炎症⑸
夏を超え、本番当日。
会場となるコスモシアターは、満員御礼。
SNSも一日中『SIESTA』関連で独占状態だ。
大人気シリーズの最新作。過去作を見届けてきたファン、待望のエピソード。初見の人もわっと食いつく、圧倒的な話題性。主役には大型ルーキー。脇を固めるは、実績のある芸達者な老若男女。さらに、スペシャルドラマの豪華特典として企画された、世にもめずらしいプレミアミュージカル。
それだけの理由がそろっていれば、ほとんど広報いらずで大繁盛である。
まもなく午後7時。ドラマ放送開始かつ舞台開演の時間だ。
昨日ゲネプロを行ったが、関係者以外非公開で、客席はほぼ無人だった。リアルな体感を知らないまま本番に挑む。
泣いても笑っても一回きりの勝負。しかも劇場にはいたるところにカメラが配置され、いずれ円盤化され後世に残り続ける。
責任重大だ。
学ランを着こんだ俺は舞台袖で待機すると、客席の興奮が地響きのように伝わってきた。
じっとしていられず、ぎりぎりまで台本を確認する。蛍光マーカーで引いたセリフ、ふせんの貼った歌唱パート、余白に書き込んだ赤と黒の文字。赤は炎谷さんからの指摘、黒は俺の自問自答。ゲネ終わりにもメモは増殖した。ふせんのページは特別赤い。
長い稽古期間、結局一度も炎谷さんに認めてもらえなかったな。
メモ書きを指でなぞる。脈拍が速くなる。手汗がにじんできた。体調は万全のはずなのに熱が出たような気がしてくる。
あぁ、よくない。だめだ、だめだ。頭をぶるりと振るって、台本を閉じた。
「ヒノデさん!」
早着替えスペース付近のテーブルに台本を置くと、耳元に小型マイクをつけたタイヨウさんが近寄ってきた。
学ランの前を開けて着崩し、襟足の長い黒髪は外に跳ねている。
「本番、がんばりましょうねっ!」
遠足前の子ども同然に浮かれている。ドラマのポスタービジュアル撮影もこんなふうに楽しそうにしていたっけ。
お客さんと同じ温度で待ち望めるなら、ここは天職だ。彼をオファーした炎谷さんの第六感は、やはり冴えわたっている。
俺が羨望の眼差しを向けると、握手を求められた。腕相撲をするときの角度で、パーに開いたタイヨウさんの手がかまえられる。
「ちょ、ちょっと、ちょっと待って!」
俺は急いで手汗を腰あたりで拭いた。あははっと笑われても気にせずに両手をこすり合わせ、はぁーっと息を吹きかける。また摩擦を起こし、手のひらを赤らめながら、指を交互に折り曲げた。脈がびゅんとうなった。
タイヨウさんは眉間にしわを寄せて破顔していた。
「どうしてためらうんですか」
「だ、だって、ちょっと怖く、て……」
言いながら、既視感がよぎった。
――なにためらってんだよ。
あれ?
それは、かつて、先輩がくれた大事な言葉。
「それはいいことだ!」
「……どうして?」
「恐怖は、強くなる兆しですから」
――怖い? いいことじゃん。
タイヨウさんはあらためて手を差し伸べた。俺は熱を蓄えた手をごく自然に重ねていた。
ぱぁんっ。晴れ晴れとした音が舞台袖に広がる。
陰鬱とめぐらせていた思考回路が、ふっと軽くなり、巻き戻っていく。
あのとき。
後悔の消えることのない、『オンステージ』最終審査前日。
非常階段でひとり怯える俺に、先輩がそう言って励ましてくれた。
――なにためらってんだよ。
チーム『三つ子』のときのように俺の背中を叩いて。
――怖い? いいことじゃん。
笑って俺の手を引いて、立ち上がらせてくれた。
このあと、恩を仇で返されるとも知らずに。
先輩の笑顔はやさしさに満ちていた。
手はすぐに離され、根津さんの場所を聞くと走って行ってしまった。
……あぁ、待って。お願い。待って。
開演のベルが鳴る。
今、たしかに俺とつながっている手も、離れていく。
離れてしまう。
待って。
「先輩っ」
衝動的に声が出た。
喉奥がつっかえてかすれてしまった。
けれど、彼は、タイヨウさんは、幕の上がる舞台の一歩前で振り返った。
彼は一瞬丸くした目を、三日月型にすぼませた。
舞台上の明かりが、長身の背を焦がす。
右の端だけ口元を歪ませ、小道具のカバンを携え、彼は何事もなかったように光の射すほうへ歩いていった。
観客が息をのむ。
学ラン姿のアンサンブルが一足先にうごめいていた檀上に、遅刻して現れたひとりの少年。
殊に照明を当てずとも、異彩は際立っている。ほかの学ラン姿の少年たちは彼を避け、3階席まで埋まった観客は彼だけに神経を注いだ。
彼は中間地点をやや過ぎたあたりで立ち止まり、観客の視線をうっとうしそうに睨みつけた。棘の生えた表情に、ただ見入っていた大勢があわ立つ。
俺は舞台袖にある、スタンドにつけられたマイクに顔を寄せた。小型マイクのスイッチが切れていることを確認する。じんじんとしびれた手を、きつく握りしめた。
「いったい……どれだけの人が、憶えているだろうか」
俺のナレーションが、劇場を統べる。
渇きを覚えてもいとわずに、声帯を酷使させた。
「バクという、少年について」
ぶっきらぼうに立ち止まっていた少年、タイヨウさん演じるバクは、ふたたびフォルムのいい脚を動かし、反対側の袖に消えていった。
次第にアンサンブルも捌け、物音ひとつしなくなる。
壁に文字が浮かび上がった。
『SIESTA-BAKU-』
彼の代わりに名刺を出すように投影されたタイトルは、たちまち炎のエフェクトに燃やされていく。火の回りを煽る爆音がかかった。俺のつくった主題歌『Brother』のサビだ。
壁一面、炎に染まると、一小節を過ぎた曲がフェードアウトしていく。比例して炎の勢いもしぼみ、先ほどよりも深い闇に包まれた。
影にまぎれながら机を用意された舞台に、俺は身を投じた。
照明の点いた板の上。5台ほど整列した木製の机のひとつに着席した俺を、数人の少年が取り囲む。
「なあ、転校生。名前、なんつったっけ?」
ドラマでもちょうど、朝のホームルームで自己紹介しているころだろうか。
「……です」
「え?」
「ぼ、ボンスケ、です」
「ぼんすけぇ? 変わった名前してんなぁ!」
そう、俺はボンスケ。高校1年生。
前の学校でいじめられ、夏休みが明けた2学期に、母方の祖父母のいる地域に引っ越してきた。
まだ探偵ではない、未熟なボンスケ。
「これからよろしくな!」
「う、うん。よ、よろしく……」
「よろしくついでに、この学校のルールを教えてやるよ」
どの先生が甘いかとか、購買の裏ルートとか、校則には記されていない情報をいくつか共有してくれる。
「そんで最後に……ふたつ上の先輩に、バクって奴がいんだけど」
「バク?」
「そいつにはぜっっったい関わんなよ」
「え? なんで?」
「やべえから」
「やばい?」
耳よこせ、とクラスメイトの少年はジェスチャーする。顔を傾け、密集する俺たちに、スポットライトが集中した。
「人殺しなんだ」
耳打ちされた言葉は、けっして冗談のテンションじゃない。俺は絶句した。
「ガチだぜ。殺人罪で捕まって、なぜかすぐ釈放されちまったんだけど。母親を手にかけた、まじもんのやべえ奴なんだ」
「……」
「関わったら、お前も何されるかわかんねえぞ」
釘を刺すクラスメイトに、俺は食い気味でうなずいた。それを合図に、頭上に集結していた光が、全体に散っていく。
うしろでうろついていたアンサンブルが、急にざわつきだした。ふしぎそうに振り返ったクラスメイトの少年が、ぎょっと目をむいた。
「お、おい、あいつだよあいつ。人殺しのバク」
教室の壁を模した舞台セットの裏、窓や扉の形に空いた枠から覗き見えたのは、噂の人物、バク。
艶っぽい輪郭、人間離れしたシルエットに、野生みのある荒んだオーラ。相容れない要素がひしめき、視覚的に強烈なパンチを与える。
見てはいけないのに見てしまう。無視したくてもできない。謎の引力が舞台の外にも作用していた。
バクは素知らぬ顔で廊下を過ぎていく。たった数秒の出番で、場内の空気をきれいにかっさらっていった。主人公らしくないのに、主人公が誰か、見せつけられる。
つかみはばっちり。
座長の先導で、世界観は無事に構築された。『オンステージ 2nd』のデビュー組は格がちがうな。痛切に一目置きながら、それが表情に出ないよう気をつけた。
ボンスケとバクが邂逅するのは、その日の放課後。下校中にボンスケが、校舎裏でいじめ現場を目撃する。どの学校にもいじめがある事実に絶望し、わが身かわいさに助けに行けない自分に憤りを感じていた。
そんなとき、パンクなミュージックとともに介入したのが、バクだ。
「邪魔だ。失せろ。目障りだ。二度と汚ぇ面、見せんな」
低音ボイスでがなりながら、華麗なる足さばきでいじめっ子を巻きこんだダンスをする。
曲が終わったとたん、いじめっ子がばったばったとなぎ倒れた。最後いじめられっ子まで脅かした彼は、舌打ちを残し、開けた道を歩いていった。
台風の過ぎた現場を、俺は茫然と眺めた。
しかし、1週間後。
学校近くにある商店街の路地で、いじめっ子の主犯格が遺体となって発見された。
第一発見者、ボンスケ。
「うわああぁぁぁああっ!?」
舞台奥に伸びる遺体に、俺は野太い悲鳴を上げた。客席に背を向ける形で尻もちをつく。
遺体はドラマ撮影ほどディティールを再現しておらず、血のりと暴行の跡をつけているだけだったが、瞳孔は開き、胸は硬く、首は変な方向に曲がっていた。炎谷さん監修による生気のない表現は、嗅覚をも騙せてしまいそうだった。
照明を絶妙に調節し、本通りと路地を陰陽の差で分け、よりリアリティーを増している。
俺は床に手をつき、咳きこみながらえずいた。本当に、吐きそうだった。粘り気のある唾液が、顎を汚す。胃が不規則に渦巻き、ゲネ後にがぶ飲みした水が荒波を立てていた。
このシーンは台本を読んだときから慣れなかった。でも、いい。これでいい。こうするのが最善なんだ。
刑事の事情聴取を受けた俺は、遺体の人物と知り合いか訊かれ、1週間前のいじめ現場について話した。それをきっかけに、バクが容疑者候補に上がってしまう。
田舎町では、あっという間に情報が広がる。悪いニュースほど素早く。
翌朝、いつにもまして白い目で見られるバクに、ボンスケは罪悪感に駆られた。なんとか無実の証明をできないか、登下校するバクのあとをつけて調べてみることにする。
ポップなメロディーに乗って、ステップ、ターンを決めながら、舞台を何周か往復する。すると突然、バクがわざとらしく足踏みをして音色ごと止めにかかった。
「テメェ、いつまでついてくんだよ。うぜえな」
「すっ、すみません……せ、先輩……」
振り向いたバクに、俺はセットの物陰からおそるおそる姿を現した。
「テメェもオレが犯人だって疑ってんのか」
「ち、ちがう、ます」
「あ?」
「ち、ちが、ちがいます。疑って、ないです」
「……はあ?」
彼はすっとんきょうな顔をする。
「テメェもオレの噂は聞いてんだろ」
「は、はい……」
「なのにオレを疑ってねえんだ。変な奴」
未確認生命体をスキャンするように俺を見る。
俺は肩にかけたカバンの持ち手を両手でつかみ、故意的にぷるぷる震わせながら、頭語を勢いよく発した。
「ぼっ、ボクは! ……じ、自分の目で見たものを、信じたくて」
「へえ? バカな生き方」
冷笑を吐き捨て、上手付近に設置されたバス停の前を横切った。バスらしき走行音が響く。
バスに乗車したバクは、隣町で明け方までアルバイトをする。ボンスケがそれを知ったのは、自発的な調査を始めてすぐのことだった。
調べれば調べるほどバクはふつうの少年だった。いじめの一件もあり、好感すら抱き始める。
あれ以来、尾行を続けていたボンスケは、ある日はじめてバクの家にたどりつく。
薄暗い檀上で俺が驚愕のリアクションを取ったあと、巨大なセットに照明が当てられた。
寝たきりの祖父とふたり暮らしだという、古びた一軒家。ありふれた外観には、ところどころに落書きがされてある。人殺し、犯罪者、町を出てけ。筆跡も色も様々で、指名手配に似たポスターや生ごみの残骸も散らばっている。
客席から同情の風が吹く。
バクの廃れた双眼が、客席を舐めて俺を捉えた。
「テメェは、オレの全部を知らねえから、オレを好きでいられんだよ」
瞳の奥で感情をめった刺しにしていた。
反射的に萎縮しかけ、俺はすぐさま台本の赤文字を思い起こす。
いや、怖くなんかない。ちゃんと見ろ。怖がっているのは、むしろ、彼のほうじゃないか。
足腰に力を入れて歩み寄ろうとすれば、彼はいたずらのポスターを数枚はぎ取って、俺の足元に叩きつけた。
「無駄なことしてねえで、バカはバカらしくバカみてえに遊んでろよ。深追いなんかすんな。わかったな?」
セットに付随された扉の奥に、彼は身を隠す。
ボンスケの調査は止まらなかった。人殺しの噂の発端、殺人事件の真相。その共通点を見つけた直後、何者かに襲われてしまう。
間一髪逃げ延びたものの、途中で力尽きた。学校近くで気絶したボンスケと、バイト帰りのバクが遭遇する。
「深追いすんなっつったのに……っ」
うつ伏せで寝そべる俺は、このときのタイヨウさんをちゃんと見たことがない。けれど、いつもふしぎと泣きそうになる。
「なんで……テメェが、そっち側にいんだよ」
彼の声は、共感性を昂らせる。客席ですすり泣く声が増えていく。
「くたばってんじゃねえよ、バカやろう」
人殺しのバク? 彼に人は殺せない。
理屈じゃない。証拠もまだない。でも彼の言動がそう物語っている。舞台を見上げる人々もみな、同じ気持ちのはずだ。
バカな生き方をしているのはどちらだろう。
俺はいっそのこと起き上がって、シャツにしみついた血反吐も顔に負った傷もすべてメイクや演出だと、面白おかしく教えてもかまわなかった。
どうかしている、ただの演技なのに。
彼は俺に指一本触れることなく、救急車を呼んでその場をあとにした。
数日後、第二の殺人事件が起こる。被害者は、バクやボンスケの学校の保健医だった。
現場からバクの指紋が発見され、彼の家や学校へパトカーが出動する。すでに彼の味方についた観客は、怒りや不安をあらわにし、固唾を飲んだ。校門をくぐった彼を、警察が取り囲む。
……と、ここで、第一幕は終了。一旦、緞帳が下ろされた。
20分間のブレイクタイム。劇場が騒がしくなる。
裏ではその間も働き続ける。セットを仕舞い、衣装を渡し、小道具を整理し、ヘアメイクを直し、時間を管理し、機材を調整する。
控え室で全景映像を観ていた炎谷さんが、舞台袖に立ち入り、追加の指示を飛ばす。
「炎谷監督! 第一幕どうでした!?」
のんきに話しかけに行くタイヨウさんは、すっかり牙を抜いていた。物理的なスイッチよりも変化が速すぎて、大人になったボンスケみたく二重人格かと疑うレベルだ。憑依の天才である晴家さんと親戚なだけある。
炎谷さんは顔中のしわを濃くし、俺に一瞥をくれた。頭に包帯を巻いた俺はそろりそろりと近づき、炎谷さんの前にタイヨウさんと並ぶ。
これ、たぶん、叱られるやつだ。何を言われるんだろう。怖いなあ。
念のため、炎谷さんの手に刃物がないか確かめた。あるのは、よれた台本だった。
「曲の遅取り、表情の油断、導線のずれ……言いたいことは山ほどあるが」
あああ、言葉の刃に切り刻まれる……!
「さして調子は悪くなさそうだ。二幕もがんばりなさい」
「……え……?」
「はいっ!」
「あ……は、はい」
拍子抜けした俺に、やったね、とタイヨウさんが小声で言ってウインクする。
二幕のほうがダメ出しが多いのに。歌唱パートとか、舞台移動とか。ゲネで言いたいことを言い切ったのかな。注意されるのが当たり前だったからちょっと落ち着かない。
喜ぶべき? いや、でも、そういうのは全部終わったあとでいいか。まだ物語は続いている。
踵を返した炎谷さんが、ワイヤレスのモニターでドラマの進捗を確認した。指紋の鑑識結果を知った刑事が、無音で映る。最高視聴率は13.2%、今も上昇傾向にある。後半戦にはどうなっているのか。
俺は横を見た。タイヨウさんが前を向いていた。頬肉がやわらかくなったのが自分でもわかった。




