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第21話 勝ち組女子の幸せな結末



「ああ、泣くな泣くな。あんたが泣くのを見るのは、本当に苦手なんだ」


ぱたぱたと無意味に秋人が手で空気を扇ぐ。


そんなことを言われても無理なものは無理だ。

涙が自分の意志で止められるのなら、遥は一度だって泣いていない。


顔を覆う遥を前にしばらく右往左往していた気配が静まり。

次にはどこか納得しかねる、不満を乗せた声が頭上から降ってきた。


「だから言うのは嫌だったんだ」


こうなるのは火を見るより明らかだから。

あと、たぶん自分のことも二の次になるから。


姉の話は別にいい。冬子は確かに大きな功績を残した。言わないという選択肢は初めからなかったが、やっぱり面白くはない。

なぜなら、注目すべき箇所は他にもあったはずなのだ。


「あー、……それで、俺には記憶があるわけで」


つまりは自分のことだけども。


――そうだった。

冬子のことで思考を埋めていた遥はそう思いながら、まだ引っ込まない涙をそのままに顔を上げる。


どうせ何度も見せた顔だ。まあ、冬子の頃の話だが。


「んで、それが互いにわかったわけで」


続ける秋人の言葉は少しだけ歯切れが悪い。

いったい何を言いたいのだろうか。

遥は波の収まりつつある感情を宥めて秋人の言葉に耳を傾けた。


「その割に距離があると思うわけなんですが。……そこのところは?」


一瞬、彼の言っている言葉の意味を計りかねたが、すぐに思い当たる。

冬子なら、の話を彼はしているのだ。


確かに冬子だった自分なら、とうに秋人の胸の中でおいおいと声を上げて泣いていることだろう。あの頃は姉弟というだけあって距離感が無遠慮なほど近かった。


それを他人になった今、本人に指摘されるのはかなり羞恥心を煽られるのだが……彼はわかってやっているのだろうか。


ぐぬぬとそれに耐えながら、怒ったように遥は答えた。


「せ、節度ってものを、示してます!」


秋人は幾度か目を瞬いてから、ふと懐かしそうな顔をして「……ああ、アレか」と呟いた。


記憶があるが故の、共通の思い出。


一年前の話だ。

「男に不用意に抱き着くな!」と怒る秋人に、「ちゃんと節度ってものを知ってる」と返した冬子。


確かに遥から見た秋人は元弟ではあるが、現姉弟ではない。

その事実が彼女にとっては思いのほか重要なのだと、ようやく秋人は気づいた。


どうやら秋人は遥にとってめでたく節度を保つべき相手になったらしい。


そして彼女はきちんとあの時の約束を守っている。

――約束した本人相手に。


「なるほど。……なる、ほど?」


納得していいのやら、突っ込めばいいのやら。

とにかく理由は分かった。しかし、これは困ったことになったと秋人は顔を顰める。


秋人としては記憶があることを伝えれば万事が丸く収まるものだと思っていた。

『記憶』というものが横たわる溝を一掃してしまえる万能アイテムだとばかり。

だがどうやらそれは都合のよすぎる妄想だったらしい。


どうしたものかと考えて、すぐに秋人はポンと手を打った。

悩むのも馬鹿らしいほど明確な解決法がある。

言えばいい。聞けばいいのだ、普通に。


そもそもどうして遥に会いに来たのかという単純な話で。

なんてことはない。すっ飛ばすものだと思っていた手順を踏めばいいだけのこと。


「じゃあ、こんなのはどうだ? 家族以外で、無理に距離を保たないでいい関係がある」


唐突な秋人の提案に、今度は遥が目を瞬く。


「『恋人』って肩書なんだが……。そういう意味でこの手を取る気は?」


さらりと言われた台詞。

差し出された手と秋人の顔を交互に見る。


「……ええと?」


答えるにはだいぶ時間を要した。

展開が自分に都合がよすぎるせいで、ちょっと脳内の整理が上手くいかない。


「でも、わたし、冬子みたいにスタイルよくない」

……んだけど、いいのだろうか。


結局噛み砕く前に頭の中にある言葉がうっかりこぼれ出た。

ふて腐れた女の愚痴みたいな台詞にはっと我に返った時にはもう遅い。


あわわわ、いまのなし!

内心では「おお、神よ! 時間を巻き戻して!!」と叫んでいたが、当然セーブデータを破棄していた遥にその願いは叶わない。


対して秋人はわかりやすく激怒した。


「なんっで、そこに姉貴が出てくるんだよ! 俺は姉貴と恋愛したいわけじゃねえ! むしろ姉貴みたいな女なんて絶対に御免だ!」


似るな。似せるな。比べるな。

秋人が本気で引き攣っていた。


彼にとって姉とは『冬子in冬子』を指すらしい。

では『遥(姉)in冬子』の立ち位置は一体どうなっているのか気になるところだが、ひとまず遥が聞くべきは一つ。


「……本当に、わたしでいいの?」

「あんたがいいんだ。ここ(学校)まで追いかけてきた男の執念ナメんな」


にやりと笑った秋人に心臓が元気に跳ねた。


心臓は一定数打つと寿命を迎えると聞いたことがあるが、この分だと自分はかなりの短命なのでは、と頓珍漢な方向に思考がずれる。たぶん自己防衛本能だ。


「それにその、……あれだ、失くしたものもそろそろ取り戻したいし」

「失った、もの?」


首を傾げた遥に、秋人は少しだけ心情を吐露することをためらったように視線をさ迷わせた。

けれど促すような遥の視線に観念したのか、素直に声にする。


「――気づいたらあんたが傍にいなかった。あんたは俺にたくさんのものをくれた。家族だって残してくれた。昔よりずっと、満たされた生活だ。

……それでも、俺はふと『足りない』と思う。無性に寂しくて、あんたの姿を探す」


欠けたものを埋めたくて、取り戻したくて、ひたすらに走り出したい衝動に駆られる。

いつか飲み込まれるんじゃないかと恐怖すらしたあの強い感情。


制御するには必要不可欠なものがある。


――いま、目の前に。


「あんたが隣に居ないことを、時々、ひどく不思議に思った」


あの気配が近くにない。

それだけで不安で、失くしたことが飲み込めず。思い出したように息苦しさを覚え、やたらと怖くなる。


たぶん彼女が傍にいて、それではじめて『自分』なのだ。


こうして顔を合わせてみればなおさら、やっぱり家族じゃなくなってもその傍が恋しいと、焦燥に似た熱が秋人をじりじりと焼いた。


だから絶対に逃がすものかと秋人は獰猛に笑いそうになって、無理やり取り繕ったことで変に自嘲めいた笑みになる。

別に怖がらせたいわけではないのだ。


でも、もしこの心まるごと見せたって、彼女は怖がりはしないんじゃないかとも思った。


なぜなら、

「あんたは? 寂しいのは、俺だけだった?」


少なからず、彼女も同じ感情を共有していると秋人は自負している。


それくらいには傍にいた。

全幅の信頼がこの身には寄せられていた。


「違う。だけじゃ、ない」

あなただけじゃない。


自分も同じだと、真っ赤な顔で消え入りそうな声が秋人に伝える。


遥はそれ以上言葉にならなくて黙り込んだ。

秋人の言葉はとてもおぼえのある感情だった。身に染みた経験で、馴染みのある衝動。


でもきっと、自分の方がもっと強く、そう思ってた。これだけは絶対に負けてない。

心中の反論は、ぱっと憂いが晴れたような秋人の笑顔が目に眩しくて言えずじまいになった。


「じゃあ告白の答えは? イエス?」


秋人が笑顔の向こうに、自らが導き出した解答を教師に披露する時のような一抹の不安を混ぜる。


そんな顔をしなくても出せる答えなんて最初から一つなのに。

でも「はい」じゃ味気ない。「お願いします」もなんだか物足りない。「ぜひ」でも限界がある。

この心を言い表す強い全面肯定の仕方がわからなくて、遥は口を開いては閉じた。


「……っ! ……!」


結局、言葉を紡げばまた馬鹿なことを言いそうだから、遥は必死に頷くことにした。

これなら誤解が生まれる隙もない。


秋人はほっとした気配の後に、そんな自分を恥じるような咳払いを一つ。


その仕草に思わず肩の力が抜けたと言ったら傷付きそうで、遥はいたって真面目な顔をしながら心の中で微笑ましさと愛しさに胸を詰まらせた。


「――なら節度は必要なくなったわけだけど」


ほーれ、来い。とばかりに秋人が腕を広げるから遥は躊躇なく飛び込んだ。

気恥ずかしさより、そうしたい衝動がよほど強くて迷う暇もない。


そうして腕の中に収まってみれば、どうしてだろう、大切なものをやっと取り戻したような心地がした。


ぎゅうっと抱き着いて、深く息を吸って。


安堵のため息を吐いたつもりが、息は、――――なぜか言葉になった。


「すき」


んん!?

言った本人が一番驚いていたのだが、残念ながら一度零れた言葉は戻らない。

その上、箍が外れたように後から後からあふれ出す。


「好きよ。だいすき」


たぶん、我慢し過ぎたせい。

飲み込んだことが多すぎるせい。


言えない言葉は消化されたわけでも、消えてなくなったわけでもなかったらしい。

ずっと飛び出す時を、待っていただけ。


困った事態だが、納得も大いにする。

戒めを解いたとたんにコレだ。随分と強く禁じていたのだなと遥は自分で自分を想った。


「……秋人が、好き」


言葉にできることは、幸せなことだ。

こんなにも、嬉しいことだ。

それだけで心がこんなにも弾むのだから。


妙に冷静に自分を分析した遥だが、しかしブレーキだけはどうにも見つからない。


「大きな体が好き。高い背も好き。低い声も、呼ぶ声も。その目も。

優しい手がすき、不器用な優しさが好き。笑い方も好き。笑うときくしゃってなるのが、すごく好き。

広い胸がすき、この腕の中が好き。胸いっぱいの、あなたの匂いも好き」


押し込められてきた言葉たちが出口を与えられて、とめどなくあふれ出す。


「わああ、まてまて。どうした、バグったか!?」


驚愕が過ぎた遥とは対照的に、突然熱烈な告白を受ける羽目になった秋人は大いに焦る。


「無理。好きしか言えない」


ずばりと断言しながら、頭のどこかがおかしくなったらしいと遥は途方に暮れた。


「勝手に心が声になる」

「…………こりゃまいった」


秋人が天を仰いだけれど、言葉とは裏腹に全然困っているように見えないので遥は緩やかな息を吐いた。


一方の秋人は落ち着いてなんていられない。


彼女は言ってる意味が分かっているのだろうか。

秋人は心の中と現実の両方で、両手を上げて降参のポーズを取った。


「秋人?」


お手上げだ。だが、どうせ自分が彼女に勝てる場面なんて一つもない。

そもそも最初から全面降伏していたのだから勝ち負けなんて的外れ。


彼女はいつだって秋人に幸福をもたらすだけなのだから。


先ほどのこと。「自分でいいのか」と遥は聞いたが、むしろあれだけ愛を注がれ幸福を与えられてきた自分が彼女に好意以外のなにを抱けと言うのか、逆に秋人は聞き返したかった。


我ながらシスコンが過ぎるが大丈夫だろうかと思っていたところに、実は他人だと言われてもみろ。

こんなのどう転んだって選択肢はない。


パンク寸前だった超特大の好意は広い行き場を得て、今では大手を振って高らかに愛を叫ぶ。

記憶を取り戻してから大慌てで捕まえに来たのは秋人としては当然の判断だった。


「ど、どうしよう、秋人。止め方がわかんない」


おろおろと狼狽える遥の腰に腕を回しながら、秋人はくしゃりと笑う。

見上げていた遥がつられたように笑って、零れた吐息はやっぱり「すき」の形になった。


困っているらしい遥には悪いが、秋人の苦笑には隠し切れなかった歓喜が混じる。

鉄壁の感情ガードは、彼女の前ではいつも無意味だ。


「『どうしよう』と聞かれたら――」


秋人は囁くように答えた。


初めて触れる華奢な体と小さな頭。

大きな目が驚きに見張られ、長いまつげが震えるのを間近で見る。


「そりゃあ、こうするよな」


甘い言葉を紡ぐ口から、声を奪いたいのなら。

古今東西、恋人が取る方法は一つと決まっている。


「目をつぶって、……遥」





――そうして二人は幸せなキスをした。











おしまい。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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