プロローグ 1
【悪運】
① 悪い運命。めぐりあわせの悪いこと。
② 悪事をなしても、その報いがなくて、なお栄えること。また、そのようなことをもたらす強い運。
クズ、ド阿保、くそったれ、ボケナス、というのが、ビジネスパートナーに対する金雀めぐの評価である。まず第一に、この男が時間を守ったためしがない。
「うぉい! めぐちゃん、お疲れ~~~~」
ガタイのいいビジネスパートナーは、ほろ酔い加減でふらっと待ち合わせのビルに現れた。
歓楽街から少し歩いたところにある、古ぼけたビルの前である。九十年代に建てられたものらしく、壁は薄汚れ、玄関の照明はちかちかと点滅している。いい雰囲気かどうかでいえば、無論いい雰囲気などではない。はあ、とため息をついてから、めぐはビジネスパートナーをじろりと睨みつけた。
「おい、蓮華。てめえ、どこほっつき歩いてやがったんだよ」
苛立ちを隠さずに、めぐはビジネスパートナーに向かって言った。めぐの声は人様からは可愛らしく聞こえるらしい。おかげで、ドスを効かせたように言葉を発しても、舐められる事がしばしばある。が、少なくともこの男に関しては違うと言っていい。半年間一緒に仕事をしているが、めぐはおろか、世の中の全てを舐め腐っている節がある。初めて会った時も酔っ払っていたし、二回目に仕事した時は飲み明けだった。今回のようにビールのロング缶を片手に仕事にやってくるのも一度や二度ではない。
「いやぁさあ、結構早く着いちゃったから時間までパチンコ打ちに行ってたのよ、パチンコ。したら、七百回転かそこらでまだ出てない台があったからさあ。こりゃあいけるかと思ってやってたんだけど、見事にハマっちゃって。やめるにやめらんないじゃん? あと一〇〇〇〇円くらいでいけるって思ったらさあ」
言って、ビジネスパートナーは眉の間を親指で二、三度擦ったあと、手に持ったビールの缶をぐび、と呷った。
この男の身長は一八〇センチ近くあり、くそみたいな生活態度とは裏腹に筋骨隆々。ブルーに染めた髪に、ブルーのアロハシャツ。あんまり言いたくはないが端正な顔立ちに丸いサングラスを載せて、下は短パンという全身常夏の出で立ちで、シャツのボタンは常に全開。鍛え上げたシックスパックをところかまわず見せびらかしている。パチンコ屋だろうがコンビニだろうがお構いなしだ。
蓮華亜空。二十代半ば。元僧侶。
何の因果か、今はめぐのビジネスパートナーになっている。
「ふざけてんじゃねえよ。三十分以上も遅刻しやがって。だいたいその酒は何だ? 謝る気あんのか? なあ?」
めぐの身長は大人の女性にしては小柄なほうで、このビジネスパートナーと並ぶと、まるで大人と子どもが並んでいるように見える。普段ならめぐの左手にある、長大な日本刀の鐺で頭を小突いてやるところだが、時間のほうが気になった。
できる事なら来たくない場所だし、さっさと仕事を終わらせて帰りたい。
「ごめんってめぐちゃ~~ん。でもさ、今日はあれでしょ。お話するのがメインの仕事でしょ? おれ、酒入っているほうが口回るからさあ」
がさごそとほかのアルコール飲料の缶が入ったビニール袋を持ったまま、蓮華亜空はおもむろに煙草を銜えると、ジッポライターで火を着けた。金物めいた、どこか鉄を思い起こさせるような臭いがする。
「話すだけ済むかねえ。てか、何喫煙タイム入ってんだ、こら。とっとと中入るぞ。遅れてんだから」
「大~丈夫だって。時間はもう過ぎちゃってんだし、向こうだってきっとお酒飲んで待ってるよ。今さら煙草の一本や二本くらい――」
「遅れてきた奴が開き直ってんじゃねえ。おら、行くぞ。火ぃ消せ、くそ坊主」
「還俗したって~。元だよ、元。たく、もう」
ぐずぐず言う蓮華に煙草を消させ、めぐはエレベーターへと向かい、上の階への矢印を押した。蓮華は名残惜しそうに火を消した煙草を短パンのポケットに仕舞う。どういう神経しているんだろうか。そうこうしているうちに、エレベーターが来て、めぐたちは中に入った。六階のボタンを押してエレベーターが動き出すと、蓮華は飲みかけのビールをぐびりとやった。
「めぐちゃんも飲む~? これ、値段の割りに結構うまいよ」
「いらねえ。バイクで来てる」
アルコールと煙草で人としての常識を破壊したくそ筋肉ダルマめ。真面目にやっている自分が馬鹿らしくなったが、仕事だけは真面目にやる、というのがこの道にめぐを引き込んだ先輩との約束だ。実際問題、この仕事は真面目にやらなければ人が死ぬ。
六階に着く頃には、蓮華はビールを飲み干して缶を潰していた。親指、人差し指、中指で缶を挟み、横に、そして縦に潰していくと、何故だか最後にはビールの缶が五〇〇円玉くらいのサイズに折り畳まれている。
「……それ、どうやってんだ?」
「コツがあるんだよ。折り紙と同じさ」
狭い廊下を曲がり、そのまま真っ直ぐ進む。
「何組だったっけ? ひまわり? たんぽぽ?」
「……烏丸会系藤堂組」
「カラスか。ハシボソかな。ハシブトかな」
「お前、頼むから連中の前でそんな事言わないでくれよ」
灰色のドアが見えた。表札も何もない、見た目は普通のドアだが、めぐは嫌だなあという気持ちが抑え切れなかった。たとえ左手に四尺一寸の大太刀を持っていたとしても、嫌なものは嫌だった。
とはいえ、仕事なので手を動かすしかない。素っ気ない灰色のドアを、コンコンとノックする。
「――はい」
野太い声がした。いかにも、という感じの声だ。普段から人を脅し透かしする事に慣れている感じというか。めぐの胃が重たくなった。
「あー……遅くなってすみませーん。《退魔屋》の――」
「退魔屋Badluckで~~~す! ただ今参上しました~~!」
そーっと挨拶しようとしためぐの隣で、アロハシャツの酔っ払いがでかい声を出した。
ドアの向こうで物音がした。胃がきりきりする。ああ、嫌だなあ。
がちゃ、と音がして、ドアの向こうから強面の大男が顔を出した。
「おう。遅かったじゃねえか」
「あー……ははは。すんません。道が混んでて――」
「いやーパチンコでちょっとハマっちゃって! すみませんねえ、どうもー!」
隣の馬鹿な酔っ払いが馬鹿みたいな大声で言い訳もせず馬鹿正直に遅刻理由をゲロしやがった。反射的に大太刀を振り回しそうになったが、その前に強面の大男が口を開いていた。
「おう、兄ちゃん。人待たしといて呑気にパチンコたあいい度胸じゃねえか? ああ?」
「嫌だなあ~。ゲン担ぎですよ。仕事前に勝つと調子が出るんですって」
「ほーう? つうこたあ、当然勝ったんだよな? 今日これからここでいい仕事をしてくれるために?」
「そりゃもう、当然――」
「玄次」
別の声が部屋の中から聞こえた。
「そんなところでくっちゃべってんじゃねえ。とっとと入ってもらえ」
「へい。すんません、兄貴」
玄次と呼ばれた強面の大男がドアを広く開け、めぐは軽く会釈して中に入った。
最低限体裁を整えたような、白い革のソファと応接テーブルが目に入る。事務机に尻を載せた、眉の薄い角刈りの男が一人。壁にもたれかかってスマホをいじっているちゃらちゃらとした感じの若い男が一人。ほかにも似たような感じの男たちが数人。
そして、少しばかり立派な席に座る、角ばった眼鏡をかけた、いかにも親玉っぽい感じの壮年の男。
「どうも。退魔屋さん」
親玉っぽい男が、爪を研いでいたヤスリを置いて言った。
「お待ちしていましたよ。私が今回依頼させてもらった山崎です」
「あ……どうも。退魔屋の金雀枝です」
めぐは自分でもわかるほど小さな声で挨拶した。たぶん顔にもありありと出ているだろう。この手の場所が嫌だという感情が。
「同じく。退魔屋の蓮華亜空です☆」
アロハシャツの大馬鹿野郎は酒が回ってきたのかアイドルがやるみたいな目の横にピースサインを持ってくるポーズをビシッと決めていた。
玄次、と呼ばれた大男や、角刈りの男が剣呑な雰囲気を醸し出す。若いお兄ちゃんはスマホをいじり続けている。
窓が近いせいか、ビルの外で響くサイレンやクラクションの音がここまで聞こえてくる。
「ほう。蓮華さんはずいぶんといい身体をされていますな。それに金雀枝さんのその日本刀」
親玉の山崎の視線が、蓮華の腹筋からめぐの持つ大太刀へと移された。
「ずいぶん大きいですな。やっぱり退魔屋さんみたいなお仕事だと使う道具も特別なんですなあ」
「ははは……まあ、はい」
確かに、この大太刀は特別だ。しかしまあ、この依頼人にそれを説明する必要はない。
「ま、いつまでも話していても何です。さっそく行きましょうか。――おい」
穏和な言葉の終わりにどことなく野蛮な気配を漂わせて、山崎が若い衆に合図した。三人の悪そうな男たちが動き始めた。
よく見ると、部屋の奥にはさらにドアがあった。
奇妙なドアだった。この手の場所には不釣り合いな、過剰な装飾がなされている。
お札だ。
ドアノブを除いてドア一面、べたべたと無茶苦茶にお札が貼ってある。
「今回、あなた方を紹介してくれた《霊能コーディネーター》から聞きましてね。あれのほかにもいくつか効き目がありそうなものを買いましたよ」
霊能コーディネーターとは平たく言えば一般人とめぐたちのような人間を繋ぐ役割の者である。時代柄、インターネットを介してめぐたちの元へ仕事の紹介が為される事もあり、今回の案件もそうだった。繋いでくれた霊能コーディネーターとは顔を合わせていないし、やり取りもメールでしかしていない。
言うまでもなく怪しい仕事だ。だが放っておくわけにもいかなかった。
「……あんだけ、ドアにお札が貼っつけてあるって事は」
「ええ。中にいます」
めぐの言葉を受け取って、山崎が落ち着いた様子で言った。
「事務所中、どこにでも出るもんですからね。たまたまあの部屋に現れたところをお札貼って閉じ込めたんですよ。あいつ――」
山崎が、何とも言えない表情で言った。
「あの〝女〟をね」
めぐの内心に、ここに来た時とは別の、仕事本来の緊張感が浮かび上がってきた。
めぐと蓮華は、いわゆるトラブルバスターである。常人では解決しようのない問題が発生した時、彼らに代わってトラブルを解決する。
例を挙げれば、夜、誰もいないはずの廃屋からいつまでも赤ん坊の泣き声が聞こえてきたりだとか、人気のない道を走っていたら車の窓という窓に手形がついたとか、その手の〝トラブル〟だ。
心霊系。大っぴらに話題にはされないものの、この手のトラブルは戦前から存在し、その度にめぐと蓮華のような職業の者が解決に乗り出してきた。
《退魔屋》。現代において密かに増加した心霊トラブルを解決するトラブルバスター。
今回の依頼は、この組織の事務所に現れた女幽霊の除霊である。
「それじゃあ頼みますよ、お二方。ばっちり中の女を始末してください」
「何か語弊があるな……」
「ああ、それと。お二人のお仕事振りは録画させてもらいます」
しれっと、山崎が言った。
「え!? 何で!?」
「いやあ、そりゃ当然でしょう。本物の幽霊退治なんてなかなか見られませんからねえ。うちの組長が見たがっているんですよ」
「えぇ。いやあの、さすがに録画は……」
「大丈夫ですよ。顔は隠しますから」
プシュ、という音がした。二缶目を開けた蓮華がぐび、と酒を飲む。
「いーじゃん。せっかく何だし、かっこよく撮ってもらおうよ」
「お前ちょっと黙ってろよ……あと酒しまえ」
「えぇ~~~」
いかにも不服そうな顔をした蓮華は仕方なさそうに、近くの机に呑みかけのチューハイの缶と、ほかの酒が入ったビニール袋を置いた。
「一応確認ですけど、中にいる女の幽霊に心当たりは?」
「……さあ。なにぶん、こういう稼業ですからねえ。多過ぎてわからないというのが実情ですなあ」
角ばった眼鏡を指で少しかけ直して、山崎が続ける。
「でもまあ、どういう出自であれやっつけてくれるんでしょう? 退魔屋さんなんだから」
隠しようもない冷たい視線が、めぐを見ていた。
ああ、くそ。だから嫌なんだ。この手の奴らと関わるのは。
「……わかりました」
とにかく、やるしかない。大太刀を持つ手をぎゅっと握り締め、めぐは大量のお札が貼り付けられたドアへと向かう。隣の蓮華がポケットからまだ八割ほど長さの残っている吸いかけの煙草を取り出して火を着け、ぷは、と紫煙を吐き出した。
「お前らも行けよ? 何かあった時に手を貸して差し上げろ」
「……え?」
山崎に声をかけられた巨漢の玄次と角刈りの男が、戸惑ったような顔をした。
「山崎さん。何かって……」
「何か何かだよ。中でトラブルが起こるかもしれねえだろ。いいから行けよ。ほら」
「は、はい……」
戸惑いながらも頷いた玄次がドアノブに鍵を差し込んで回す。後ろで、ちゃらちゃらとした感じの若い組員が、録画のためにスマホを構えた。




