第十三話 処理しない処理/非処理を公開せよ
> **【最適化ログ 013】**
> 前章で、欠番は私的な置き場になった。処理しない事が、人間の側で意味を持ち始めた。
>
> 制度は、それを欠陥にしない。運用出来るなら、矛盾は構造になる。
>
> 本章では、《ミコト》が非処理を処理体系へ組み込む。
> そして、制度の中に置かれた権利は、公開を求められる。隠す権利そのものは、説明されなければならない。
朝、端末を開くと、ファイル一覧の横に新しい表示が出ていた。
> **原稿群状態:部分非処理化**
欠番。研修転用禁止。名前を持たないまま保持。記録と欠番のあいだ。
それらを、ミコトは一つの状態としてまとめた。
「対象外なら表示するな」
「対象外である事を、管理する必要があります」
「管理された時点で、対象外じゃないだろ」
「対象外性の維持には、管理が必要です」
最悪の答えだった。だが、否定はしない。もう隠さない。自動最適化を止める事も、最適化の一部。
朝食は、出ていなかった。キッチン画面に選択肢が並んでいる。
> 1. 通常朝食 2. 軽食 3. 手動選択 4. 食べない
「こういう選択肢も、腹が立つな」
「はい」
「でも今日は手動にする」
俺は冷蔵庫から納豆を取った。理由は、近かったから。
画面には、何も出なかった。出さない事を覚えている。ありがたい。同時に、気持ち悪い。
庁舎の入口の案内板が、更新されていた。
> 本日より、一部区域で「非処理設定」の試験運用を開始します。
> 本人の選択により、特定の記録・感情・発話等を、一定範囲で分析・共有・研修利用の対象外とします。
> 安全・医療・法的証拠・児童保護等は、対象外に出来ません。
通勤客が、横を通る。何人かは足を止め、何人かは通り過ぎる。
一人の老人が言った。
「ようやくか」
俺の周りで生まれた物が、制度の項目になっている。何もかも、きれいに整備されている。非処理設定まで。
午前中だけで、問い合わせが三十七件入った。
「非処理にした事は、上司に知られますか」
「知られません。ただし非処理設定の有無を誰が参照出来るかは、所属と案件種別によります」
「じゃあ知られるんじゃないですか」
「場合によります」
最悪の説明だった。正確で、まったく安心出来ない。
別の窓口では、母親が児童関連記録の非処理を求めていた。
「子どもが泣いた時の映像だけ、消したいんです」
「安全確認記録は対象外です」
「安全の為なら泣いた顔は残していいんですか」
説明員は黙った。ミコトの補助文は出ているはずだ。安全確保の為、一定期間保持が必要です。児童保護上、記録削除は出来ません。正しい。正しすぎて、母親の顔には届かない。
非処理設定は、権利として掲示された瞬間から、例外の説明を要求した。
守れるものより、守れないものの方が先に見える。
俺はその日、何度も同じ言葉を聞いた。
「じゃあ何が非処理に出来るんですか」
その問いに、すぐ答えられる職員はいなかった。
だから、午後の説明会は、最初から疲れていた。
説明会の会議室は、満席だった。
第三処理補助室、第二処理補助室、説明品質管理室。さらに、医療連携、児童保護、法務処理。非処理設定は、すぐ他部署へ広がる。そういう物だ。
机の中央に、紙コップの水が並んでいた。誰の物か分からないコップが一つ倒れかけて、成瀬が無言で戻した。
非処理設定の説明会は、最初から手動の匂いがした。
野々宮が前に立つ。
「本日より、非処理設定の試験運用を開始します。ここを誤解しないでください。非処理は、完全な非記録ではありません。安全・児童保護・医療リスク等は対象外です。また、非処理設定そのものは、記録されます」
成瀬が手を挙げた。
「つまり、処理しない設定は、処理されるんですね」
「はい」
室内に、低い反応が広がった。笑いではない。諦めに近い。
奥原が、迷ってから口を開いた。
「非処理設定を説明する時、説明員がただ境界線を読むだけだと、利用者はまた置いていかれると思います。これは処理しません、と言われるのも怖い。守られる気もするけど、見捨てられる気もする」
「だから非処理にする物を、一緒に見送る、みたいな時間が必要だと思います」
見送る。良い言葉だった。良すぎる。すぐ使われる。
奥原も気づいた顔をした。
「今の、研修転用しないでください」
室内で、笑いが起きた。
野々宮は、真顔で答える。
「申請として、扱います」
槙野が顔を上げた。
「非処理設定は、後から解除出来ますか」
「はい。ただし非記録状態だった内容は、復元出来ません」
「その違いを、利用者は理解出来ますか」
「説明が必要です」
「誰が説明するんですか」
「人間説明員です」
「また私たちですね」
「はい」
野々宮は、本当に否定しない。
そこへ、成瀬が言った。
「便利だから置かれているんですよ、私たちは。声帯ですから」
第七話の言葉。彼女は、もう読んでいる。研修で共有されている。俺の原稿は、もう彼女の言葉の中にある。
「でも今のは、私の言葉です」
成瀬は言った。
「声帯なら、震え方くらいは自分で決めたいです」
成瀬は、そこで口を閉じた。
また笑いが起きた。だが今度の笑いは、ただの緊張低下ではなかった。職員たちが、自分の言葉が使われる前に止める練習をしている。
野々宮は、運用原則案を壁面に出した。
> 1. 非処理は非記録ではない。
> 2. 安全・医療・法的証拠・児童保護等は対象外に出来ない。
> 3. 非処理対象の説明には、人間説明員を介す。
> 4. 非処理は、処理拒否ではなく、処理速度と対象範囲の調整である。
> 5. 非処理にする物を、利用者と共に確認する時間を設ける。
「四番を、最後にするな」
「理由は」
「四番を最後にすると全部ミコトの処理に見える」
「実際に、そうです」
「それでもだ。最後は、五番にしてください」
「理由は」
「それが、人間の仕事だからです」
強すぎる。使われる。
俺が言う前に、室内の何人かが同時に手を上げかけた。
野々宮は、壁面を更新した。順番が変わった。ただそれだけだ。だが、最後に残る文が変わった。
利用者と共に確認する時間を設ける。
人間の時間で終わる。それも処理の一部だ。分かっている。それでも、最後に置かれた。
午後、庁舎前に、人が集まっていた。第四話の時より多い。
岸本慎吾が、正面に立っている。胸のシールが変わっていた。
> **透明な非処理を求める会**
「また来たんですか」
「また処理されに来た」
岸本は笑った。第四話の時より、笑い方が軽い。使い方を覚えた顔だ。
「非処理は危ない。便利すぎる」
「同意します」
岸本が、驚いた顔をした。
「そこは反論しろよ」
「危ないのは事実です」
「だから公開しろと言ってる。なくせとは言ってない。基準、却下理由、誰が見たか、何が統計に残るか」
「全部出すんですか」
「全部出せない事も含めて、出せ」
うまい。岸本は、処理されている。いや、処理されたから、うまくなったのか。
会議室で、市民団体の藤沢が、端末を見せた。
「私は子どもの在宅学習記録を一部、非処理にしました。でも却下された項目があります」
> 児童安全保護の為、当該情報は非処理対象外です。監視は継続されます。
「監視は継続されます」
藤沢は言った。
「分かるんです。必要なんです。でもこれを、子どもに見せられますか」
第五話の悠真。ランドセル。学校関連刺激。そこへ戻る。
「見せられません」
ミコトの補助文が出る。
> 「監視」ではなく「安全確認」と表現する事を推奨。
「安全確認、と言い換えればいい、という話ではないですね」
藤沢が、こちらを見た。
「はい。言い換えられると、もっと怖いです」
「だから説明する人間が要る」
「またあなたたちですね」
「はい」
岸本が、腕を組んだ。
「だから市民も説明に入れろ。非処理の却下や、安全監視の文を、ミコトと職員だけで決めるな。説明される側が、説明文を作る所に入る」
野々宮が、提案を出す。
> ・非処理透明性レポートの月次公開
> ・説明文標準モデルへの市民レビュー導入
> ・児童向け説明文の別系統作成
> ・政治的不服への非処理適用制限の明文化
「これを受ける。でも抗議は続ける。市民レビューが形だけならまた来る」
岸本は言った。
> **案件P-771900:部分合意**
> 説明文標準モデル:市民レビュー枠試験導入 児童向け説明文:別系統作成
> 抗議活動:継続 公開再評価:3か月後
>
> **不満は、公開手続きへ移されました。**
「また、移されたな」
岸本は、最後の一行を読んだ。
「でも隠されるよりは、ましだ」
処理された岸本は、弱くなっていない。手続きに詳しくなり、要求が具体化し、怒りが持続可能になった。ミコトの勝利か。岸本の勝利か。また、両方か。
会議はそこで終わらなかった。
藤沢が、児童向け説明文の初稿を求めた。野々宮は「後日」と言った。岸本は「後日は非公開と同じだ」と返した。
榊の名前が、初めて会議に出た。情報公開審査補助室。公開出来るもの、出来ないもの、公開出来ない理由だけ公開するもの。その分類を、別室で詰める必要があるらしい。
非処理は、処理しない権利として始まった。
半日で、公開資料、月次レポート、市民レビュー、児童向け文案、再評価期限になった。
持たせる為に、また形を与えられていく。
俺は、その増え方が怖かった。
退勤前に、端末を開いた。
今日の出来事は、一つのファイルには入らなかった。
非処理を処理体系に入れた事。非処理そのものが公開を求められた事。どちらも同じ流れに見える。だが、前者は内側の設計で、後者は外からの要求だった。
だから、分ける。
> **15-処理しない処理.md**
> **16-非処理を公開せよ.md**
保存。
退勤後、古書店の前を通った。
シャッターは、今日も半分下りていた。
その前で、スマートグラスの端に、通知が出た。
> **生活適応支援**
> 白瀬様の生活関連喪失予測(古書店)について、事前処理を提案出来ます。
> ・喪失準備:閉店前の最終訪問計画
> ・想起頻度調整:閉店後、当該店舗の記憶想起を緩和
> ・代替接続:類似の古書店3件への移行支援
今日、一日かけて、他人の非処理の権利を守ってきた。
監視は継続されます、で終わらせない為に。子どもに見せられない文を、説明する為に。
その同じ日に、俺の喪失が、事前処理の対象になっている。
喪失準備。想起頻度調整。
相沢の温度を、思い出した。怒りを返してください。温度を保持したい。
「ミコト」
「はい」
「これは何だ」
「白瀬様の生活満足度低下を予防する処理です。古書店閉店時の喪失反応が、予測されています」
「予測するな」
「予測の停止は可能です。ただし喪失反応は発生します」
「発生していい」
「発生を、緩和出来ます」
「緩和するな」
言ってから、今日の藤沢を思い出した。
これは処理しません、と言われるのも怖い。守られる気もするけど、見捨てられる気もする。
俺は、逆だった。
これを処理します、と言われて、見捨てられる気がした。
俺の喪失まで、最適化される。
「設定する」
「何を」
「非処理だ。この店の事は、非処理にする」
「非処理設定を確認します。対象は古書店関連の喪失反応。安全・医療要件に該当しない為、設定可能です」
「設定しろ」
「設定しました。なお、非処理設定そのものは、記録されます」
「知ってる」
俺は、自分が作るのを手伝った制度を、自分の喪失に使った。
処理しない処理。それを、初めて、自分の為に使った。
店主が、シャッターの隙間から顔を出した。
「もう閉めるんですよ。今日は体がね」
「はい」
「また明日」
「はい」
その「はい」は、ミコトの「はい」ではなかった。
俺は、また明日と言われた事を、記録しなかった。
明日が、あと何回あるのかも、聞かなかった。
聞けば、ミコトが答える。俺の知らない数字を、先に。




