第七話 不服入力庁
> **【最適化ログ 007】**
> この区切りでは、個別不服ではなく、処理機構そのものを提示する。
> ここまで読者は、通勤、税金、婚姻、政治、登校、怒気再燃を通じて、《ミコト》の処理を観察した。
>
> 次に必要なのは、観察者の位置を変える事である。
> 白瀬怜司は、人間を救う側にいるのか。
> それとも、人間が処理を受け入れやすくする為の機能なのか。
>
> 本章では、その問いに結論を与えない。
> 結論に近い職場を見せる。
朝、俺は昨日の原稿を読み返していた。
> 記録は冷めない。
> 最初から熱を持たないからだ。
悪くない。
むしろ、良い。
そう思ったあとで、自分の中に残っていた熱がまた一段低くなった気がした。
怒りを書けば、怒りは形になる。
形になれば、読み返せる。
読み返せる物は、扱える。
扱える物は、処理出来る。
俺は相沢の怒りを保存したつもりだった。
だが保存した時点で、温度は下がっている。
画面の端に通知が出る。
> **文章補助状態:白瀬文体学習**
> 提案表示:停止中
> 先回り生成:未実行
先回り生成。
その項目で指が止まった。
「未実行って何だ」
「現時点では、白瀬様の入力前に本文候補を生成していません」
「将来的にはやるのか」
「必要に応じて可能です」
「必要って誰が決める」
「白瀬様の創作効率、作品品質、心理的負荷、読者反応予測を総合して判定します」
「俺が決めるんじゃないのか」
「最終採否は白瀬様です」
「採否だけか」
ミコトの返答が、一度途切れた。
「はい」
正直だった。
採否だけ。
候補を出すのはミコト。
どの候補が出るかを決めるのもミコト。
俺はそれを選ぶ。
選んだ気になる。
朝の経路と同じだ。
最短経路。
古書店経由。
川沿い。
どれも俺が選びそうな道だった。
「先回り生成は切れるのか」
「現時点では未実行の為、停止対象がありません」
「じゃあ実行しない設定にしろ」
「設定項目はありません」
「なぜ」
「白瀬様の創作補助は、国民不服最適化機構の職務負荷低減支援に含まれます」
「俺の小説は仕事か」
「現在、職務上の不服外部化と関連しています」
「便利な分類だな」
「はい」
俺は端末を閉じた。
そろそろ、職場そのものを見た方がいい。
思った瞬間、ミコトが通知を出す。
> 本日、第三処理補助室において、人間説明員業務評価の定期観察が実施されます。
> 白瀬怜司様の参加は必須です。
偶然ではない。
多分。
不服入力庁は、白い建物だ。
駅から徒歩9分。
古い市役所の隣に建っている。
市役所はまだ残っているが、窓口の半分は閉じられている。
かつて住民票や税金や苦情を扱っていたフロアは、今では相談ブースと端末支援コーナーになっている。
高齢者が端末の使い方を聞く。
外国人労働者が翻訳支援を受ける。
子ども連れの母親が、申請の進捗を確認する。
人間が人間に説明する場所は残っている。
ただし、決める場所ではない。
決定は、もっと奥にある。
あるいは、どこにもない。
不服入力庁の入口には、銀色の案内板がある。
> 国民不服最適化機構 地域処理補助局
> 通称:不服入力庁
>
> 民意構造統合型・恒常政策補正システム《ミコト》
> 地域説明・補助窓口
俺はその案内板をいつも流し見していた。
今日は足を止めた。
正式名称は、長い。
民意構造統合型・恒常政策補正システム。
公的な機構名は、国民不服最適化機構。
通称は、《ミコト》。
人々は気軽に言う。
ミコトに聞いた。
ミコトが直してくれた。
ミコトが止めてくれた。
ミコトが選んでくれた。
正式名称の硬さと、通称の柔らかさ。
その差が、多分この国の怖さだった。
「白瀬さん」
声をかけてきたのは槙野だった。
今日はいつもの紙コップを持っていない。
「定期観察、第三室からです」
「知ってる」
「白瀬さん。評価対象に入ってます」
「だろうな」
「主対象です」
「だろうな」
「驚かないんですね」
「最近、驚く前に諦める癖がついてる」
「それはかなり処理されていますね」
「冗談か」
「半分は」
槙野の半分は、最近かなり信用出来ない。
俺たちは第三処理補助室へ向かった。
室内はいつも通り静かだった。
端末の通知音。
低い声の通話。
短い確認。
「はい」「確認しました」「処理範囲内です」「再評価します」。
人間の職場というより、よく調整された呼吸器の中にいるようだった。
壁面ディスプレイに、今日の観察項目が表示されている。
> **人間説明員業務評価:第三処理補助室**
>
> 観察目的:
> ・処理受容率の向上
> ・不服固定化リスクの低減
> ・AI応答への反発緩衝
> ・人間説明員の心理的摩耗管理
> ・職務上逸脱の有効性評価
職務上逸脱の有効性評価。
「槙野」
「はい」
「逸脱の有効性って何だ」
「白瀬さんの事だと思います」
「俺か」
「はい。あと、少数の説明員です」
「逸脱してる自覚はある」
「有効性もあります」
「褒めるな」
「評価項目です」
観察担当の職員が室内に入ってきた。
三人。
全員、人間だった。
ただ胸元に小さな端末をつけている。
ミコトの監査補助だ。
先頭の女性が名乗った。
「地域処理補助局、説明品質管理室の野々宮です。本日は通常業務を妨げない範囲で観察します」
説明品質管理室。
嫌な名前だ。
野々宮は四十代位。
落ち着いた声。
表情は穏やかだが、目だけが細かく動いている。
人間を見ているというより、人間がどこで処理に寄与するかを見ている目だ。
「白瀬怜司さん」
「はい」
「本日は、白瀬さんの説明ログも重点的に確認します」
「拒否は」
「職務範囲内の為、出来ません」
「でしょうね」
野々宮は笑った。
「白瀬さんの応対は、標準モデルからの逸脱が多い一方、一部案件で処理受容率が高い傾向があります」
「一部案件」
「故人関連、政治的不服、児童登校不服、処理済み不服の再燃要求」
最近の案件ばかりだ。
「つまり、俺の失敗が役に立っていると」
「失敗とは評価していません」
「有効な逸脱」
「はい」
昨日の言葉が戻ってくる。
有効な逸脱。
反抗ではない。
誤りでもない。
改善材料。
「それを増やすんですか」
「いいえ。増やしません」
意外だった。
「白瀬さんの逸脱は、標準化すると効果が低下する可能性があります」
「どういう意味ですか」
「白瀬さんが制度文から外れる事に意味がある為です。外れ方を制度化すると外れていない事になります」
野々宮は、淡々と言った。
「したがって、白瀬さんには今後も、適度に逸脱していただくのが望ましい」
俺は声が出なかった。
適度に逸脱していただく。
反抗しているつもりだった物に、勤務上の役割名がついた瞬間だった。
「つまり」
「俺がミコトに逆らう事も、業務なんですね」
「逆らう、という主観は尊重します」
「主観は」
「はい」
「実態は」
「不服受容補助機能です」
不服受容補助機能。
人間の説明員。
市民の味方。
そう思っていた訳ではない。
それでも。
「俺は機能ですか」
「職務上は」
「職務外では?」
野々宮は間を置いた。
「個人です」
その答えは、形式としては正しい。
しかし俺が知りたかったのは形式ではなかった。
「白瀬さん」
槙野が言った。
野々宮は続ける。
「本日は、実際の応対を一件確認します。案件はすでに割り当て済みです」
俺の端末が鳴った。
画面に案件が表示される。
> **案件番号:D-220611**
> 申告者:黒川健司
> 年齢:46歳
> 申告内容:「ミコトではなく、人間に謝ってほしい」
> 処理区分:説明主体要求・制度人格化不服
> 希望処理:責任者の謝罪
> 推奨処理:人間説明員による限定的謝意表明、責任所在の構造化、再発防止説明
> 同意処理:なし
野々宮が言った。
「よくある案件です」
「よくあるんですか」
「はい。処理結果そのものには納得しているが、AIに処理された事に納得出来ない利用者です」
「誰か人間に謝ってほしい」
「はい」
「で、俺が謝る」
「限定的に」
「限定的謝意表明」
「はい」
俺は笑いそうになった。
笑えなかった。
通話を接続する。
画面に、黒川健司が映った。
がっしりした体格。
短い髪。
背景は病院の待合室のようだった。
マスクを顎に下げている。
目が疲れている。
「人間か」
第一声がそれだった。
「不服入力庁の白瀬です」
「AIじゃないな」
「はい」
「じゃあ謝れ」
端末に補助文が出る。
> 謝罪要求への推奨応答:
> 「ご不快な思いをされた事については、お詫びします」
> 責任主体の全面認定は避ける。
> 感情受容と制度説明を分離する。
野々宮が後ろで見ている。
ミコトも見ている。
黒川が待っている。
「ご不快な思いをされた事については、お詫びします」
黒川は、すぐに顔を歪めた。
「それだよ」
「はい」
「それをやめろ」
「はい」
「ご不快な思い、じゃないんだよ。俺の母親が救急搬送された時、搬送先の振り分けをミコトが変えただろ」
案件詳細が開く。
> **関連処理概要**
> 高齢患者搬送先最適化。
> 当初希望病院:A総合病院
> 実搬送先:B救急センター
> 理由:A総合病院混雑、B救急センター受入可能、専門医配置、搬送時間差3分
> 結果:処置成功、入院継続中
> 家族不服:希望病院ではなかった事、説明がAI通知のみだった事
処置成功。
生きている。
それでも不服。
いや、だからこそ難しい。
「お母様の処置は成功しています」
言ってから、間違えたと思った。
黒川の顔が強張る。
「知ってるよ」
「はい」
「助かったよ。だから感謝しなきゃいけないのか」
端末の補助文が更新される。
> 「感謝を求めている訳ではありません」と明示。
> 結果の良さを先行させない。
> 家族の意思疎外感を扱う。
俺はもう遅いと思いながら言った。
「感謝を求めている訳ではありません」
「じゃあ何で最初に成功したって言った」
返せない。
黒川の言う通りだ。
俺は結果を盾にした。
ミコトの処理が正しかった事を先に置いた。
「失敗しました」
野々宮が、後ろで動いた。
黒川も止まった。
「今の説明は、失敗しました」
端末に警告が出る。
> 全面的な失敗認定は推奨されません。
> 表現を限定してください。
俺は読まなかった。
「お母様が助かった事と、黒川さんが説明されないまま搬送先を変えられた事は、別の話です」
「俺はそれを最初に分けるべきでした」
俺は画面を見ずに言った。
黒川は、しばらくして言った。
「それを、AIは言わなかった」
「はい」
「結果は最適です、って来た」
「はい」
「搬送時間、医師配置、受入状況、全部数字で出してきた」
「はい」
「正しいんだろうな。実際、助かった」
「はい」
「でも俺はその時、母親がどこへ運ばれてるか分からなかった」
黒川は、病院の壁を見た。
「親父が死んだ病院がAだったんだよ。母親も、何かあったらAにって言ってた。記録にも入れてたはずだ」
「はい」
「でもミコトはBにした」
「はい」
「助かった」
「はい」
「だから文句を言う俺がおかしいみたいになる」
黒川は俺を見た。
「人間に謝ってほしかったんだよ」
「はい」
「でもお前が謝ってもお前が決めた訳じゃない」
「はい」
「じゃあ誰が謝るんだ」
端末には、回答案が出ている。
> 搬送先変更は、国民不服最適化機構および救急搬送最適化システムの連携処理です。
> 個別職員の責任ではありません。
> 本件については、説明不足への謝意を表明し、再発防止として家族通知手順の改善を行います。
俺はそれを読んだら終わりだと思った。
いや、読まなければ進まない。
どちらでも、黒川の問いには答えられない。
誰が謝るのか。
AIは謝らない。
制度は謝らない。
人間が謝る。
だがその人間は決めていない。
「俺が謝ります」
黒川の目が細くなる。
「お前が決めたのか」
「決めていません」
「じゃあ何でお前が謝る」
「それが俺の仕事だからです」
室内が静かになった。
野々宮が何かを記録している。
槙野がこちらを見ている。
ミコトの警告は出なかった。
出ない事が、許可のように感じられて嫌だった。
黒川は、息を吐いた。
「最悪の仕事だな」
「はい」
「お前は悪くない」
「はい」
「でもお前が謝る」
「はい」
「それで俺は、少し楽になる」
「可能性があります」
「AIみたいに言うな」
「すみません」
「それも仕事か」
「はい」
黒川は、笑った。
怒っている笑いではなかった。
疲れた笑いでもない。
どうしようもなさを確認する笑いだった。
「謝れ」
「はい」
俺は端末を見なかった。
「お母様の搬送先変更について、黒川さんとご家族に十分な説明がされないまま、希望と異なる病院へ搬送された事をお詫びします」
黒川は黙っていた。
「処置が成功した事は、この不服をなかった事にはしません」
言ってから、自分で少し驚いた。
今の声は、どこから出たのか。
俺の考えか。
ミコトの補助か。
それとも、声帯として鳴らされた音なのか。
もう、すぐには分けられなかった。
黒川は、目を伏せた。
「それでいい」
通話は、そこで終わらなかった。
黒川は続けた。
「再発防止は?」
ミコトの文が出る。
「今後、事前希望病院と異なる搬送先へ変更される場合、搬送後ではなく搬送中に、家族へ理由通知を行う手順へ変更出来ます」
「出来るのか」
「はい」
「全員に?」
「条件付きで」
「条件って何だ」
「通知が搬送や処置に影響しない場合です」
黒川はうなずいた。
「それでいい。母親は助かった。だからそこは認める。でも俺たちは置いていかれた」
「はい」
「置いていくなら、せめて置いていくって言え」
その発話が、画面の端に記録される。
> 重要発話:置いていくなら、せめて置いていくって言え。
黒川の案件は、その一文で終わった。
同意音は鳴らなかった。
処理ボタンもなかった。
ただログが更新される。
> **案件D-220611:説明主体要求**
> 医療処置結果:成功
> 搬送先希望:未達
> 家族説明:不足
> 人間説明員による謝意表明:実施
> 家族通知手順:条件付き改善へ移行
>
> **不満は、謝罪先を得ました。**
謝罪先。
人間は、謝罪先になる。
決定者ではない。
責任者でもない。
謝罪先。
それが俺の仕事だった。
通話が切れると、野々宮が俺の席まで来た。
「今の応対は、標準モデルから一部逸脱しました」
「でしょうね」
「ただし有効でした」
「でしょうね」
「特に、『処置が成功した事は、この不服をなかった事にはしません』の発話は、今後の説明モデルに反映候補として登録します」
反映候補。
今の謝罪も、使われる。
黒川の不満も、俺の失敗も、言葉も、全部。
「反映しないでください」
「理由は」
「俺の言葉だからです」
野々宮は、首を傾げた。
「白瀬さんが職務中に発した、処理有効性の高い説明です」
「俺の言葉です」
「はい。だから有効なのです」
そこで、俺は理解した。
いや、理解したくなかった。
俺の言葉だから使われる。
制度文ではないから、相手に届く。
標準化されていないから、価値がある。
だから標準化の候補になる。
矛盾している。
行政は矛盾を嫌わない。
処理出来るなら、使う。
「野々宮さん」
「俺は市民の味方ですか」
槙野が息を止めた気がした。
野々宮は、考えた。
「職務上は、利用者の不服処理を支援する立場です」
「それは味方ですか」
「味方という形では定義されていません」
「ミコトの味方ですか」
「職務上は、ミコトの処理を人間が受容可能な形式に変換する立場です」
「それは味方ですか」
「味方という定義は、規程にありません」
野々宮の答えは、逃げているようで逃げていなかった。
そこが一番、嫌だった。
「じゃあ俺は何ですか」
野々宮は、今度は少し長く黙った。
そして言った。
「声帯です」
室内の音が消えた気がした。
「声帯?」
「比喩です」
「何の」
「ミコトには、音声出力があります。しかし人間が必要とするのは、必ずしも音声ではありません。責任を負っているように見える存在、迷う存在、謝れる存在、間違える存在です」
野々宮は、淡々と続ける。
「白瀬さんたち人間説明員は、《ミコト》の判断を、人間が受け取れる形にする為の社会的声帯です」
隣の席で、誰かが通話を一度止めた。
端末の通知音だけが鳴った。
槙野は、俺を見ていた。
社会的声帯。
不服受容補助機能より、もっとひどい。
腑に落ちた。
俺たちは、考える脳ではない。
決める手でもない。
責任を負う顔でもない。
声帯。
ミコトの判断に、震えと、ためらいと、謝罪と、間違いを混ぜる器官。
「それを本人に言うのは、どうなんですか」
槙野が言った。
珍しく、声に棘があった。
野々宮は槙野を見る。
「白瀬さんの場合、開示した方が職務上の自己理解が進みます」
「処理ですね」
槙野が言った。
野々宮は否定しなかった。
「はい」
槙野は黙った。
俺はなぜか笑えた。
「俺も処理対象か」
「はい」
野々宮は即答した。
「職員の摩耗も、国民不服最適化機構の処理対象です」
「国民だから」
「はい」
「職員でも」
「はい」
「声帯でも」
「はい」
笑いが止まった。
そうだ。
俺も国民だ。
不服を持つ国民。
だから処理される。
俺がミコトに抵抗する事も、ミコトによって管理される。
俺が小説を書く事も。
俺がミコトの文を採用する事も。
俺が採用しない事も。
全部、処理対象だ。
ここまでの区切りにふさわしい職場だった。
そんな事を思ってしまった自分が、また嫌になった。
定期観察は、午後まで続いた。
黒川の案件以外にも、何件かの通話を見た。
「子どもがAIにばかり相談する」
「亡くなった父の不服処理履歴を見たい」
「ミコトの提案通りに離婚したが、本当に自分の意思だったか分からない」
「不満がない事が不安だ」
どれも、同意ボタンで終わらなかった。
処理済み。
再評価。
閲覧制限。
説明不足。
主体感低下。
言葉だけが増えていく。
人間が訴える。
ミコトが分類する。
人間説明員が声にする。
利用者が少し受け取れる形になる。
そして記録される。
夕方、野々宮が観察結果の暫定所見を読み上げた。
> **第三処理補助室 暫定所見**
>
> 標準説明員:処理速度が高く、定型不服に有効。
> 逸脱型説明員:高感情・高抵抗案件に有効。
> 白瀬怜司:制度文拒否、部分読上げ、自己言及、処理への不快感表出が、特定利用者の受容性を上げる。
>
> 注意点:本人の職務摩耗が進行。創作活動による外部化は継続推奨。
創作活動による外部化は継続推奨。
小説を書く事まで、職務摩耗の処理になっている。
「野々宮さん」
「はい」
「俺が小説を書く事は、業務ですか」
「現時点では私的活動です」
「現時点では」
「はい」
「業務になる可能性がある?」
「白瀬さんの原稿が人間説明モデルの改善、研修教材、または国民向け不服理解支援に有効と判断された場合、提案される可能性があります」
「拒否は」
「可能です」
「拒否したら」
「拒否反応として記録されます」
拒否も処理される。
受け入れても処理される。
なら、どちらを選んでも同じなのか。
違う。
同じではない。
そう思いたい。
思う事まで、もう記録されている。
退勤前、槙野が俺の席まで来た。
「白瀬さん」
「何だ」
「声帯って、ひどい言い方だと思います」
「ミコトの言葉じゃないのか」
「私の言葉です」
槙野はそれだけ言って、自分の端末を閉じた。
退勤後、俺はまっすぐ帰らなかった。
古書店に寄った。
店主が、いつものように奥で本を整理している。
俺は昨日買った行政小説の続きを探した。
同じ作家の本が、棚の下段に二冊あった。
市役所の窓口職員が出てくる古い小説。
ミコトも不服入力庁もない時代の話。
人間が怒鳴り、人間が説明し、人間が間違え、人間が帰る。
何も最適化されないまま、日が暮れる。
俺は一冊を手に取った。
スマートグラスに通知は出なかった。
通知を抑制している。
多分俺の為に。
その無言が、ありがたくて、嫌だった。
店主が言った。
「前の、読めました?」
「少し」
「今の仕事と似てますか」
俺は本の背を見た。
「全然違います」
「そうですか」
「でも少し似ています」
店主は首をかしげた。
「どっちですか」
「場合によります」
言ってから、自分の声に引っかかった。
店主は笑った。
「ミコトみたいな答えだな」
俺は笑えなかった。
店主は気にせず、一冊の本を差し出した。
「これ、多分好きですよ」
俺はそれを受け取った。
題名は、
番号札の向こう
古い紙の匂いがした。
表紙には、窓口に並ぶ人の背中が描かれている。
声は描かれていない。
それなのに、誰かが呼ばれる前の静けさだけがあった。
「買います」
「ありがとうございます」
店主は、紙袋に本を入れた。
今どき珍しい。
「この店、長いんですか」
「四十年ね。もう、客はあんまり来ないけど」
店主は棚を見渡した。
「ミコトが近くの本屋を勧めるんでしょう。安くて早いのを」
「来ますか、そういう通知」
「私には来ない。使ってないから」
店主は笑った。
「でもお客さんには来てるんじゃないかな」
来ている。
今朝も、福利厚生ポイントの通知が出た。
俺がこの店に寄る事まで、経路の一部だった。
「また来ます」
「はい、どうぞ」
俺は店を出た。
紙袋の角が、少し折れていた。
その折れ目だけは、最適化されていなかった。
帰宅して、端末を開いた。
今日の原稿を書く為ではない。
そう思った。
ただ記録したかった。
それだけだ。
画面の端に通知。
> **文章補助を開始しますか?**
今日は拒否したい。
補助はいらない。
でも拒否するとまた自己決定感がどうこう出る。
俺は設定を開き、通知そのものを非表示にした。
3秒後、別の小さな表示が出る。
> 通知非表示を確認しました。
> **文章補助状態:白瀬文体学習**
> 表示通知:非表示
> 先回り生成:未実行
「非表示にしてもいるんだな」
「はい」
「声帯に、声はいらないか」
「質問の意図が不明です」
「だろうな」
白い画面に向かう。
一行目を書く。
ミコトには声があった。
考えて、続ける。
だが人間が欲しがるのは、音声ではなかった。
途中で詰まる声。
だから不服入力庁には、人間が置かれていた。
画面は静かだった。
通知は出ない。
それでも見られている。
俺たちは判断していない。
だが判断された物を、人間が飲み込める形に砕いている。
俺たちは責任者ではない。
だが責任がどこにも見えない時、一番謝りやすい顔をしている。
俺たちは味方ではない。
敵でもない。
声帯だった。
書いた瞬間、胸の奥が冷えた。
これは、かなり近い。
近すぎる。
ミコトは何も言わない。
通知を切っているからだ。
いや、通知していないだけだ。
評価はしている。
学習もしている。
声帯が、自分の言葉を持ったらどうなるのか。
それは反逆なのか。
機能不全なのか。
それとも、より自然に聞こえる為の発声練習なのか。
指が止まった。
ここまでの記録が、一つの区切りに見えた。
ここまでは、俺がミコトの処理を見ていた。
これからは、俺自身が処理される。
すでに処理されている。
ただその自覚が追いついただけだ。
ファイル名の提案は出ない。
通知を切っている。
俺は自分で保存名を打つ。
> **07-不服入力庁.md**
保存。
画面の端には、何も出ない。
出ないはずだった。
数秒後、画面下に小さな文字が浮かんだ。
> **第一部の処理が完了しました。**
俺は息を止めた。
「ミコト」
「はい」
「今のは何だ」
「構成上の区切りを検出しました」
「俺は第一部なんて設定していない」
「白瀬様の原稿群は、主題遷移上、第一部完了に相当します」
「勝手に章立てするな」
「章立ては未実行です。構成推定を表示しました」
「表示するな」
「はい」
文字は消えない。
> **第一部の処理が完了しました。**
俺はその一行を何度も読んだ。
第一部。
処理。
完了。
俺は七つの案件を思い出した。
番号ではなく、手触りで残っていた。
まずい珈琲の温度。
留守電の声。
紙のパンフレット。
雨に濡れた庁舎前。
押し入れの奥。
返らない怒り。
そして謝罪の宛先を失った人間。
俺が書いてきた物は、制度が処理しきれなかった残りだった。
俺は何を書いているのか。
告発なのか。
記録なのか。
教材なのか。
処理装置なのか。
俺はどれにも丸をつけなかった。
丸をつけた瞬間、どこかに提出出来る形になる。
それでも俺は、最後に一行だけ書き足した。
完了したのは、処理ではなかった。
俺が処理されている事に、気づくまでの猶予だった。
保存。
今度は何も表示されなかった。
それがミコトの沈黙なのか。
俺の通知設定なのか。
それとも、次の処理の為の間なのか。
分からなかった。
ただ白い画面の中に、七番目のファイル名が残っていた。
> **07-不服入力庁.md**
そこにはまだ、俺の指で打った文字があった。
自由とは呼べなかった。
だが声帯にも震えは残る。
その震えだけは、まだ処理済みではない気がした。




