17.確かめたい距離
翌日、陽咲は少しだけ静かだった。
元気がないわけじゃない。
でも、どこかだけ意識が内側に向いている。
考えている。
ずっと、同じことを。
「ねえ」
昼休み、私が声をかける。
「昨日のやつ」
わざと具体的には言わない。
でも、それで十分だった。
「……うん」
陽咲は小さく頷く。
「どう思ってるの」
ストレートに聞く。
逃げ道は用意しない。
陽咲は少しだけ考えて、それからゆっくりと言った。
「分かんない」
予想通りの答え。
「でも」
そこで止まらない。
「もう一回、見たい」
その言葉は、はっきりしていた。
迷いがない。
「同じ人か、確かめたいってこと?」
「……うん」
小さく頷く。
でも、それだけじゃない気がした。
「それだけ?」
私は聞く。
少しだけ意地悪に。
陽咲は少しだけ視線を逸らして、それから言った。
「ちゃんと、見たい」
その言葉に、少しだけ納得する。
昨日は“一瞬”だった。
準備もなく、覚悟もなく。
ただ、通り過ぎただけ。
だから今度は――
「構えて見るってこと?」
「……そうかも」
陽咲は苦笑する。
「なんか変だよね」
「変だけど、分かる」
私は肩をすくめる。
人は、一度見えたものを、もう一度見たくなる。
それが曖昧なら、なおさら。
放課後。
当然のように、あの道に向かう。
もう確認すらしない。
行くのが前提になっている。
「同じ時間だね」
陽咲が言う。
「昨日とほぼ一緒」
「狙ってるでしょ」
「……ちょっとだけ」
正直だ。
でも、それくらいでいい。
昨日と同じ流れ。
同じ場所。
同じ時間帯。
違うのは、心の準備だけ。
「来ると思う?」
陽咲が聞く。
「さあ」
私は適当に返す。
「来たらラッキーくらいでしょ」
「……うん」
そう言いながらも、視線はもう前を探している。
あのときの位置。
あのときの距離。
全部をなぞるみたいに。
人の流れが見えてくる。
制服の色。
歩く速さ。
会話の雰囲気。
一つ一つを、無意識に見ている。
そして――
「……」
陽咲の足が、ほんの少しだけ止まる。
私は何も言わない。
その視線を追う。
前から来る数人の男子。
その中の一人。
「……いる」
陽咲が、小さく呟いた。
昨日と同じ人。
たぶん。
確証はない。
でも、その言葉には迷いがなかった。
「ほんとに?」
「……たぶん」
でも、“たぶん”が前よりも強い。
距離が縮まる。
昨日よりも、意識して見る。
目を逸らさない。
逃げない。
その人の横顔が見える。
昨日よりも、少し長く。
少しだけ、はっきりと。
――似ている。
私はそう思った。
写真の印象と、重なる部分がある。
でも、それを口に出す前に。
「……」
陽咲の呼吸が、少しだけ乱れる。
明らかに緊張している。
そして、また、すれ違う。
昨日と同じように。
何も起きない。
でも、違う。
今回は、ちゃんと見た。
ちゃんと意識して見た。
通り過ぎてから、陽咲は振り返らなかった。
そのまま、前を向いて歩く。
でも、その歩幅が少しだけ小さい。
「……ねえ」
少ししてから、声を出す。
「なに」
私は静かに返す。
「やっぱり、あの人だと思う」
はっきりと言った。
昨日よりも、ずっと強い言葉。
「根拠は?」
「分かんない」
でも、すぐに続ける。
「でも、違和感がなかった」
それは、前に言っていた“基準”だ。
違うものは違うと分かる。
じゃあ、違わないものは――
「それが答え?」
「……うん」
陽咲は頷く。
その顔は、少しだけ緊張していて。
でも、どこか決意しているようにも見えた。
「じゃあさ」
私は少しだけ言う。
「どうするの」
その先。
見つけた“かもしれない”を、どうするのか。
陽咲は、少しだけ考えてから言った。
「まだ、何もしない」
即答ではなかった。
でも、迷いはなかった。
「ただ」
「ただ?」
「もう少し、確かめたい」
その言葉に、私は小さく頷く。
無理に進まない。
でも、止まりもしない。
ちょうどいい距離感。
「美鈴」
「なに」
「ありがとう」
急に言われて、少しだけ驚く。
「何が」
「一緒に見てくれて」
その言い方が、少しだけ印象に残った。
“ついてきてくれて”じゃない。
“見てくれて”。
同じものを、共有している。
その感覚。
「別に」
私は軽く返す。
でも、悪くないと思った。
この距離で、この視点で、同じものを見るのは、たぶん、一人じゃできない。
夕焼けが、ゆっくりと沈んでいく。
その中で、二人は並んで歩く。
見つけたかもしれない。
でも、まだ確定じゃない。
その曖昧な状態が、少しだけ続く。
――確かめたい距離。
それは、近づきすぎず、離れすぎず。
一番不安定で、一番繊細な場所。
でも、そこにいるからこそ、見えるものもある。
そんな気がしていた。




