第5話「残響」
戦場は、いつも通り終わっていた。
いや、“終わっているように見える”だけかもしれない。
最近、主人公はそう思うようになっていた。
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観測ドームの中は静かだった。
だが静けさの質が違う。
以前は「外と隔絶された静寂」だったものが、今は「何かが抜け落ちた後の静寂」に変わっている。
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主人公はモニター越しに戦場を見ていた。
白い天使。
圧倒的な制圧。
戦況の崩壊。
そこまではいつも通りだった。
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だが、今日は違った。
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彼女の“動き方”に、見覚えがあった。
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「……?」
主人公は眉をひそめる。
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違う。
見覚えがある、というより――
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“知っている気がする”。
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彼女の動きの中に、一瞬だけ“遅れ”がある。
それは戦術的な隙ではない。
もっと個人的な癖のようなものだった。
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呼吸のような間。
無意識のためらい。
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「……そんなはずは」
主人公は呟く。
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彼女に“癖”など存在するのか?
戦場を最適化する存在に?
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その考えを否定しようとして、逆に胸がざわついた。
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そのときだった。
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視界が一瞬だけ、揺れる。
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戦場の映像が“重なる”。
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今見ている戦場の上に、別の戦場が重なる。
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同じ彼女。
だが、違う動き。
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こちらを向いている。
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「……違う」
主人公は息を呑む。
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その彼女は、戦場ではなく“こちら”を見ていた。
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そして一瞬だけ笑ったように見えた。
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次の瞬間、映像が戻る。
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彼女は何事もなかったように敵を処理している。
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主人公は固まる。
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「今のは……何だ」
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幻覚ではない。
記憶の誤作動でもない。
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“別の戦場”が混ざった。
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そのとき、頭の奥に軽い痛みが走る。
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何かを思い出そうとしている。
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だが、それは“思い出す前に崩れていく”。
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代わりに残るのは感情だけだった。
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懐かしい。
安心。
そして、喪失。
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意味が分からない。
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主人公は額に手を当てる。
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「俺は……あいつと……」
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言葉が途中で途切れる。
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“あいつ”が誰なのか分からない。
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だが確かに存在していた。
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その確信だけが、記憶より強い。
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通信が入る。
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ノイズはない。
だが、いつもより少し“近い”。
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「観測干渉を確認」
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彼女の声。
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主人公は反射的に答える。
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「干渉……?」
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「複数分岐の残響が重なっています」
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静かな説明。
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まるで当然のことのように。
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「あなたは現在、未選択の自分を参照しています」
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主人公は息を止める。
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未選択の自分。
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それは、死んだはずの可能性。
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「それは……何なんだ」
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沈黙。
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そして短く返る。
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「あなたが選ばなかった世界の記録です」
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主人公の胸が冷たくなる。
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「じゃあ今の……あの記憶は……」
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言いかけて、止まる。
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怖い。
答えを聞くのが。
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通信の向こうで、彼女は一瞬だけ間を置く。
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そして。
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「あなたは今」
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「彼女を複数回、同時に思い出しています」
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沈黙。
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主人公の思考が止まる。
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複数回。
同時に。
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「……ふざけるな」
声が震える。
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だが否定できない。
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確かに今、頭の中には“彼女”が複数いる。
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戦場で戦う彼女。
笑っていた彼女。
こちらを見ていた彼女。
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どれが本物なのか分からない。
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いや。
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そもそも。
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“本物”という概念が崩れかけている。
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通信が切れる。
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静寂。
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主人公は座り込む。
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呼吸が乱れている。
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そして気づく。
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胸の奥に、また一つ“空白”が増えている。
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確かにあったはずの感情。
確かに存在していたはずの出来事。
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それが、もう輪郭を持たない。
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ただ。
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一つだけ残っている。
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名前。
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「……誰だよ、お前は」
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誰にも届かない声。
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戦場は何事もなかったように続いている。
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そして遠く。
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白い天使は、静かにこちらを一度だけ見た。
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まるで、何かを確かめるように。




