過失
人生最悪の事態の発端は我が社人事部に届いた、一通の手紙だった。その日、人事部長から呼び出されたオレは、差出人の名前のない手紙を見せられた。白い、罫線だけの便箋一枚にパソコンで打たれた文字が整然と並んでいる。封筒も見慣れた白いもの。宛名は我が社の人事部長になっている。内容は、オレの名前の桐山健(上にきりやまたけしとふりがな)が10年前の6月5日に犯した過ちを明白にして、それ相応の責任を取らせることを願う。それが出来なければ、しかるべき所に訴える。
尚、過ちとの因果関係は確定出来ないが、その後父親が病死したことは事実だ。
人事部長はオレたち以外には誰もいない応接室で、声のトーンを落として話し出した。
「いかがですか?何かお心当たりはありますか?」後輩ではあるが、社長の義理の息子ということで遠慮がちに接しているのはよく分かる。そう聞かれて考えた。10年前のその日付は、オレがこの会社の就職試験を受けた日。その日にオレの犯した過ち?確かその日の朝、電車のホームから落ちそうになった、目の不自由な男性を助けたことを思い出した。「いえ。あの日の朝に人助けはしましたが、過ちとはどういうことかわかりません」「人助けをされたのなら過ちどころか、善行じゃないですか。それならどうして過ちとあるんでしょうか。他に何かありませんか?」そう言われて、オレは一瞬身の凍る思いがした。あの時のあの場面が、鮮やかに昨日見た映画のようによみがえった。
あの朝、駅で人を助けた為に、皮肉なことに就職試験の集合時間に余裕がなくなり、駅前の雑踏を縫うように走っていた。その時、誰かにぶつかった気がしたが、悲鳴を聞き振り返った。しかし、人波に紛れ見えなかった。後戻りすれば時間に遅れる、理由は何であれ時間も守れないのでは、試験以前に失格者とみなされる。それが一番怖かった。
しかし、あの時ぶつかったのが、オレだとなぜ分かったのだろう。手紙には何も書かれていない。オレだという証拠でもあるのかと、頭を素早く回転させて考えた。兎に角証拠がないなら、認める必要はないし、ぶつかった事と父親の死因は結び付かないということだし、亡くなったというのも本当かどうか。でっち上げかもしれない。「手紙のほかに何も入っていないのですか?」「写真とメモのコピーが一枚あります」「見せて頂けますか?」写真は意外とはっきり撮れていて、オレを知っている人ならオレと認識出来るし、写真の隅に日付まで載っている。大きなリュックを背負った、10年前のまだ若い自分と久し振りに会った気がする。同時にあの時のオレの失敗とも。オレのリュックが杖を付いた年配の男性にまともに当たっている場面とその男性が倒れる場面がコマ送りのように映っている。オレは横顔だが少しぶれて映っているので、シラを切り通せるかもしれない。
「いかがですか?リュックの男性は部長ではないですか?」人事部長は聞いて来る。「私のように見えますが心当たりはありません」
すると、部長は電話をとり「お願いいたします」と言って切る。やおら、総務部長が部屋に入って来た。オレと向かい合って座り、朝の挨拶後
「認めては頂けませんか。こちらとしては、まず桐山部長に認めて頂きたくてこの席を設けました。単に個人の問題として、片付けるには重大すぎる。真実は別としても差出人の父親が命を落とされたとあれば、徹底的に調べる必要があります。どうぞご理解頂きたい」オレは全て調査済みの上で、最後にオレの自白を取りたかったのだと気が付いた。メモのコピーには''五星商事株式会社 午前9時30分,,
とある。「この文字も部長の字と専門家に照合させてもらいました。95%同一人との答えでした。この時刻は10年前の6月5日に行われた、就職試験の1次試験の集合時刻です」
時間を忘れないように書いたメモをリュックのポケットに入れていたが、あの日以来見ないので、何処かに落としたのかとは思っていた。あんな何でもないメモに足元を掬われるなんて。ここまで、証拠を出されては認めざるを得ない。先からのオレとのやりとりも録音したと言う。
「体調を崩されてご静養が必要になられたので、しばらく出勤は控えられるということに致します」その夜、義理の父である、社長がオレと妻の理央の住む「ガラスの城」にやって来た。理央は演奏に出ていて留守。社長は「こんなことで、我が社のエースであり、義理とはいえ初めて出来た息子を無くしたくはない。
しかし、事実である以上何らかの処置をするしかない」「申し訳ございません。社長のご期待を裏切ることになりまして。いかような処分も、甘んじてお受け致します」「義理の父としては君を守ってやりたいが、社長としては厳しくせざるを得ない。世間体もあるし大勢の社員とその家族を預かるものとしての立場も理解して欲しい」
義理の父でもある社長の言葉は身に沁みる。身から出た錆びとはこの事だ。たった一瞬の迷いで折角築いた地位も財産も大邸宅も、愛する妻とは言えないが見映えのする妻も失うのだ。反論することも弁護士を立てることも考えたが、せめて往生際の悪いことだけはしたくないと思う。
しかし、あの手紙を送った人物は一体誰なのだろう。父親とあるから、あの年配の男性の息子か娘なのは、間違いない。その人に対して怒る権利などないが、せめて名乗り出て欲しい。このままだと心がすっきりと晴れない……。




