通知
『ひさしぶり。今日の午後、時間空いてる? 話があるんだけど』
突然だった。
新宿駅を離れ、裏道に沿って3丁目方面に歩いた先にある古臭い喫茶店に、警報のような音が響き渡った。
音の発現は、店の一番奥、ふたりがけの席。
そこにひとり居座る俺は、反射的に背を正した。壁に面して設置されたベロア素材のソファーが、ばふんと軋む。
テキストを開いたノートパソコンの横、充電していた携帯が、7日目の蝉のように鳴いていた。
光る画面。受話器のマーク。
その上にどんと浮かぶ、この間ヤケクソに設定した、爆弾の絵文字。
最悪だ。
触るな危険。触らなくても危険。どちらにせよ重傷なら、触りたくはない。けれど、ちらほらといる周りの客からの白い目が、それを許さない。
向かい側にぽつんとあるアンティーク調の椅子は、空っぽ。誰も盾になってくれない。
完全に包囲されている。
『元タレント・ズボラルズム、ひき逃げ』
昨晩、報道されたばかりの見出しが、よぎる。
アレは、たしか、1個下の後輩がつかんだネタだった。
犯人の写真は、印象深い。当然、悪い意味で。
捕まる直前の一枚だった。廃墟に立てこもっていたが、取れかかったカーテンに足を絡め取られ、逃げ場をなくしたのだ。その絵面は、虫取り網に捕われた蛹のようで、なんとも無様であった。
はじめて見たときは大いに笑ったものだが、今は心底同情する。
今の俺も、まさしくあんな感じなんだろう。
寿命を縮める思いで水をがぶ飲みした。ごくんっと強く喉の奥に流し入れる。
と同時に、画面を強く叩いた。
音が、消える。
「っお、つかれさま、です……」
威勢のいい動きとは裏腹に、声はどこまでもひよっていた。もはや癖だ。
相手はデスク。いわば直属の上司だ。ひと回り以上も年が離れているせいか、まともに会話できたためしがない。
一抹の沈黙。
カチカチと、擦れる機械音。時計、じゃない、ライターだろうか。長く息を吐く音がする。
むせてしまいそうだった。
臓器はあっという間に水分を吸収し尽くし、どんどん干からびていく。
何か言わなければ。何か。
声音は下手に、慎重に。それでいて、必死に、いい子ちゃんを演じる。
相手の第一声をうかがいつつ、今ちょうど立てこんでいる風を装う。そんなことに意味なんかない。その場しのぎにもならない。わかってる。だから癖というのだ。
すみません。
反射的に出たその消え入りそうな一言で、爆弾は着火した。
耳がキンと唸る。
パワハラじみた言葉の火種が、辺りに撒き散らされ、生唾でも飛んできそうな怒声によって勢いよく燃え上がる。
部下のフォローでも年配者の叱咤激励でもなんでもない。単なるストレスの捌け口だ。
人気絶頂の女優、春日野 妃希の電撃引退。月9俳優、雨ヶ谷 丈の密会デート。フォロワー数50万人越えの元タレント、ズボラルズムのひき逃げ。
字面だけでも火力抜群なネタが、定期的に排出されていたおかげでハードルが上がりに上がり、よほどのネームバリューがなければトレンドに入ることすら厳しくなった。昨晩のひき逃げのネタは、念願の当たりだったのだ。
上司は元々小言が多い人だったが、徹夜が続き、会社で寝泊まりが当たり前のようになると、俺というちょうどいいサンドバッグでストレスを発散するようになった。俺がいないときはわざわざこうして電話までかけてくる。
言い返しても悪化することは最初のうちに学んだ。言うだけ言えば勝手に終息していく。そうわかっているから、俺は黙ってソファーの上で身を縮こませて、みっともなくへこへこするしかなかった。
すみません、はい、はい、いえ、はい、そうですよね、はい、すみません、すみません……。
何を言われてるのかはほとんど覚えていない。機械的にうなずいては謝るのが最善だった。
満足したのか、乱暴に途切れた通話画面に、ドス黒い顔が映りこむ。あ、これ俺の顔だ。
疲れがどっと出て、老け込んでいる。
最悪だ。
今年で、24。まだまだ若いとされる年齢だが、もし明日死んでも、俺はなんらふしぎには思わない。
なぜ生きていられているのかも、正直よくわかっていない。まあ、それは、さっきまでガミガミうるさかった爆弾魔にも言えることだが。
なぜ俺はここにいて、こんなことをして、こんな思いをしているのだろう。こうなるはずじゃなかったのに。
なのに。
わかり得ないまま、4年が過ぎた。
最悪だって、ずっと思ってる。
思って、終わってる。
人生って、何なんだろう。
舌を打ち、パソコンに手を伸ばすが、何も打てない。
ジャケットのポケットに突っ込んでいたB5サイズのメモ帳を開く。箇条書きに並ぶ文字列の上に、余すことなく赤線が引かれている。
あれもボツ、これもボツ。
なあんもねえ。
ウェルカムサービスのレモン水も、飲み干してしまった。
身体の内側から冷えていく。店内の空調はどうやら奥にまでは行き届いていないようだ。
窓ガラスからは、裸ん坊の樹木にぽつぽつと芽吹きが見え始めていた。
春は、近い。
俺の身体はいまだに白く、震え続けている。
再び、携帯が飛び起きた。
とっさに肺を膨らませる。
通知は一瞬で止んだ。
おそるおそる画面を覗く。そこに例の爆弾はなかった。ひとまず胸を撫で下ろす。
楽な体勢に変え、あらためて音の正体を見やる。
1件の新着メッセージ。
『おまたせ、もう着くよ』
からんころん。
メッセージを確認するが早いか、薄ら寒い音が転がった。
長身の男が、店内に踏み入れる。
「いらっしゃ、い、ませ……」
店員の挨拶がわかりやすくしぼんでいく。
ひょろりとした背丈の男は、雰囲気イケメンと不審者の中間を攻めているからだ。
ニット帽からスニーカーまで全身真っ黒なコーディネート。長い前髪に、これまた真っ黒な不織布マスクまで付け、顔の大半を隠している。
怪しい。
人ひとりくらい入りそうなスーツケースを携え、危ない匂いを自ら放出している。
だがしかし、それでもなお隠しきれない抜群のスタイル、洒落たオーラが、マイナス要素をカバーしていた。
どうしたもんかと動揺を見せる店員に、男はさらりと会釈のみを交わし、店内をざっと見渡した。と、すぐに、長い足が動く。
使い古されたクラシックのBGMが、丁重なまでの靴音に生かされ、乱雑なローラー音で撃ち殺される。
一番奥で、立ち止まった。
ほかでもない、俺の目の前で。
「おまたせ」
メッセージの文面と同様、ぽんと短く、軽薄な挨拶だった。
簡単に頭を下げながら、俺の断りもなく、目の前の空席に座った。アンティーク調の椅子は、元からその男の物だと言わんばかりに収まりがよかった。
スーツケースを足元にしまい、メニューを開く。そのなんでもない仕草でさえ、MVの一部を撮っているようで吐き気がした。
店内の異様な空気感を知ってか知らずか、いいや、ぜったい知っているうえで、飄々と楽しんでやがる。こいつはそういう男だ。
俺はわざと音を立てながらパソコンを閉じた。目の前の男は依然としてペースを崩さない。ゆっくり、ゆっくり、じれったくなるほど時間をかけ、俺へと焦点を合わせた。
「はぁ……」
「……」
「……」
「ん?」
「……そんだけかよ」
「なにが?」
昔から気に食わない奴だった。
どこまでも腰が低いようで、うんと高いところから見下してるような、そんな奴。
今日だって、突然だった。
いきなり『午後、時間空いてる?』なんて連絡が来たかと思えば、一方的に約束を取り付けられ、こんなところで会うはめに。道草食ってる暇はねえっつったのに、大事な話があるとかどうとかで押し切られてしまった。
つまり、サボりまがいなことをさせられているのは、こいつのせいであって、俺は被害者なのだ。上司は怒鳴る相手を間違えている。
挙句の果てに、30分もの大遅刻。最悪の度を超えている。
すべてはこいつが悪い。
クソデカため息を吐き散らせば、奴は「あ〜」と思い出したように眉尻を滑らせた。
「ごめんごめん。待たせすぎた?」
確信犯め。他人をイラつかせる天才なのか。
「……」
「ごめんて」
「……」
「ちょっと用事が長引いちゃって」
「……カノジョとの別れでも惜しんでたのかよ」
「うーん、まあ、そんなとこ」
「はん、ゴシップもいいとこだな」
「ええ? ゴシップ? どこがだよ」
冗談まじりに探りを入れても、さらりとかわされる。
いけ好かない。食えない。つかめない。
唯一あらわになってる目元は、これみよがしに笑ってる。それだけでも、十分に、うすっぺらいことが伝わってくる。
気味が悪い。
出会ったときからそうだった。
羽をぱたぱたとひらつかせるだけで、身軽に、華麗に、天高く飛び越えてしまう。
羽から舞い広がった妖しい粉に、みんながみんな、やられていた。
世界の中心には、いつも、奴がいた。
今となっては、昔の話だ。
「今さら僕のことなんか誰も気にとめないよ」
「だろうな」
みんな、変わる。変わっていく。
魔法は、解ける。
夢は、覚める。
そういうもんだ。
こいつだけが、ずっと、変わっていないだけ。
正常なのは、きっと、俺たちのほうだ。
「で、何なんだ。わざわざ俺を呼び出したのは」
ブラックコーヒーをふたつ注文したあと、いてもたってもいられず、本題を切り出した。
対峙する双眼に、鋭さが帯びる。けれど、やはり、笑みを保ったままだ。
「今、欲しいものは?」
「は?」
思わず間の抜けた音がこぼれた。
なんつった、今。欲しいもの? 欲しいものだって?
思考回路が働かない俺に、奴はしたり顔で鼻息を吹かせる。くそうざい。
「欲しいものだよ、あるだろ、ひとつやふたつ」
「なに言ってんだ」
いったい何の話をしてるんだ。
何の関係があるっていうんだ。
何が。
何の。
「正直に」
妙な威圧感に、声がひっこんでいく。鳥肌が立った。
やばい。話が通じない。押し通される。
まるごと呑まれていく。
あぁ、こいつは、ほんと。
「……」
「……」
「――お待たせいたしました。ブラックコーヒーでございます」
苦い香りが、嗅覚を呼び起こした。
徐々にほかの感覚も機能し始めていく。二番手に目覚めた視覚に、営業スマイルの店員が留まる。そこだけ切り取れば、なんてことのない日常だった。
俺たちの境界線上にティーカップがふたつ仲良く並べられる。
奴は、カップをひとつ、自分のほうに引き寄せた。不透明な湯気が、阿波踊りしている。
「コーヒーありがとうございます」
「……はあぁ」
湯気を絶つように喉を開けば、店員がびくりと肩をすくませ、そそくさと去っていった。
ブラックコーヒーをひと口飲んだ。舌先が痺れる。そんなこと気にしていられない、ふた口目を流しこんだ。
まだ寒い。ずっと、寒い。
「……俺のこと、どこまで知ってやがる」
「落ちぶれ記者ってことくらい?」
「っくそ」
最悪。
その連鎖だった。
『ティーンナイト』という、その名のとおりティーン向けに発信されているウェブ上のゴシップ誌で、小さなコラムを掲載したことをきっかけに雇われ、早4年。
きらわれることの多い職業だが、俺はまだその境地にすら立てていない。いや、立ちたくもないのだけれど。
特に業績を上げるわけでもなく、生活費ぎりぎりを稼ぎながら、中途半端に記者という立場を続けている。
無防備にさらされたこの首は、常に、狙われている。
「いつ切られてもおかしくないらしいじゃん」
「……はあ、キモ」
「どうも」
崖っぷちの俺の前で、よくもまあ、にこにこ追い詰められるな。
こいつは、ふつうじゃない。
「スクープ。欲しいんだろ?」
だからそっち側にいるんだろう。
「来週には3月か。早いな」
「……」
「実は、僕、3月になったら契約満了なんだよね」
「急になんだよ」
「それを機に引退するつもり」
「だから? んなのスクープになるかよ。さっき自分で言ってたろ」
今となれば、おまえのことなんか誰も気にとめやしない。俺の首と価値は同じさ。
百も承知だと、奴は清々しいまでに首肯した。
「ちがうよ、スクープは別にある」
「なに」
「僕の引退する日、それは起こるんだ」
「は……?」
卓上に1枚の紙を出された。どこかの地図が書かれてある。
「当日、ここに行くといいよ」
赤く星印がつけられた真ん中を指さした。
そこは、アイトウプロダクション。こいつも所属している、言わずと知れた大手芸能事務所だ。
「こんなとこ行って何があんだよ」
「とある記者会見。記者もまあまあな数が集まると思うよ」
「記者会見?」
「最近の中じゃ一番のエンタメになるんじゃないかって、みんな期待してる」
呆れた。こいつ、スクープの意味を知らねぇんじゃないか? これじゃあただのおこぼれじゃねぇか。
うんざりと睨めば、案の定、奴の目が光った。
「朗報とは限らないのにね」
ぽつり。いまだカフェインを摂取していないはずの、その独白に、わずかな毒々しさが匂った。
「ほかが油断しているうちに、君のとこは号外を出せる手筈を整えておいたほうがいい」
「え、は?」
「ポップの欠けらもない、至ってシリアスなニュースになるだろうから」
ぞくっとした。全身真っ黒なせいか、奴の笑顔も黒く見えた。
「な、なにを……おまえ、なにを知って……」
「あ」
わざとらしく遮って、奴は腕時計を見やった。
「僕そろそろ行かなきゃ」
「は!?」
「仕事、がんばって」
「お、おい! ま、まだ話は……!」
聞きたいことは、知らなきゃいけないことは、まだ山ほどあるのに。
一切聞く耳を持たず、奴は席を立った。
「じゃ、バイバイ」
淡白な別れの挨拶。またすぐに会うはめになるかのような。あるいは、どうでもいいものを捨て置いていくような。
余韻も何も残さず、どこか楽しげにスーツケースを引きずって行った。
うちの上司と同じやり口じゃねぇか……。
また空になった目の前の椅子を、蹴り飛ばした。ガン! と跳ね、テーブルにぶつかる。他人の目なんかもうどうだっていい。
口もつけなかった奴のカップが、揺さぶられた。汁が地図に飛びそうになり、あわてて守りに入る。
地図は汚れずに済んだ。ほっとした。そんな自分に嫌気がさした。
……最悪だ。
コーヒーとともに運ばれた伝票が、知らぬ間になくなっていたことに気づいた。舌打ちしてもおさまらず、身体のどこかがずっと急いていた。
残りのコーヒーを一気に飲みこんだ。
ぬるい。うまくない。でも、まずくはない。
俺は仕方なくB5のノートにペンを走らせた。




