惡姫の実力
惡姫の実力お披露目回です。
回想を話し終えた惡姫こと一紗は杯を呷る。
「――俺が守れたものは自分の命と貞操だけだった。所持品も、友人も、人としての尊厳も全て失った……。だから俺は、この国と紅帝には恨みしかないんだよ」
「俄かには信じがたい話ですが、その思慮深さが異界の住人ということの証明でしょう。だとすれば、貴女は元の世界に戻る手段を欲しているはず……」
美鳳は『異世界に戻りたくて神に祈った』という下りを聞いたとき、帰る手段の可能性を提示することで懐柔しようと考えていた。だが一紗はつまらなさそうに首を横に振った。
「俺はこの世界に飛ばされて十年程帰る方法を探してきた。だが異界に渡る方法どころか、俺と同じような渡来人の噂も聞くことはなかった」
「隅々まで探したのですか?」
一紗は沈黙する。無論この広い国を一人で全て踏破することなど不可能だった。
美鳳は活路になりそうな手札を手放さず更に言及する。
「惡姫殿。元々異世界で生き残るのに必死だった故にあまり探していないのではないですか?」
あまりに的を射た指摘に一紗は押し黙ってしまう。
ややあってから口を開いた。
「そもそも俺は体ごとこの世界に来たわけじゃない。この体の持ち主と元の世界の俺の精神が入れ替えられたんだ。物理的な出入り口などないのかもしれない」
「それはわかりませんよ。まだ見ぬ氣巧術の秘術の中に異界に渡る方法もあるかもしれません。紅華帝国の皇女である私にはそれを探すだけの人脈があります」
「だから一緒に来いと? ……もし見つからなかったらどうするつもりだよ? 俺はお前に利用されるだけじゃないか」
彼女は服をわざとはだけさして赤面し、恥ずかしそうにつぶやいた。
「その時は……私の体を好きにしていいです」
「――っ!?」
久しぶりに会った綺麗な身なりの女性にそんなことを言われると、体が女性になってもグラつく。今までも自分の体を差し出して命乞いする女は見てきたが、美鳳の美しさは過去にあった女性が霞む程のものだった。生粋の女性でも揺れてしまうかもしれない。
現に侍女の中には彼女を見てウットリしている者もいた。
「い、色仕掛けだと? 俺の過去の性別を知って利用できるとでも思ったか?」
「その打算もなくはないですが、あなた自身が帝に深い恨みを持つことはよく分かりましたから。帝の娘の私を好きにできるなら少しは溜飲が下げられましょう。殺すも犯すも辱めるもよし、好きにしてもらってかまいません」
淡々と告げる彼女の態度に一紗は少しばかり狼狽した。
(身を捧げるというのを成功報酬の一つとして提示するか。逆に言えばそれまで貞操を許すつもりはないということ。食えん女だな。自身の高貴な身分と美貌を存分に活かした交渉術……。安い女には真似できん)
異世界に渡る方法をみつけられるならば一紗にとって最も望む結果ではあるが、その可能性は無きに等しい。ダメだった時の条件として自らを献上品として捧げるというのは一紗にとっては良い条件だが美鳳にとってはリスクが大きすぎる。一紗は彼女の真意を見極めようと問う。
「……本気か?」
「ええ。我が身を捧げるというのは〝異界に帰る手段〟が見つからなかったときの話ですが」
「どうしてそこまでする?」
皇女は一瞬表情を暗くした。
その綺麗な眼の奥に殺しきれない憎悪が読み取れる。
「私はある男に治めていた領地を奪われました。それも私の甘さが招いた結果です」
「贖罪のために身を捧げると? 酔狂な女だな」
「たとえ我が身を捧げようともこの国を平定し、秩序ある世界を作らなければならない。それが紅帝の娘として生まれた私の責務です。もう孤児や蹂躙される女子を見るのは嫌です。しかし内乱状態にあるこの修羅の国を平定するには、貴方が指摘した通り交渉術のみでは不可能です。故に言葉を担保する武力として私には〝惡姫〟が必要なのです」
一紗は驚嘆した。美鳳は一撃で屠れるようなか弱い女だったが、意志力だけは今まで出会った誰よりも強かった。身分を鼻にかけない落ち着いた物腰、一紗の脅しに屈しない胆力。そして皇女でありながら欲しい人材は自ら直接引き抜きにかかる姿勢。蛮族ばかりのこの国では見かけなかったタイプの女性だ。
知力、胆力、礼儀に優れた彼女が言うからには、内乱状態の紅華帝国を平定するというのも法螺ではないのだろう。
(他人を理解し、その相手の望む条件を提示して揺さぶる交渉術は見事だな。コイツに足りないとしたら武力のみ。コイツといればあるいは……)
一紗は彼女の野望に驚きつつも惹かれた。相手を欲しても下手には出ず、自身の利用価値を提示し有利にことを運ばせるのは美鳳が最も得意とする交渉だった。一紗はその意図を察しつつも、停滞していた現状を動かすには乗るのも悪くないと考えてしまう。
「貴女が連れている女性達の安全も確保します。まずは私に伝手がある氣巧術師達に異界を渡る方法がないか探らせましょう」
美鳳は更に一紗の心情を刺激するよう背中を押してきた。
「俺の名は惡姫じゃない。一紗だ。これからはそう呼べ。取りあえずお前の甘言に乗ってやる」
一紗はぶっきらぼうにそう言った。
その言葉を聞いた美鳳はぱぁっと顔を輝かせる。
「ありがとうございます! では私のことも気軽に美鳳と呼んでください。早速で申し訳ないのですが、一紗……《叛族》が私の部下を襲っていて、助けてもらいたいのです」
「そのようだな。呼んでもいねぇのに土足で入ってきやがった」
一紗は美鳳の後方を睨んだ。すると廃城の横穴から《叛族》の一人が侵入してきた。どうやら裏手から貴従兵を挟み撃ちにしようと潜入したのだろう。彼は城内の一紗達を見つけると、舌なめずりした。
「なんだなんだ? 良い女ばかりじゃねーか! 仕事は楽しんだ後でもいいよなぁ?」
あくまで獲物としか見ていない男に辟易する一紗は男に近づいていく。
「ちょうど俺の腕を雇用主に見せる絶好の場ってわけだ」
「あぁ? 大人しく従うなら命バッ!」
最後まで言い終わる前に男は消えた。僅か一秒にも満たない間である。美鳳が周囲を見渡すと、男は天井に頭から突き刺さっていた。
(流石は蛮族皆殺しの惡姫。恐ろしいですが味方になれば頼もしいですね)
「ふん、雑魚が」
指をぽきぽきと鳴らした一紗は瞬間的に美鳳に肉薄してその手を掴んだ。
「これから戦場へ行く。一緒に来い」
「え? 私も?」
「お前の部下は俺のこと知らねーだろ。説明するより一緒に行った方が分かりやすい」
一紗は美鳳を抱いて廃城の窓から飛び出した。
二人が降り立ったのは貴従兵と《叛族》が争う中心地点である。周囲を見渡すと、両軍ともの死者が転がっており、双方の大将同士が刃を交えていた。
いきなり空中から現れた二人に美鳳の部下達も叛族も驚いているようだ。
「美鳳様!? ……ともう一人は惡姫? 説得は終わったのですか!?」
「まぁ一応……ですね」
部下と会話する美鳳にネットリとした視線を送る《叛族》の親玉。
「へぇ、紅帝の娘ともう一人は誰だ? まぁ二人とも上玉じゃないか。早く味見してぇ」
「不敬なっ!」
貴従兵の隊長は叛族の言葉が癪に触ったのか彼に偃月刀で迫押した後、惡姫に対して怒りをあらわにした。
「貴様! 姫様を、美鳳様を戦場に連れてくるとは阿呆なのか!」
「美鳳、コイツも敵なのか? うざい殺気を送ってきやがるし殺していいか?」
「その人は私の貴従兵の将軍です! 敵はあっちの《叛族》です!」
美鳳が指さす先には敵の親玉を守るように叛族が立ち塞がっていた。武器を構えてはいるが、一紗をただの女と見ているのか油断しきっている。
「木偶共が」
一紗は死んだ兵隊が持っていた双剣を足で拾い上げると、群れる叛族に特攻していった。舞踊のようにそれを扱い、叛族の五体をバラしていく。
「なななな、なんなんだ!? 娘! 貴様は一体何者だ!?」
「ちっ! あの美貌を抱けぬのは残念だがもういい! 者共! あの皆殺し娘を討ちとれ!」
「「おぉおおおおおお!!」」
《叛族》達は、近接戦は不利と見たのか遠くから弓矢を射てくる。無数の矢の雨が降り注いだ。貴従兵隊長は美鳳を庇うように武器を掲げる。
「ふん、この程度の矢如きで俺の首が取れるかよ」
宣言した通り、一紗の周囲に矢が届いた瞬間弾き飛ばされてしまった。
鎧すら纏っていない生身の女に鏃が届かないのである。
「なっ!? なにが起きたんだ!?」
「これは……周囲に〝氣〟が満ちている……」
《叛族》の頭が目を凝らしてその現実を見極めた。一紗の体から放出される巨大な〝氣〟が矢を弾いていたのだ。これでは遠方から射殺すことはかなわない。さりとて接近戦を挑めば数で襲うとも双剣でバラされてしまう。時間が経つごとに《叛族》の屍は増えていった。
(あの女、ただの武芸者ではないな……。こうなれば奥の手を使うまで)
叛族の頭は、何事か呪文を唱えだした。
「朽・酵・物・蝕・錆・濁・腐……破ッ!」
彼が放った氣が一紗の持つ双剣に触れた瞬間、刃が錆びて腐り落ちてしまった。
「氣巧術か。厄介だな。だがここは戦場だぜ? 武器なんてその場で調達すれば――」
再び一紗が敵の長物を拾った瞬間、また武器は朽ちてしまう。
「これは、呪術! 一紗! 貴女には呪いがかけられています。触れた武器は錆びて壊れてしまう。私が今呪術を解きますから、一度戻ってください!」
しかし敵がそんな暇をくれるわけもなく、美鳳は《叛族》の先兵に囲まれてしまう。貴従兵は彼女を守りながら敵を薙ぎ倒しているので、一紗の呪いを解く隙がない。
《叛族》も今が好機とばかりに一紗を取り囲んだ。
「形勢逆転だな。所詮は女よ。武器がなきゃお前も得意な剣術が使えまい」
「武器なら生まれながらに持っている」
「あ?」
一紗は素早く功夫の構えをとった。
―――刹那、囲んでいた《叛族》がはじけ飛んだ。続いて腕に覚えのある者たちが武器を取って挑んでくるが、一紗の功夫の前に一撃も入れることはできず、血の海に落ちていく。
《叛族》の頭は至近距離にいたにも拘らず目の前で何が起こったか理解できなかった。
「今、何をした?」
「蹴ったんだよ。見えなかったか? 俺はステゴロのが強いんだよ」
「己惚れるなよ! 少しばかり腕っぷしが強かろうと、我が炎の氣巧術の前では無力!」
彼は巨大な火の玉を生成すると一紗に放った。
一紗は面倒くさそうに一瞥すると、拳を振りぬいた。
すると、迫っていた火の玉が消し飛ばされてしまう。同時にその軌道上にいた《叛族》の頭目は胸に風穴が空いて絶命した。
「がっ……」
「風前の灯だったな」
さらに一紗は、残党兵をも一瞬で皆殺しにしてしまった。いとも容易く、まるで呼吸するが如く。手こずっていた貴従兵は元より、その将軍も唖然としている。
「俺があれだけ手こずった《叛族》をこうも容易く……これが惡姫か」
「美鳳、約束通りお前の部下は助けてやったぞ」
「ええ。助かりました。ですが、何も皆殺しにする必要はなかったのでは?」
改めて周囲を見渡すと、そこには夥しい《叛族》の骸が散らばっていた。戦う意思を持った者もいただろう。だが中には武器を捨てた状態で殺された者や白旗を掲げようとして絶命している者も存在した。
「敵は一匹残らず皆殺しだ」
「なりません。憎悪に目が曇っては正しいことが分からなくなりますよ。私についてくると決めた以上、必要以上の殺しは避けてください」
一紗は美鳳の背後の壁に『ドンッ!』と手をつき猛獣の如き眼で威嚇する。
「敵の命を助けて何になる。最初は情けをかけたこともあった。だが、ある奴は見逃したら強い兄貴分を呼びに行った。またある奴は後々強敵として再会したこともあった。敵になった奴は皆殺しにしないと面倒だ」
「確かに今のこの国ではそういうこともあります。けれど、一度でも敵に回った者を根絶やしにしていては安寧には程遠い。自重してください」
「……寝言は寝て言え。修羅の国で女が狙われないわけがない。お前はすぐに敵を殺せと俺に命じるようになるぞ」
「敵を殺める命を下すこともあるでしょう。しかし皆殺しにしろとはいいません。敵といっても調略できる人材はいます。避けられる戦いもあります。私は言葉を武器に味方を増やすつもりです。そのための交渉術です」
「言論は力ってか? 違うな。俺にとっては力こそ言論であり交渉術だ」
価値観の違いから論争する二人。どちらの言い分も間違いではないため貴従兵も横やりを入れることはできなかった。
己を顧みたのか先に下がったのは美鳳だった。
「まぁいいでしょう。今話し合っても水掛け論にしかなりません。取りあえずこの魔境から立ち去りましょう。誰か城の中の女性を連れてきてください」
「あん? 交渉人を名乗るお前が退くのか?」
一紗はつまらなそうに尋ねる。
「私は貴方の人生をほとんど知りませんし、今はこれ以上討論できません。そこまでの価値観を形成するに至った凄惨な経験が貴女にはあるのでしょう。これから私は貴女を知っていきます。だから、貴女も私のことを理解する努力をしてください」
美鳳はそういうと、貴従兵に命じて出発の準備を始めた。一紗は彼女の人物像を掴もうと観察するが、何も見えなかった。
(アイツの言う通り、傍盾人として仕えていれば底が見えるのか……?)
一紗は黙って美鳳と共に馬車に乗り込んだ。
ご覧の通り拳法スタイルが基本となります。
個人の力で成り上がり、盗賊の巣を根城にした惡姫はそれなりに強いです。
しかし敵とみなせば殺してしまう。
これから彼女の手綱を引く美鳳は苦労しそうです。




