プロローグ 【兵士たちの空】 -EndGame-
雲一つない青空を、布と木と鉄で作られた船が群れをなして飛んでいる。
艦隊の正体は、ゲルマニア帝国空軍の戦略爆撃機たちだった。彼女らの任務は、敵国にして憎き連合国のガリアの南東にある首都パリジニの一体を、敵国民ごと焼き付くすことだった。それより戦線に近い主たる街などは、数ヶ月前に彼女たち空中艦隊が完膚なきまでに粉砕していた。
およそ四年間続いた戦争は、敵が人間であるということを忘れるには十分すぎる期間だった。
地表は砲弾と爆撃で更地となり、そこに雨と血と腐肉と死体がばら撒かれ、毒ガスと雨雲がそれを覆う。
人々はいろいろな死に方で、統計学的な数が死んでいた。
一度の会戦で数十万人が死ぬことが当たり前だ。
数万人なら安いもので、数千人など気にするほどではない。
そこに騎士道やら、人情やらを見出している人もいるが、戦時中に飢餓に見舞われたゲルマニアにはもはやそうした余裕などありはしない。あるのはただ、眼前の敵を倒すことのみであり、それは彼らの祖先たち、ゲルマニア北方騎士団としての誇りと使命に良く似ている。彼らはいつも周辺国と争い、血を流し、そして犠牲を払っては敗北し、勝利してきた。
今回も、そうなる。
空中艦隊の総数は、二十五機。それに護衛の戦闘機たちが群がっている。
機上には幾何学的模様で彩られた軍艦旗と信号旗が閃き、野太い主翼に吊り下げられた四発の高馬力エンジンから轟音と白煙をあげ、空気を押し退けるように進んでいた。あちこちに土や煤、あるいは機銃痕を付けた様は、汚らしいというよりは貫禄があるといったほうがしっくりくる。古い城壁もまた、この爆撃機と同じように苔や錆にまみれているのだ。
搭載する爆弾の積載量に特化した爆撃機の行き足は遅く、周囲を滞空する護衛の戦闘機などは、エンジンを付けては止めてを繰り返してなんとか足並みを合わせようとしている。
爆撃機の防護機銃座にはゴーグルを嵌めた兵士がおり、その兵士の中に一人、目の上に手をかざしてしきりに太陽を見上げている者がいた。
彼はゲルマニア帝国の地方出身者で、強制徴兵期間中に運悪く見つけ出され、王室が《粛清行》と評する無謀な作戦にに参加することになった一兵卒だ。
名をカルルと言い、苗字はなかった。奴隷階級の一族に生まれた彼には、名乗る権利がなかったのである。名乗る際は、マレクの息子カルル、と言った。浅黒い肌に黒髪黒目、畑仕事で鍛えられた体は、銃座に据え付けられた馬鹿でかい機関銃をあちこちへ振りまわすのを苦としない。
苦とするといえば、もうすぐ戦争が終わりそうだといわれているこの時期に、このような任務に同行しなければならないことがそうだったが、カルルはそれを口にした事はなかった。口にしたところでカルルの乗るこの爆撃機『ヴォータンⅡ』が任務から外されることがないのは、配属前に正規の訓練を経た人間なら誰でも知っている。
だからカルルはいつも通りに機上面にある防護機関銃座に座り、周囲を見張っていた。そのカルルが太陽を覗き込み、目を細めている。
「………鳥?」
ちかちかと黒く見える点に、カルルは疑念を抱きながら呟く。
地上から二千メートルの上空で、そのさらに上を行く鳥などいるだろうかとカルルは考える。カルルは地方出身者で鳥がどの高度まで飛ぶのかなど学んだこともなければ、知ろうと思ったこともなかった。彼がその点は鳥ではないと気付いたのは、その点がこちらに向けて急降下してきてからだった。
黒い点は鳥のようだった。それは大量生産された幅広の剣のような無骨な形をし、四枚の主翼を持ち、先端が切り取られたような形状になっている垂直尾翼がある。それは錆色と濃紺の二色で彩られていた。
操縦席らしき場所の上には、レールに保持された二十ミリ機関砲が添えつけられており、豚の鼻のように短く不細工な銃身が、不気味に煌いた。
カルルは目を見開き、震える手で機関銃のボルトを掴んで引き、弾丸を装填しながら叫ぶ。
「直上! 連合の迎撃機!!」
銃口を上空へ向けたカルルの視界に、すでに錆色と濃紺の迎撃機はいない。
カルルが唖然として口を開けていると、削岩機のような低い発砲音が轟くと同時に、爆撃機《ヴォータンⅡ》の真後ろでのろのろと飛行していた歴戦の旧式爆撃機の《メフィストフェレス》の操縦室一体が小爆発を繰り返し、防弾ガラスで守られていたはずの操縦室が一瞬で粉砕される。
僚艦の悲劇を見つめながらカルルは震える手で機関銃の銃口を巡らした。
爆撃機《ヴォータンⅡ》の機関銃座すべてがあの連合の迎撃機を探していた。
だが見つからない。
見つけるよりも先に、迎撃機が《メフィストフェレス》を下から突き上げるように銃撃する方が早かった。
連合がゲルマニアの誇る機関砲を模造した二十ミリ機関砲は、他の連合国戦闘機が使用する機関銃のおよそ三倍もの口径に、三倍以上の炸薬が充填されている。炸薬も煙のでない威力のあるものを使っている。
その直撃を受ければどうなるのか。
その答えはカルルたちの眼前で黒煙をあげながら戦列から落伍する《メフィストフェレス》を見れば分かる。操縦室は砲弾によって耕され、下から銃撃を受けた右翼の推進器はそのすべてが黒煙を上げ、炎に包まれている。
―――我、甚大ナ損傷ヲ受ク 自力航行不可 炎上中ナリ
旧式爆撃機が最期の信号旗を掲げていた。
カルルはその意味を理解し、上空に連合の迎撃機の影を確認すると同時に、蹄鉄型の引き金を押し込んだ。弾帯が続く限りカルルは撃ちまくるつもりだった。カルルの他の機関銃座員たちもまた引き金を押し込んで弾幕を張る。《メフィストフェレス》以外の機が、機関銃、機関砲による濃密な弾幕を形成する。この重弾幕航空戦術の前では並みの戦闘機など一瞬でスクラップになってしまうだろう。
相手が並みの戦闘機―――パイロットであったなら、だが。
「ちくしょう、なんて速さだ!」
青空の中を自由自在に舞う迎撃機に、銃弾は届かない。
なんの障害物もないのに、隠れる雲すらないというのに。
迎撃機に銃弾は掠りもしない。
くるりと旋回し、身を翻し、切っ先を再び艦隊へと向ける。
銃身が真っ赤に焼けるのも構わず、カルルと、カルルと同じように機関銃を撃つ銃手たちは悪態を吐き散らし、同時に恐怖を覚えた。
《メフィストフェレス》を襲った悲劇が、《ヴォータンⅡ》の眼前に形を成してある。
その切っ先は、カルルたち《ヴォータンⅡ》に向けられていた。
「弾幕! 弾幕を張れ! 操舵、面舵一杯! 退避しろ!!」
もじゃもじゃ髭の機長が操縦室で怒鳴りちらすのがカルルの耳に響く。
もう遅い、とカルルは機関銃を撃ち続けながら呟く。
カルルの血走った目には見えた。
錆色と濃紺の二色で彩られた不気味な迎撃機が。
その垂直尾翼に描かれた〝血染めのコウノトリ〟が。
竜の息吹の如く火を噴くの二十ミリ機関砲の、すべてが。
連合国の迎撃機に搭載された二十ミリ機関砲が唸りを上げ、巨大な機関砲弾が爆撃機《ヴォータンⅡ》の操縦室周辺を耕した。操縦室にいた要員は血煙となるが欠損を負うかのどちらかしかなく、炸裂した六グラムの高性能無煙炸薬が、爆発と鉄片を辺りに撒き散らすと、生き残った者たちも息の根を止めた。
カルルも、艦橋にいたもじゃもじゃ髭の艦長もその中にいた。
カルルは砲弾の直撃を受けてバラバラになった。
カルルだったものは機関銃座一体にこびり付いてしまった。
信号旗すらあげることなく、爆撃機《ヴォータンⅡ》は左に傾いたまま地面へと落下していく。
機体の至るところに回った火炎から逃れようと、あらゆる場所から兵士たちが空へと身を投げる。彼らは落ちていく、《ヴォータンⅡ》という大木に茂っていた木の葉のように、空を落ちていく。
それを尻目に、連合の迎撃機は飛ぶ。
尾翼には〝血染めのコウノトリ〟が、その操縦席には墨のように黒い髪と、空と同じ色をした瞳を持つ男の姿がある。男は残った艦隊を睨みつけていた。その蒼い瞳は怒りと憎しみで濁っていた。
男は艦隊を睨みつけながら操縦席の奥から信号拳銃を取り出して、信号弾の入っているベルトから赤い帯のものを引き抜き、それを装填して頭上に撃った。赤い信号弾が青空にパッと咲く。
残った二十三機と護衛の戦闘機は、その直後、上空から飛来した連合の迎撃戦闘機編隊の急降下攻撃にさらされ、散り散りになる。
青空の中に黒煙と炎をあげて墜落していく爆撃機や戦闘機を見ながら、男は溜息を吐き、その様子をぼんやりと眺めた。
彼が戦争の終わりを知ったのは、その十分後、滑走路に下り、整備兵たちや同僚の戦闘機乗り、そして部隊の隊長らに賞賛されている、その最中のことだった。
・第一次世界大戦の爆撃機
世界で始めて大規模な航空戦が行われた第一次世界大戦では、飛行船とともにエンジンを複数搭載した爆撃機が登場しました。彼女らは数百キロの爆弾を搭載し、いくつかの自衛用機関銃を搭載しており、特殊な例では無反動砲なども搭載していました。
こうした自衛用の機関銃は時に敵機を撃墜することも可能でしたが、完全ではなく、大口径の機関砲や搭乗員の殺傷を狙った精確な射撃、あるいは一撃離脱戦法の前では無力に等しいものでした。
当時の戦闘機は無線は搭載されていなかったため、飛行士間の意思疎通はジェスチャーなどによって行われ、信号弾による合図も当然あったでしょう。信号銃だけでなく、拳銃を持ち込んでいた飛行士もいたはずです。
この時代の航空戦は貴族らなどによる騎士道を残した戦いといわれることもありますが、騎士道もへったくれもない飛行士たちがいたこともたしかでした。それはアウトローというよりも、叩き上げの戦闘機パイロットであったと思います。
そんな時代のあと、つかの間の空白の時代が、この作品の時代背景になっています。




