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10.雨の向こう側

その集まりの話は、思ったよりも早く具体的になった。

「今週の土曜になったって」

昼休み、七海が何気ない調子で言う。

パンの袋を開けながら、いつものように軽い声で。


「急だね」

私は返す。

「みんな予定合う日がそこしかなかったみたい」

「へえ」

それだけの会話。

でも、その隣で空気が、少しだけ止まった。


「……どこでやるの?」

陽咲が聞く。

できるだけ自然に、を意識しているのが分かる声だった。


「駅前のファミレス。よくあるやつ」

「何時から?」

「夕方くらい。まだ細かくは決まってないけど」

「そっか」

短く頷く。

でも、その“そっか”の中に、明らかに情報を整理している気配があった。

場所、時間、距離。

そして――

可能性。


「来るかどうかも分かんないけどね、新堂」

七海が軽く付け足す。

「一応、来るっては言ってたけど」

「……ふーん」

陽咲はそれ以上は何も言わなかった。


でも、その後。

明らかに、落ち着きがなくなった。

ペンの動きが少しだけ遅れる。

ノートの文字が少しだけ雑になる。

そして、何度もスマホに触れそうになって、やめる。

――分かりやすすぎる。


放課後。

雨はまだ降り続いていた。

朝よりは弱くなっているけど、止む気配はない。

校舎の外は、ずっと同じ色のまま。

「ねえ、美鈴」

帰り支度をしながら、陽咲が声をかけてくる。

「なに」

「土曜さ」

「うん」

「どう思う?」

曖昧な聞き方。

でも、聞きたいことは分かる。


「何が」

「その……集まり」

「行かないでしょ」

私は即答した。

「だって関係ないし」

「……うん」

陽咲は頷く。

でも、その頷きは弱い。

「でも、近くには行けるよね」

私は一瞬、言葉を失った。

――やっぱり、そこか。


「何しに」

「別に、何も」

「じゃあ行く意味ないでしょ」

「でも」

言葉に詰まる。


分かっている。

理由なんて、ない。

ただ――

「いるかもしれないって思うだけで」

ぽつりと、そう言った。


私は小さく息を吐く。

この感じ。

止めても無駄なやつだ。

「見ても、分かんないよ」

「うん」

「話しかけられないでしょ」

「うん」

「じゃあ何するの」

「……分かんない」

正直な答えだった。

それが一番、厄介だ。


目的がないのに、行こうとしている。

それはもう、完全に感情だけで動いている。

「美鈴は、どう思う?」

不意に聞かれる。

少しだけ考える。

正直に言うか、適当に流すか。


「やめといた方がいいと思う」

結局、正直に言った。

陽咲は少しだけ目を伏せる。

「……そっか」

「だってさ」

言葉を続ける。

「それ、うまくいかないでしょ」

「うまくって?」

「全部」

曖昧に言う。

でも、意味は伝わるはずだ。


「期待して行っても、何もないかもしれない」

「うん」

「逆に、見かけても、どうにもできない」

「……うん」

「どっちになっても、しんどいだけでしょ」

少しだけ強く言う。

陽咲は黙った。

その沈黙が、刺さっている証拠だった。


「それでも」

小さく言う。

「行きたい?」

私は聞く。

陽咲は、しばらく何も言わなかった。

雨の音だけが、静かに続いている。

その中で、ゆっくりと顔を上げる。


「……ちょっとだけ」

その答えは、あまりにも正直で。

私は思わず笑ってしまった。

「ほんと、分かりやすいね」

「うるさい」

少しだけ拗ねた声。

でも、その顔は少しだけ軽くなっていた。

言葉にしたことで、少し整理できたのかもしれない。


「じゃあさ」

私は言う。

「行くなら行くで、覚悟しなよ」

「覚悟?」

「うん」

頷く。

「何も起きなくても、ちゃんと帰る覚悟」

「……それだけ?」

「それだけ」

それが一番難しい。

期待したまま、何も得ずに帰ること。

それを受け入れること。

陽咲は少しだけ考えて、それから小さく頷いた。


「……分かった」

本当に分かっているかは、分からない。

でも、それでいい。

全部分かった上で動ける人なんて、いない。


外に出ると、雨は少しだけ弱くなっていた。

傘に当たる音が、さっきよりも柔らかい。

灰色の空の向こうに、ほんの少しだけ明るさが見える。

「ねえ、美鈴」

「なに」

「もしさ」

また、“もし”。

「会えたら」

「うん」

「どうなると思う?」

私は少しだけ空を見上げる。

答えなんて、分かるわけがない。


「知らない」

正直に言う。

「でも」

「でも?」

「今とは、絶対違うと思う」

それだけは確かだ。

写真の中の誰かじゃなくなる。

想像だけの存在じゃなくなる。

良くも悪くも。


「……そっか」

陽咲は小さく頷く。

その声は、少しだけ震えていた。

怖いのか、楽しみなのか。

たぶん、その両方だ。

雨はまだ止まない。

でも、その向こう側には、確実に何かが待っている。


土曜日。

その日が、少しだけ近づいた気がした。

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