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二十六年目 引退

この物語はフィクションです。実際の団体、個人などとは一切関係がありません。

また、連載小説という形態をとっていますが、作者は気まぐれなため続くかは未定です。もしも楽しみにしていてくださる方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。

 「はあ」

 思わず溜息が出た。

 バッツは既に順位が決まっているし、周りは若手ばかりで気を遣う相手もいない。それなのに、異様な緊張感がある。

 「なんだよ斎藤。緊張する試合じゃないだろう」

 高田たかだがニヤつきながら肩をポンと叩いてきた。

 「お前から見ればそうだろうけどなあ、俺はあんまり注目を集めたくないんだよ」

 「お前、何年プロやってんだよ」

 呆れたような表情をされる。癇に障るが、高田の言っていることはその通りだと思う。

 「ま、楽しめ。一生に一度しかないぞ。こんな場面は」

 「わかった。ヒットを打てるかどうかはわからないけどな」

 「三打席立てば一本くらいは出るんじゃないの?知らねえけど」

 ベンチには数人の選手がいた。彼ら一人一人と握手を交わしてから、グラウンドの中で素振りを始めた。


 去年の契約更改。自分は

 (多分、引退を勧められるんだろうな)

という予感のもと、球団の重役がいる部屋の中へと入っていった。

 自分はもう、球界で最年長の選手だ。しかも、衰え切っている。

 「お邪魔します」

 意を決して部屋の中に入った。

 重役たちの表情は思っていたほど厳めしくない。むしろ、和やかな顔をしている。

 多分、いままで雑談をしていたのだろう。

 「斎藤選手、お待ちしてました」

 自分は椅子に座った。彼らと向き合う。

 「早速ですが、来期も現役を希望されますか?」

 率直な発言だ。裏には括弧書きで

 (辞め時には良いと思いますよ)

そんな意図が含まれている。

 自分はそう言われる覚悟をしてきた。こんな回りくどい言い方をされるのは逆に心外だ。

 「選択肢が残されているのなら、翌年もやらせてください」

 言ってしまった。不調に喘いでファームにいた六月ごろから、そう思っていた。

 それまでは自分が一軍で必要とされなくなったら、潔く辞めようかとも思っていた。

 同期はいない。年齢も一番上で、周りが遠慮がちになる。

 少し孤独を感じたときに、入団した頃や一軍に出始めた頃、自分が一番動けていた頃を思い出して懐かしむようになっていた。

 (こりゃ辞め時かな)

 そう思った。だが一軍の試合で代打としてヒットを打ったとき、自分の中では「やり残したことはないか」という気持ちが強まっていることに気付いた。

 (まだ自分ができていないことか…)

 思えば、プロに入った時から置かれた場所でヒットを打ち続けてきた。ヒットを打てずに終わったシーズンはない。

 そういう自分が辞めるためには、

 (もうヒットを打てない)

という事実を作れば、後悔もなく辞められるはずだと思った。

 「そうですか。翌年も…」

 重役の顔が、今までの和やかな顔から「困ったぞ」という顔に変わった。厄介者とまではいかないだろうが、こういう相手は対応しづらいというのも解っていた。

 「はい。シーズン最後までファームに閉じ込めてもらって構いません」

 こんなことは言ったことがない。ずっと上を向いてやってきた人間が、自分を低みに置こうとするなんて、この世界では許されないだろう。

 「言ってること、わかってます?チームには貢献できないと言っているようなものですよ?」

 「当然、そう取られることもわかっています。その代わり、若手の指導育成に手を貸させてください」

 自分が活躍してチームを勝たせることができないなら、仲間を強くすれば良い。自分なりの貢献方法を示した。

 「コーチのポストはないですよ」

 「いち選手として、隣で見ます」

 担当者が、大きく息を吐いた。そうだろう、見苦しいだろう。だが自分から譲る気はない。

 「こちらの書類をどうぞ。斎藤選手の今季の成績から弾き出した、来季の年俸です」

 何枚かの紙を渡される。一番最後の紙には

 「1,220万」

 と書かれていた。

 (こんなにもらえるのか)

 そう思いながら、二つ返事で印を押した。


 シーズンオフ。家族でスーパー銭湯に行った。

 息子の陽人あきと貴也たかや、妻のみのり。四人で出かける機会は少ないだけに、自分の数少ない楽しみだ。

 自分が家にいないことが多いからだろうか。息子たちはこういうお出かけを楽しんでくれている。

 「陽人。最近、どうなんだ」

 湯船に浸かりながら、長男の陽人に最近のクラブ野球での調子を尋ねた。

 「前の試合ではシングルヒットを一本。三振がひとつ」

 「そうか。一本出たなら良かったじゃないか」

 「満足いく打撃じゃなかった。上っ面」

 口調からもわかる。だいぶ納得がいってないようだ。

 「そういう時はラッキーとでも思っとけ。自分の形を求めるのも大事だけどな」

 「そう言われてもね。水泳とか書道のほうが調子は良いよ」

 「書道にも調子の良さなんてあったのか」

 「うん」

 どうも、実に聞く限りでは文字の上達の仕方が抜群らしい。

 自分は文字を書くことに対して得意も苦手もないが、息子にそんな才能があるのなら自分も有るんじゃないかと思えてくる。

 (書道、習っとけばよかったなあ)

 湯の中で緊張感の抜けきった体と頭。普段なら馬鹿らしくて考えもしないことまで考えてしまう。

 「うぃー」

 体を洗い終えた貴也が、歳食った声を上げながら自分の隣に体を沈めてきた。

 「よくそんな声出せるな」

 思わず言った。なぜか解らないが、彼はおじさんの真似をしたがる。

 (そういえば、ビールに似せた飲み物が子供の時に流行ったりしたなあ)

 自分たちが子供の時もそうだったかもしれない。そんなことを思い出した。

 貴也は何も言わない。その場を楽しむような笑みを浮かべながら、ただ湯船に浸かることを楽しんでいる。貴也の姿が、本当に歳を取っているよう人間のように見える。

 「落ち着くねえ」

 貴也のここまでの行動を文字に起こしたら、八歳だと判る人はいないかもしれない。風格すらある。

 「そうだな。もう少ししたら、サウナにでも行ってみるか?」

 「うん。サウナと水風呂だよね、やっぱ」

 貴也はどこに行こうとしているのか。陽人が隣で苦笑していた。


 銭湯の後は、みんなで焼き肉に行った。

 「風呂上がりで焼き肉って…臭い付けて帰るの?」

 行く前は実もそう言っていたが

 「いいじゃん、いいじゃん」

無神経なふりをして、半ば無理やり連れてきた。彼女は今、ジョッキで運ばれてきたレモンサワーを飲んでいる。

 「今日は食べ放題じゃないんだね」

 「いつもそれだと申し訳ないだろ?いつも選手内で来てる所の紹介も兼ねてさ」

 「じゃあ今日はカズの奢りね」

 貴重なお小遣いは、その殆どを貯蓄に回してある。今日、一回だけ使い込んでも尽きることはない。

 「じゃあ、好きなもの頼みなよ」

 「僕はカルビ」

 「僕はマルチョウ」

 貴也はやっぱり、ホルモンに行ったか。

 「で、実は?」

 「私はチョレギサラダ。二人も野菜食べなよ?」

 「えー、焼き肉にきてんのに…貴也もいきなりホルモンって」

 陽人がゴネ始めた。こういうところはみのりに似たのかもしれない。

 「焼き肉の()()()()はね、カリカリに焼いたホルモンなんだよ」

 だが、我が強いのは貴也の方らしい。いったい、誰に似たんだろうか。


 家への帰り道、車の後部座席には子供二人が寝ている。助手席では実がスマホで何かを見ていた。

 ふと、彼女がその手を下ろす。

 「ねえ、来年も続けるんでしょ」

 「まあな。ただ、来年で最後だよ」

 「体は大丈夫なの」

 「大丈夫だよ。少なくとも、引退試合くらいは出れるんじゃないか」

 「そう…」

 少し寂しそうな顔をしている。ここまで長い間、野球選手の妻として支えてきてくれた。彼女にも名残惜しさがあるのかもしれない。

 「まだあと一年ある。やれることをしっかりやってから辞める」

 「パパに怪我されたら困るから、無理しないでよ」

 少し、つっけんどんな言い方だった。照れ隠しなのか、イラつきがあるのか。どっちも有るのかもしれない。

 「わかった。気を付けるよ」

 「うん。お願い」

 実がスマホの電源を落とした。家族での時間を大事にするためだろうと思う。

 「…ところでさ。二人が俺たちをパパ、ママって呼ぶようになったのってなんでだろうな」

 「貴也はともかく、陽人は父さん、母さんだったもんね」

 「友達の影響かな。でも子供っぽくて嫌だと思う頃合いじゃないか?」

 「そうだよね。みんなでいるときは私もカズって呼んでるし…」

 「ん?…二人でいるときの真似じゃないか?」

 「だから、みんなで居るときは呼び方変えてるって」

 「本当に聞かれてない保証はないだろ」

 「周りはちゃんと見てから使ってるよ」

 「…ちゃんと見れない時もあるじゃないか」

 「いやいや。それじゃ、まるで…」

 「そのまさかじゃないことを祈っといたほうが良いかもな」

 話題のチョイスを間違えた。湿っぽい空気は消し飛んだが、かなりひんやりしている。

 帰ったら謝るか。


 試合が始まった。日曜日の昼間。ずいぶん久しぶりの一軍の舞台だ。

 自分の引退試合であることを球団が通知していたからだろうか。球場はいつもよりも賑わっているように思える。

 「斎藤さん、お疲れ様でした」

 そういう声を、ベンチに入った選手全員から掛けられる。

 (まだ、終わってないんだけどな)

 今日これからスタメンとして試合に出るのに、もう終わってるような雰囲気を出されている。なんだかやりづらい。

 「よっしゃ。円陣、円陣!」

 高田が選手をベンチ前に集める。輪が作られ、その中に自分も入った。

 「じゃあ今日は、斎藤が声出し担当な!」

 そうなると思った。輪の真ん中、全員の視線が集まるところに出ていく。

 「長いプロ生活、最後くらいは楽しくやろうと思います。みんなもそれに乗っかるように!」

 威勢の良い返事が返ってきた。今のバッツは再建期。五位に終わったが、若い選手ばかりで元気が良い。

 「三打席は立たせてくれ!っしゃいくぞ!」

 掛け声はこれでよかったのか、少し迷った。それでも周りから

 「おっしゃ、今日は打ちまくるぞ!」

 「回せ回せ!」

そんな声が聞こえてくると、たぶん良かったんだろう。


 一打席目。

 いつもの感覚で打席に入った。腰を軽く落として、相手ピッチャーの球を待つ。

 今日の対戦相手はドラゴンズの上原うえはら。シンカーのようなフォークが武器の投手だった。だが、いつものような殺気立った気配はない。横に振りもせず、縦に頷きもせず、すんなりと構える。

 (そうか)

 自分はストレートを待った。

 一球目はど真ん中。今の自分ができる限りのフルスイングしたが、捉えきることができない。

 二球目は外寄り低め。タイミングを合わせてスイングをするが、ライト方向へのファール。

 三球目は外角高め。片手を離すようなスイングでファウルチップが後ろに飛んでいく。

 そして四球目。ボールの勢いに押し込まれてセカンドゴロ。

 二打席目。

 次は少しだけ引っ張るほうに意識を向けた。

 初球を打って高いバウンドのショートゴロ。

 やっぱり、詰まらされている。これではヒットを打てるわけがない。

 どうしようか。考えるのが楽しかった。

 三打席目。

 ずっと続けてきたルーティーンをして、打席に入る。

 腰を軽く落とし、相手投手を見据えた。

 特別に入れてもらった三番という打順。一番の川上かわかみが内野安打で出た後、二番の中馬ちゅうまがセンター左横への単打を放った。

 一死一三塁。打点を挙げるチャンスで、自分に御鉢が回ってきた。

 五回裏の攻防。相手のドラゴンズは二位か三位かの争いをしている。ここは変化球を使ってくるだろう。そう思っていた。

 上原は何も確認せず、投球フォームに入った。

 自分はストレートを待つ。

 初球から最後まで真っすぐを続けてくる、と確信したからだ。

 内のボールを詰まらせて地面に打ち付け、低めのボールを掠って後ろに飛ばし、真ん中のボールをレフト線へのファウルとして、真ん中のボールを捉え損ねた。

 次の一球もストレートが全力で投げ込まれてきた。自分もそれに応えた。

 上に上がるボール。自分はそれを見上げた。

 落ちてきて、最後は上原のグラブへと収まった。

 (結局打てないか)

 その瞬間、自分の力の衰えを感じた。それでも悔しさというよりは晴れやかな気持ちを感じたのである。

 ベンチに下がり、次のイニングになると

 「守備の変更をお知らせします。ファースト、斎藤に代わりまして、原井はらい。三番、ファースト、原井」

というアナウンスが入った。

 球場の全てから拍手が起こった。自分はグラウンドに出て帽子を掲げ、それに応える。最後にドラゴンズのベンチに向かって深くお辞儀をした。

 さ、声出しをしよう。


 試合が終わった。スピーチもした。

 (そろそろ帰るか)

 そう思ってベンチ裏にさがると、通路に四人ほど集まっていた。

 「お前らもいたのか」

 入団時からよく見知った顔だった。

 桑原くわはら高田たかだ宇田川うだがわ佐藤さとう。自分も含めて、全員が同じドラフトで育成選手として、しかも高卒で指名された「元」選手だ。

 そのうち高田と宇田川は、バッツでコーチをしている。

 「まあ、同期育成組では最後の現役選手だったからな」

 高田が現役の時より細くなった体を揺らして笑った。

 「高田はともかく、みんなは自分の仕事があるだろ?大丈夫なのか」

 「お前、嘘だろ」

 同期の人間には、この会話は当たり前の光景だ。

 (まだ続けてるのかよ)

 自分と高田を除いた三人は、そういう苦笑をした。

 「俺たちも、そういう時間を縫ってここにきてんだよ。ま、お疲れさん」

 桑原がポケットに手を突っ込んだままで、労いの言葉を発した。

 「うん、まあ、ありがとう。花束とかは…」

 「ねえよ?」

 そうか、桑原はそんな感じだよな。

 気を取り直して、話題を変える。

 「そういえば、つじが居ないな。あいつは忙しいのか?」

 自分の疑問に佐藤が反応して、自分のスマホの画面を見せてきた。

 「辻は今日、この試合を解説してたんだ。放送席から向かってくるだろうから、すぐじゃないか?」

 佐藤は現役時代、元気ばかりが良い奴という感じだったが、引退してからはだいぶ落ち着いた。

 「そうか。六人が揃ったら、写真の一枚でも撮るか?」

 「良いな、それ。早く来ないかな」

 宇田川がそう言いながら、そわそわとしている。

 「どうしたんだよ、焦ってるじゃないか」

 「いや、実は店を予約しててさ…斎藤の引退祝い…」

 「時間ないの?」

 「まあ、その」

 「お前、明日も有るだろ?せめてシーズンオフとか」

 「全く考えてなかった」

 「なんだよそれ」

 宇田川を除いた四人は開いた口が塞がらない。

 「辻を待ってる暇ないんじゃないの?」

 桑原がそう言った。確かに、ない。

 「じゃあ先行くか?辻には連絡だけしておいて」

 「そりゃ可哀そうだろ。もう来るって」

 「本当かあ?」

 「あ、ほら来た。あいつ早足だぞ」

 「走るなって言われてるんだろ。おい、辻。こっちこっち」

 「ごめん、待たせた」

 「遅いってえ。じゃあ店に行こう」

 「焦るな、焦るな。仕事終わりでさあ」

 「良いから行くぞ。パアっとやろう。パアっと」

 「斎藤。お前、家族に連絡は済ませたか?」

 「済ませたよ。楽しんでこいだと」

 「うーし、行こう行こう」

 「あ、もうあと三十分だ」

 「こういう時の三十分は煮詰まってるって。急ぐぞ」

 「あ、お前ら走っちゃダメだって…」

 「良いじゃねえかよ、もうさ」


 この後、店には何とか間に合った。

 一人ずつの鍋料理と、小物料理に炊き込みごはん。味を楽しみながら、過去の思い出話に華を咲かせた。

 話をするうちに、酒の入った高田がふと、こんなことを言った。

 「いやあ、青春だったなあ」

 みんなが現役を続けている間も、そして誰かが活躍している間も。

 「斎藤がそれを引き延ばしてくれたんだと思うよ。一番最後まで」

 「ま、それは良かったんじゃないか」

 自分は()()も無い返事をしたが、胸の内では感慨深さと嬉しさを感じていた。

 自分を見てきた人たちは、そういう感動を持ってくれていたんだろうか。


 そう思うと、ここまでやってきて良かった。

二十六年目

 3打席 3打数 0安打 .000 0本 0打点 (一軍)

 104打席 82打数 21安打 .256 2本 17打点 (二軍)

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