19.重なる時間の先
「今日は、行かない」
放課後、教室を出る直前に、陽咲がそう言った。
私は一瞬だけ手を止める。
「珍しいね」
「……うん」
少しだけ笑う。
でも、その笑いは無理じゃない。
ちゃんと自分で決めた顔だった。
「なんで」
「なんか」
少しだけ考えるように間があって。
「待つって決めたから」
「毎日行っても、同じじゃないし」
「まあね」
「それなら」
鞄を持ち上げながら、ゆっくりと言う。
「ちゃんと来るかもしれない日に、行った方がいい気がする」
私は小さく頷く。
それは、前より少しだけ冷静な判断だった。
ただ追いかけるんじゃなくて。
流れを見ている。
「じゃあ今日は普通に帰る?」
「うん」
短く答える。
その一言が、少しだけ新鮮だった。
“普通”に戻る感じ。
でも、それは後退じゃない。
むしろ、少しだけ整った感じ。
校門を出て、いつもの道を歩く。
色麻工業高校の方には行かない。
視界にすら入らないルート。
それだけで、少しだけ空気が軽い。
「なんかさ」
陽咲が言う。
「久しぶりに、何も考えてないかも」
「それはそれでどうなの」
「いいじゃん、たまには」
少しだけ笑う。
その表情は、ここ数日で一番自然だった。
「でも」
そこで少しだけ声が落ちる。
「完全に考えてないわけじゃないけど」
「だろうね」
即答する。
「さすがにそこまでは無理」
「知ってる」
軽く返す。
でも、それでいい。
完全に切り離す必要なんてない。
むしろ、できない。
「ねえ、美鈴」
「なに」
「昨日のことさ」
少しだけ真面目な声になる。
「うん」
「あれ、本当にそうだったのかな」
私は少しだけ考える。
あのすれ違い。
あの感覚。
「分かんないね」
正直に答える。
「でも」
「でも?」
「陽咲がそう思ったなら、それでいいんじゃない」
曖昧な答え。
でも、それが一番近い気がした。
確証はない。
でも、感覚はあった。
そのどちらを取るか。
「……それでいいのかな」
「いいでしょ」
私は軽く言う。
「だって、まだ確かめるんでしょ」
「……うん」
「じゃあ途中で決めなくていい」
結論を急ぐ必要はない。
まだ途中なんだから。
陽咲は少しだけ考えて、それから小さく頷いた。
「そっか」
その声は、少しだけ軽かった。
歩きながら、夕焼けを見上げる。
今日は少しだけ空がきれいだった。
雲が少なくて、色がはっきりしている。
「ねえ」
陽咲がふと呟く。
「時間ってさ」
「急にどうしたの」
「なんか」
少しだけ笑う。
「同じようで、全然同じじゃないね」
私はその言葉を、少しだけ考える。
「昨日と今日で、こんなに違うし」
「うん」
「でも、繋がってる感じもする」
それは、いい表現だと思った。
同じじゃない。
でも、途切れてもいない。
続いている。
「昨日の続きが、今日にあるみたいな」
「それはそうでしょ」
「うん、そうなんだけど」
少しだけ首をかしげる。
「ちゃんと意識すると、ちょっと不思議」
私は小さく笑う。
「今さら何言ってんの」
「今さら」
同じやり取り。
でも、その中身は少し違う。
ただの日常が、少しだけ意味を持ち始めている。
「ねえ、美鈴」
「なに」
「次、いつ行こうか」
私は少しだけ考える。
「いつでもいいんじゃない」
「適当」
「だって決まってないし」
事実だ。
相手の予定なんて分からない。
完全に運任せ。
「でもさ」
陽咲は少しだけ真剣な顔になる。
「なんとなく、分かる気がする」
「何が」
「また会うタイミング」
私は少しだけ眉を上げる。
「そんなの分かるの」
「分かんないけど」
すぐに笑う。
「なんとなく」
またそれだ。
でも、ここまで来ると、その“なんとなく”も無視できない気がする。
「じゃあそれ信じれば」
「うん、そうする」
あっさりと頷く。
その素直さが、少しだけ面白い。
駅が見えてくる。
いつもの帰り道。
でも、今日は少しだけ違う意味を持っている。
何も起きていないのに、ちゃんと進んでいる。
そんな一日。
「じゃあね」
「うん、また明日」
軽く手を振る。
陽咲は改札の向こうへ消えていく。
私はその背中を見送りながら、小さく息を吐いた。
重なる時間。
違う日の出来事が、少しずつ積み重なっていく。
その先に、何があるのかは分からない。
でも、確実に何かに向かっている。
それだけは、はっきりしていた。




