盲目
――今日のこと、思い出さなくなっても、別にいいんです。
あれは誰の言葉だっけ。
ドッと跳ね返る凄まじい声の嵐に、いともたやすく意識を吹き飛ばされた。
真っ白になった頭の中、一目散に飛び込んだのは、麗しきご尊顔。巨大なスクリーンに好きな人がドアップで映し出されている。スクリーンの真下にあるステージには、実物がたたずんでいた。
360度イケメン。アイドルの中のアイドル。
アタシの、最推し。
汗を拭き、笑い、水分補給をし、笑い、また笑った。今。この瞬間。この空間。すぐそこで。アタシと同じように息をして、アタシと同じように笑っている。
まぎれもなく、ホンモノ。
マイナスに近い寒さに凍えてしまいそうな肌も、気づけば高熱に浮かされていた。内臓は焼かれ、体液がぐつぐつ煮込まれる。真っ白な吐息は、みるみる蒸気へと変換されていった。
彼の吐いたその色をも奪い尽くす勢いで、アタシは口を豪快に開けた。
「フーゴおおおおお!! 好きいいいい!!!!」
あぁ、サイコー。
アタシ、このためにがんばった。
かのイケメン、名をフーゴ。
4人組ボーイズグループ『GaoR』のリーダー。
新年を迎えた今日は、彼らのライブツアー初日。ツアータイトルは、王位継承の儀。
洒落と厨二病のどっちつかずなツアー名が、公式発表されたのが、半年前のこと。
それからずっと、今日のために生きてきた。
バイトのシフトを増やし、ダイエットをし、ごみ拾いをし、金に美容に徳まで積んできた。おかげでチケット争奪戦では負けなし。ファンクラブ会員数300万人越えでも、全通は確定している。
ただし、席ガチャはハズレ。今日は1階スタンド席2列目。ステージに近いほうではあるものの、特別いいわけでもない。徳が足りなかったみたい。もっとごみを拾って、バスや電車の席をゆずって、バ先の客に愛想を振りまけばよかった。
でも、許してあげる。そんなことでいちいち文句をつけるような、厄介オタクとはちがうもん。
ツアー初日。セットリストすら出回っていない、新鮮かつ神聖なスタートライン。新年早々ここに立ち会えたことが何よりの幸せ。今年はいい年になりそうだ。
スターターピストルの代わりとなったのは、デビュー曲『我王』。イントロから光と炎の演出をふんだんに取り入れ、ボルテージが上がり、ギラギラに輝いた推しを拝められた。もうそれだけで、元は取れたも同然!
それに、ライブは明日も来週も参戦するし、ここにいる観客の8割以上を占める女の子ファンよりも大好きな自信あるし、2割以下の男の子ファンよりもファンサをもらってる自覚あるし、あ、ほら今も。「俺も好きー」って手を振ってくれた。かわいー。
隣の席で、絶叫が弾けた。駅ビルにあふれたワンピースを着た、俗にいう量産型女子が、お友だちと飛び跳ねながら騒いでいる。明らかにセルフなネイルのつけた手には、フーゴの顔面が貼られたうちわ。同担か。拒否したりしないよ。推しの味方は多いほうがいいに決まってる。
ちょっとだけ、可哀想に思うだけ。
だって、どう見てもぜったい、フーゴはアタシのことを見てた。アタシに向けて手を振って、好きーって、笑ってくれた。
アタシたち、見る目あるね。あんないい男、めったにいないよ。好きでいてよかったって、何回も、何十回も、想わせてくれるんだもん。
たぶん、フーゴは、特段ファンサをするタイプじゃない。グループ内では、ほかのメンバー、たとえばギミーのほうがファンとの距離が近いイメージがある。
MC中も抜かりなくアタシたちを愛でてくれるギミーとは対照的に、彼はメンバーとばかり目を合わせる。メンバー愛が随一大きなことは、ファンの間では有名すぎて、もはや常識の範疇だ。メンバーとだけ過度なスキンシップをとり、自分のことのようにメンバーの自慢をし、ハプニングがあったときはリーダーらしくフォローする。
でも、わかってるよ。
自分を指すうちわにだけは真面目に反応してくれるところ。好きには好きを返してくれるところ。はじめましてじゃないことを覚えてくれているところ。SNSで盛り上がったエピソードを話題に出してくれるところ。
ちゃんとファンのことも見てくれている。
アイドルなのに、たしかに心を感じる。触れられる。生の質感が、伝わってくる。
同じ学校だったら、ぜったいみんな一度は恋していた。
好きにならないほうがむずかしい。
近くにいそうでいない人。
アタシが、今、好きな人。
もう何度目だろう、彼を惚れ直した今日も、きっと忘れられない日になる。
あわよくば、この甘さにずっと溺れていたい。
――忘れても、今この瞬間ここにいたことは、消えたりしませんよ。
ふっと照明がうつむいた。
暗がりの中に大好きな姿が隠れてしまう。
「みんな、ありがとう」
顔が見えなくてもわかる、フーゴの声だ。けど、なんだろう、いつもとちがう。
人前では泣かないと決めている――いつだったか、インタビューでそう答えていた。なのに、今の声は、少し震えていた気がした。いつものやさしい声音に、雨の匂いを感じた。
3時間のライブが終わる。その現実をいやでも思い知らされる。
アタシもありがとうって笑い返すべきなのに、正反対なことをして困らせてしまいたくなる。
「最後は、俺たちの大事な新曲。特別にここにいるみんなにだけ先に聴かせてやるから、忘れんじゃねーぞ!」
聞き間違いだっただろうか、一瞬で調子を戻したフーゴのひと声で、世界が純度の高い光をまとった。
「新曲『王冠』」
爆発力のある音色に、全身総毛立つ。
熱気のうずまく渦中、メインステージからセンターステージまで伸びるレッドカーペットを、メンバー4人が一列となってゆっくり進んでいく。
ハズレの席からでも、その姿がよく見えた。
派手なエッジボイス、見栄えのいい踊り方、凛と咲きほこる笑顔。初雪を浴びたような汗が、スポットライトに反射し、内側からきらきらと発光している。フーゴがオリジナルパーカーをたくしあげると、大胸筋の引き締まったラインがあらわになった。
頭のてっぺんから痺れ、喉が痙攣した。得も言われぬ快感。たまらずラブコールを送る。声が枯れてきた。いつものことだ。
あのオリジナルパーカーはグッズとして販売されており、もちろん2着購入した。おそろいだ。明日着ていこう。
センターステージに立った4人の前に、アンティーク調の椅子がひとつ、せり上がる。王族が実際に使っていたかのような豪華絢爛な椅子に、黄金の光沢を持つ冠が座していた。4人がそれを護るように背中合わせになると、ぐわんと空気がうねった。
あ。来る。サビが、来る。
「エンジンよ響け!」
赤い閃光が、会場を駆け抜けた。円形のステージを火花の特効が囲い、やがて燃え盛る火柱となる。
うちわとともに掲げていたペンライトが、自動で赤と黄のグラデーションに変化していた。そんなことにも気づかずに、アタシは夢中で両腕を振り回した。
熱い。苦しい。心地いい。あぁ、たまんない。
さっきまで何を考えていたっけ。
なんだっけ。誰だっけ。フーゴのことだっけ。
ちがうかも。
じゃあなんだっけ。
なんでもいっか。
うん。なんでもいいや。
そんなことよりも、推し! ライブ! 新曲!
こんなに楽しいなら、ここに永遠に監禁されていたい。




