が聴こえなくなり、彼は力なく目を開けていく。
目尻にたまった涙が落ちた。
「ナナ」
いとおしそうにまたそうつぶやいても、当然返事はない。
涙で濡れた唇は一度弧を描き、そしてなだらかに消えていく。怒り、悲しみ、苦しみ、そんな人間らしい負のオーラをふつふつと放ち――パリンッ! 突然、教室の窓ガラスが勢いよく割れた。
「カァット!」
固唾を飲んで見守っていた監督が、堰を切って叫んだ。
予想外の事故への対応が早い。さすが監督。と、感嘆したのも束の間、満足気に両手で丸をつくる監督に、ああなんだ演出か、と勝手に落胆した。
あの楽譜が、呪いの曲。呪いの始まり。
そう知らしめるための仕掛けだったということだ。
俺はまんまと知らしめられる側に回されたのだ。
しっかりビビったし、声も上げそうになった。ぎりぎりで歯を食いしばって耐えた反射神経こそ、ほめられてしかるべきだ。
心臓はまだドクドクと焦っている。心頭滅却。落ち着かせようと胸を叩くよりも先に、なぜか肩に重みが加わった。呪いの曲の効果が色濃く残っているせいで、身体が過剰に飛び上がった。
「お~、イイリアクション」
神経を逆なでるような声がすぐ隣から聞こえ、戦慄は吐き気に変わった。
こんなふうにおちょくってくるバカは、ひとりしかいない。
「山路ぃ」
「怖かった? 怖かった?」
挨拶もなしに俺の肩を支え代わりに使う山路は、怖いならそばにいてやるよと、笑顔で体重をかけてくる。
うぜえ。無言で肩を振り回せば、隣の笑顔に明るさがいっそう増した。
「恥ずかしがらなくてもいいのに。俺も最後ふつうにちびったもん」
何のフォローだよ。俺は別に怖がってねえし、恥ずかしがってもねえ。
てめえが今ここにいることが、一番怖えよ。
「何しに来たんだよ。暇人か」
「ん? 暇ってわけじゃないよ。朝から仕事三昧」
あぁ、そうだった。そういえばこいつも、
「なんたって芸能人ですから!」
勝ち組、なんだった。
かつては俺と同じ肩書きだったのに、ちゃっかりオーディションを生き残った挙句、VIPの称号を受賞していた。
レポート課題よりもインタビューやライブ準備に追われる日々。この差はいったいいつ生まれたのか。
芸能人らしさのかけらもない、浮足立つ学生感に、内心安堵した。
「ここに来たのも、もちろん仕事!」
「まさか、おまえも?」
「そっ。霧矢と同じクラスメイト役」
学生感に気を取られていて、同じ制服を着用していることに今さらながら気づいた。
俺以外にもキャスティングされているとは聞いていたが、しょせん単なるエキストラ。台本は昨日メールで送られてきたばかりで、顔合わせや読み合わせはない。台本にも名前は記載されておらず、ほかに誰が出るのか謎に包まれたままだった。
どうせ来るとしてもオーディション脱落組の誰かだろうと考えていた昨日の俺へ、残念だったな、デビュー組のほうが来ちまったよ。
「あいつに指名されたのか」
「いんや? 立候補。俺が出たい出たいっつってねじこんでもらった」
「はっ?」
「ここだけの話、受賞者は忙しくなるからやめておこうってなってたらしいんだけど、タイヨウさんが説得してくれて出られることになったんだ。実際、毎日超忙しいけど、このドラマには絶対絶対ぜーったい出たかったんだ!」
元戦隊レッドの雨ヶ谷丈と対面したあのときのように、彼は爛々と生気をみなぎらせている。
すっかりタイヨウに懐いたようだ。俺がオーディション参加中は、ここまで憧れ意識は強くなかった。俺が脱落したあと、チームメイトになったとか、マンツーマンで指導してもらったとか、何かささいなきっかけがあったのだろう。
あの人たらしは、麻薬のようなものだ。単純な興味をたやすく沼へと引きずりこむ。一度浸かってしまえば最後、忘れることはできない。
俺はふしぎでならない。なぜ、みんな、恐怖を覚えないのか。その好意は、仕向けられたものかもしれないのに。
山路はバカでアホなガキだから、そもそも疑うことを知らないんだろう。あの人はすげえだのやべえだの、新規ファンみたいな感想を延々と語っている。
「なあ! 聞いてる霧矢!?」
「聞いてねえ」
「聞いて! あの人、すげえじゃん? 歌もダンスも、さっきの演技も! うまいんだけどそれだけじゃなくて、なんか、すげえんだよな!」
「語彙力ねえな」
「伝わるだろ!?」
「……」
まあ、言わんとしていることはわかる。
タイヨウは、オーディションで随一のスキルかと言われれば、そうではない。技術はあるが、その質は一定ではない。先ほどのピアノ演奏でも、実は、リズム取りが遅くなったり指がもたついたりしていた。
しかし、圧倒的な存在感と表現力が、すべてをカバーしてしまう。一の失敗をしても、十の魅力に目を奪われ、気がつけば世界の中心に奴がいるのだ。
無関心ではいられない。幕が上がるたび、爪痕を刻まれる。
痛くてたまんねえよ。
「なんかうれしい話してくれてる?」
うわさをすれば、監督から解放されたタイヨウが、こちらに戻ってきた。
「あ! お疲れ、タイヨウさん!」
「山路くんもお疲れ様。スケジュール大丈夫だった?」
「問題なしっす! 共演するためなら問題あっても来ます!」
「あはは! 問題あったらだめだろ」
尻尾を振る山路にえさをやるように笑顔を振りまく。つい数分前まで絶望感に打ちひしがれ泣いていたとは考えられない。
「タイヨウさんこそ、忙しい中でよくピアノ練習できましたね。習ってたんすか?」
「昔ちょっとね。だいぶブランクがあったから、びっちりレッスンしてもらったよ」
「プロに任せてもよかったんじゃねえの?」
俺が水を差すように問いかければ、僕もそう思った、とまさかの肯定を返された。
「監督にも吹き替えの提案をされてたんだけど……。呪いの曲は、ナナ役の夏凪 音さんが、ロマン派のクラシック曲を参考にして一から作ったオリジナル曲らしくて。それ聞いちゃったらさ、僕も何かがんばらなきゃって思っちゃったんだよね」
夏凪音といえば、俺ら世代を代表するシンガーソングライターだ。女優としても名を馳せており、若手実力派として数々の話題作に出演している。『オンステージ 2nd』にもゲストとして招かれていた。その縁か、今回のドラマでヒロイン役を務める。
年齢はさほど変わらないが、芸歴は雲泥の差。オリジナル曲を軽々と作り上げてしまえる経験値くらいあるだろう。そんな大先輩を相手に、芸能界入りたてのひよっこが肩を並べようと奮闘する光景は、いささか滑稽に思う。
しかし、努力が空回りすることなく、本当に肩を並べてしまうのが、奴の憎たらしいところだ。
努力は必ず報われる。その言葉はきっと、こういう奴が広めたにちがいない。
すげえかっけえっす! とほめるしか能のない忠犬が、わんわんはしゃぎまわる。
いちいち感動しなきゃ気が済まないのか、こいつは。
努力でどうにかできる次元をとうに超えていることは、ちょっと考えたらわかるだろうに。
何が努力だ。そういうのは才能と呼ぶのだ。
報われたのではなく、開花しただけ。それだけの話だ。
そうではなければ、がんばっただけで、あの転調の多い曲を弾きながら一発OKの演技ができるわけがない。
俺には、できない。
「俺たちもがんばります! なっ、霧矢!」
ハイテンションの山路に肩を組まれ、逃げ場をなくした。
おずおずと視線を上げた先で、黄金比を保つ面体が邪気なく待ちかまえていた。
「みんなで一緒にがんばろう」
「おうっ!」
山路は意気揚々と拳を上げた。




