朝靄
新宿区に、テレビ局に似た形のビルがある。人材ヒットメーカーとして有名な芸能事務所、アイトウエンターテインメントの本社だ。
俺が『オンステージ 2nd』で成功していれば、世話になっていたであろうその場所に、さながら敵役として訪れた。
よどんだ空気に満ちていた。
24時間明るく点灯された裏で、灰のかぶった商売が忙しなくうごめいている。疲労、嘲り、愛想の循環。きれいなものはどこにも見えない。
息がしづらい。吸っても吐いても、胸のあたりに気持ち悪さが残る。
エントランスは吹き抜け、ガラス張り、開閉する頻度の高い自動ドアの出入口がそろっているわりに、換気がうまくできていないようだ。
目には見えない汚れを振り払うように、社員らしき人々が財布片手に外へ出て行く。
そろそろランチの時間だ。
建物内にも食堂があり、安くてうまいで有名であるにもかかわらず、ここから抜け出す人はあとを絶たない。
反対に、意気込んで中へ進んでいく猛者も、やけに大勢いる。
ここにだけピンポイントで低気圧が襲いかかっているような、何とも言えぬ苦しさが癖になっている変人ばかりだった。
口角をひくひく上げながら、カメラを大事に抱えている。
目指す先は、全員一緒だった。
『記者会見会場』
その立て看板の示す一室へ、人の波が流れていく。
アイドルのライブ前のように騒々しい。
俺は思わず、波の真ん中で足を止めた。邪魔だと言わんばかりに肩をぶつけられ、足を踏まれ、ふらつきながらなんとか壁沿いに逸れていく。
深呼吸しても、臓器に負荷がかかる一方だった。
俺以上に具合が悪そうな奴、ほかにいるか? いねえよ。
緊張なんてもんじゃない。汗も震えも止まらない。周りとの温度差で、本当に熱が出そうだった。
――スクープ。欲しいんだろ?
あいつの手のひらの上で、俺は踊るしかなかった。
これに俺の人生がかかっている。
一歩間違えたら、俺の首は飛ぶだろう。
でももし、一発逆転できたなら。
人生を変えられる。
『オンステージ 2nd』以来の大勝負だ。
この日のために、すぐに号外を出せる手筈を整えてきた。
まずはここで出た話題を、俺がメモがてら逐一メッセージで送信。写真のデータも忘れずに共有する。それを一個下の後輩が記事に起こす。そして、SNSをジャックし、どこよりも早く速報を流すのだ。
会見内容が何かも知らないのに、我ながらよくがんばったと思う。
一応上司にも話をとおしてあるが、一切の責任は負わないと見限られた。
中身のわからないびっくり箱に、わざわざ頭から突っこむ奴の気が知れないのだろう。俺も同感だ。本当はこんな確証のない話からさっさと下りてしまいたい。あいつが関わっているならなおさらだ。
だが、あいつから逃げるのは、もっといやだ。俺のプライドが許さない。
やるしかないのだ。
いくら上司にチクチク噛みつかれようと、号外というイレギュラー対応に追われ残業が続こうと、俺の意志は変わらなかった。
「あら、霧矢くん? 霧矢勇くんよね?」
波のピークが過ぎたころ、気配を殺していた俺に、黒光りしたピンヒールが音を鳴らして近づいてきた。
「ひさしぶりね。オーディション以来かしら」
「都さん!」
4年前と変わらない顔に、驚きの声を上げつつも、表情がほぐれていくのが自分でもわかった。
黒のジャケットとパンツを着て仕事モード全開の彼女は、昔から短かった髪をさらに短く切りそろえ、少年のような爽快さを香らせている。
「俺のこと……憶えてたんすね」
「当たり前じゃない」
やさしい人だ。
オーディション中も、参加者一人ひとりに挨拶や声かけはもちろん、ヘルスケアがてら定期的に面談の時間を取ってくれたり、スケジュールを調整して長めにリハーサルさせてくれたり、何かと面倒を見てくれていた。
俺にとって彼女は、この業界で唯一の良心だった。
「都さんはどうしてここに?」
「ここのセッティングを任されているの」
ほら、と首から提げているスタッフのカードを見せられた。
そうだ、彼女はテレビ局ではなくこの事務所の人間だった。
会見内容についてヒントのひとつやふたつ教えてくれやしないだろうか。かまをかけてみようと一歩詰め寄ったと同時に、彼女は大げさなほど息をついた。
「でもよかった、今日来てくれて」
「……え?」
心臓がドキリとざわついた。いやな感覚だった。
「……もしかして、今日俺が来ること……」
「ええ、知ってたわよ。風のうわさでね」
あいつだ。
あいつ以外考えられない。
そういえば先週、待ち合わせ場所に来る前に、カノジョに会ってきたとかなんとか言っていた。
まさか。
よくよく思い返してみれば、オーディション中の面談では、あいつのときだけやたら時間がかかっていた気がする。
番組の鉄則その1、恋愛禁止。だけど今はどうだ? そんな縛りは無いに等しい。
もう、そうとしか考えられなかった。
「タイヨウと、デキてるんすか……?」
おそるおそる事実確認をしてみれば、間の抜けた笑いが返ってきた。
「ふっ、あははは! 急に何? 笑わせないでよ」
「お、俺は真面目です!」
「何がどうなってその推理に行き着いたのかわからないけれど、残念、ハズレよ記者さん」
ハズレ? 本当に?
俺の脳内では、パズルのピースがぴったりと合わさっているのに。
じゃあこの違和感は何だ。何がちがう?
「ぜったいにありえないわ。だって――」
笑いすぎてあふれた涙を拭いながら、芯のとおった声をひそめていく。
「――私が唯一知っている、その名前の男は、もうこの世にはいないもの」
たとえまだいたとしても、ありえない話に変わりはないけどね。と、もっともらしく補足されたところで、何ひとつ理解できない。
この人は何を言っているんだろう。
「ぶ、ブラックジョーク? それこそ笑えないっすよ……」
「さあ、どうでしょうね」
なぜいちいち含みを持たせるのか。試されているようで癪に障る。
こんな意地の悪い人だっただろうか。もっと親身に寄り添ってくれる人ではなかったか。
完成したと思っていたパズルが、たちまち崩れていく。
赤いルージュの光る不敵な微笑みは、最後に見たあいつの表情とどこか似ている気がした。
「――これはいったいどういうことだ!!」
突然、激昂した叫び声が、会場を震撼させた。突風のように廊下を突き抜ける。
一瞬にして辺りは混沌と化した。
聞き覚えのある声だった。感情任せでわかりづらいが、声質はうちの上司とは比べものにならないほど耳障りよく感じた。あれは誰の声だったか、思い出している間に、彼女が取ってつけたように急かし出す。
「そろそろ記者会見が始まるわ。いい席を取っておいたから早く行きなさい」
言われてみれば、たしかに開始まで2分を切っている。
背中を押されるがまま、中へ入ると、用意された席はほとんど埋まっていた。
案内されたのは、最前列の端の席だった。その椅子にだけ「スタッフ」と書かれた白い紙が貼ってある。
「俺、予約とかしてないんすけど」
「気にしないで。昔のよしみよ」
彼女はその紙をはがすと、元いた場所へさっさと戻ってしまった。
ほかにいい席もないし、仕方なくそこに座ると、同業者からじろじろと白い目で見られる。
俺だって特別待遇されたいわけじゃねえのに。よけいな気をまわしやがって。どうせこれもあいつの仕業だろ。一周まわっていじめみたいなことをする奴、ほかにいない。
やっぱりあのふたりはつながっているんだ。そうにちがいない。
別にいいさ。全部利用してやる。
俺は、ここで、勝ち組になるのだ。
地を弾く革靴の音がした。
四方八方からシャッター音が鳴り始める。
視界を妨げる強力なフラッシュが、4つの影を浮き彫りにさせた。
人気アイドルの『GaoR』だ。4人とも喪服のような黒のスーツで身を包み、メンバーカラーの装飾を輝かせている。
彼らとは、一度、会ったことがある。
『オンステージ 2nd』の最終回のとき、嫌々行ったコスモシアターで挨拶をした。会釈しただけとも言うが。
あのとき指定された席は対角線沿いで、かなり遠かったけれど、なぜだろう、最前列で向かい合っている今のほうがはるかに距離を感じる。
「皆様、このたびはお集まりいただき、誠にありがとうございます」
彼らはまず深々と礼をとった。
一糸乱れぬ頭の動き。角度もタイミングもまったく同じで、危うく拍手しそうになる。
「皆様へお伝えしたいことがあります」
ごくりと生唾を飲んだ。カメラをかまえる腕に力が入る。
3度目のオーディションか?
新しいイベントか?
事務所合併か?
エンタメしか能のないライバルたちは、さっきの喧騒などすっかり忘れ、その眼差しに期待だけを閉じこめている。
老眼で気づいていないのだろうか。
いつもはカメラの前に立つと、きれいに花を咲かせる彼らだが、今日は一度も笑顔を見せていない。服の装飾に負けるほど、色のない表情をしている。
俺は勝利を確信した。
「僕たち『GaoR』は、無期限の活動休止をいたします!」
マイクがキンとうなった。
「か、活動休止!?」
「何かのイベントの発表のはずじゃ……?」
「だまされた! これのどこが楽しい話だよ!」
「なんでいきなり……」
想像もしていなかった衝撃に、誰もがシャッターも切れずにどよめいていた。
俺だけはひそかに携帯をいじる余裕があった。
文字を打ってる最中、後輩から通知が来た。ぽんぽんぽん、と立て続けに振動し、興奮が伝わってくる。
『やばいです先輩!』
『これ見てください!』
『会見って、これのことでした!?』
とあるリンク先が貼られてあった。
『ファンの皆様へ、大切なお知らせ』
それはメンバー個人のSNSアカウントから『GaoR』名義で投稿された文書だった。
会見直前に発信されたようだ。
周りもだんだんと気づき始めた。
不穏な沈黙が漂う。
ポップのかけらもない、至ってシリアスなニュース。まさにあいつの言っていたとおりだ。
これから1週間、いやそれ以上、トップニュースとしてメディアを占領することになる。
俺が求めていた景色だ。
喉から手が出るほどに欲しかった、最高のスクープ。
これで明日からも今までどおり生きていける。
なのに素直に喜べない。これが現実だと受け止めきれない。どうしても恐怖に苛まれてしまう。
何もかもうまくいきすぎている。シナリオでもあるのかと疑うほどに。
あいつは、知っていたのだろうか。
知っていたとしたら、どこから、どこまで?
俺がここで、この席で、ネタをつかむことすらも、あいつの筋書きなのか。
でも何のために。
どうして。
あいつは、何者なんだ。
俺がいち早く投じた号外を皮切りに、世間はこの話題で持ち切りになった。
その後、あらゆるメディアが貪るように食いつき、混濁した情報にもまれていった。
その傍ら、一世を風靡した芸能人がひとり、引退を表明したことなど、誰も知らないだろう。




